第肆章
それは、馨子が思ったよりも早くやって来た。
「え、本條さん……?」
「早朝から失礼する」
「い、いえ……」
仕事に行こうと店の前まで来ると背後から肩を叩かれた――相手は高明。
周りの目を少し気にしながら高明の様子を窺う。
「何か?」
「少し話しを――二分でいい」
「それくらいなら……」
馨子は高明に向き直った。だが、二分で何を話せると言うのだろう?
「うちに来て欲しい」
「え?」
突拍子の無い発言に思わず驚愕の声が漏れる。
「父が馨子を本條家に招待したいそうだ。勿論、雷蔵殿も一緒に」
「で、でも……」
「又近い内に来る」
それだけ言うと高明は踵を返してどこかへ行ってしまった。その背中を見送りながら呆然と立ち尽くす。
馨子に拒否権は無い様だ。拒否する勇気も無いが。
財閥である本條家――一体どんな家なのだろう、と上の空で定食屋に入る。
「馨子ちゃん、おはよう」
「あ……お早う御座います、櫻子さん」
「何かあった? 誰かと話していたみたいだけど」
厨房から櫻子がやって来て、馨子を心配する。
「ああ、その……婚約者、もどきみたいな人がいて――」
「婚約者!? え!? か、馨子ちゃんに!?」
櫻子が驚くのも無理は無い。全く話していなかったのだから。
「ど、どんな人なの?」
「えっと、その……以前話した軍人さんで……あ、いや正確には學生さんなんですけど……」
「まさか、本條家の!?」
「はい……」
見る見る内に櫻子の顔が明るくなっていく。
「これは――お祝いしないとねぇ!」
「あ、いや、でも! 私お断りしようと思っていて!」
「断る? 何で?」
「いやぁ……多分、勘違いなので……」
「勘違い?」
「――よく、分からないんですよね」
馨子は笑って誤魔化した。
高明が言っていた初恋相手がどうしても自分だとは思えない。なのに高明の申し出を受ける訳にはいかない。
高明は「また来る」と言っていた。だったらその時にしっかり断りを入れなければ。
俯きながら考える馨子の肩に、そっと櫻子の手が乗せられた。
「勿体無いわ。折角縁談が決まったのに。しかも、本條家だったら雷蔵さんも安心でしょう? これ以上無いお話じゃない」
「それはそうですけど……」
確かに櫻子の言う通り高明と結婚すれば将来安泰だ。だが馨子は納得のいかない顔。
「何かあったのならその問題を早急に解決するべきね。そしてしっかり本條さんと向き合わなきゃ」
「――そうですね」
櫻子が肩を軽く叩いてくる。
「馨子ちゃんなら大丈夫よ」
櫻子に励まされると本当に大丈夫な気がしてきた。
確かに高明とはまだ出会ったばかりだ。二人には過ごした時間が圧倒的に足りない。だったらその時間を増やそう。そして本当に婚約するべきなのか見定める。
とりあえずはそれでいいと思った。
***
「只今」
「ん~」
家に帰ると雷蔵が又真っ白な原稿用紙と睨めっこしていた。
「た! だ!! い!!! ま!!!!」
「うおぉっ!! お、おかえり!!」
徐々に近付きながら声を張り上げると、やっと気が付いた。
「はぁ……今度はいい作品が書けそうなの?」
両手を腰に当てながら雷蔵に問う。
「いやぁ……」
全く自信が無いのか視線を逸らされた。
「せめてその時間を働く時間に出来無いの?」
「この考えている時間だって仕事なんでぃ」
「まだ作家ですらないのに何が仕事よ」
「うるせぇ!」
雷蔵は苛立ちをぶつける様に鉛筆の尻で机を叩く。
馨子はエプロンを外しながら「そうだ」と今朝の事を思い出した。
「今朝、下で本條さんと会ったんだけど」
「そうかい」
「何か家に来て欲しいって」
「え? 何て?」
突然の事に馨子へ振り返った。
「だから家に来てくれって!」
「何で?」
「知らないけど……多分、ご家族への挨拶、的な、事かも……?」
内容は全く聞いていないので想像で言う事しか出来無かった。
「おお! それは確かに必要だなぁ!」
雷蔵は嬉々として声を上げる。馨子はそれが気に入らなかった。
「あのねぇ……何でそんなに嬉しそうなの?」
エプロンを畳みながら雷蔵を睨み付ける。
「そうなったら又お洒落しないとな!」
「そんな服無いでしょ」
「又高明に頼めばいいじゃねぇか」
「その考え方止めて」
「何で?」
馨子は雷蔵から正座している足元へ視線を落とす。
「婚約は破談にして貰うから」
「何だ、まだそんな事言ってんのかい」
さすがにちょっと苛立つ。雷蔵と視線を合わせない様にそっぽを向きながら事実を吐露する。
「当たり前でしょ。私と本條さんじゃ釣り合わないじゃない」
「でも高明がお前を選んだんだぞ? 本條さんもお前を認めたからこそ俺に署名させたんだ。断る理由なんてねぇだろう? 何をそんなに気にしてんだ?」
馨子は雷蔵に背を向ける。
確かにどうして自分でもここまで意固地になっているのか判らなかった。
本條家に嫁げば今より裕福な生活が送れる事は目に見えて判っている。だが、どこかもやもやしているのだ。納得がいかない。
「兎に角絶対に無理」
「それを聞いたら高明悲しむだろうなぁ」
雷蔵を横目で睨む。
「まぁ、とりあえず行くだけ行けばいいじゃあねぇか。それから決めても遅くねぇ」
「まぁ……」
「で、日取りはいつなんだ?」
「まだ決まってないみたい」
「そうかい。前みてぇに、又当日迎えに来んのかねぇ」
そう言いながら雷蔵は又原稿用紙と睨めっこ。
馨子は胸に手を当て、少し考えた。
正直求婚して貰えるのは嬉しい。自分が高明に相応しい相手だとは思えないが。でもそれ以上の何かが胸につっかえている。
時が経てばその正体も判るのだろうか――そんな風に思いながら高明を思い浮かべていた。
***
「お帰りなさいませ」
「ああ」
高明が本條邸に帰って来ると下女が出迎えてくれた。
「高明」
凛とした声が玄関に響く。
花柄の洋服を見に纏った少女が目の前に立っていた。
下女はその少女に睨まれ、一礼してからその場を後にする。
「お姉様。只今帰りました」
高明が學生帽を脱いで胸元に当てながら頭を下げる。
その少女は、宗臣、正臣に続く高明の姉で、
花江はそっと寄り添うように近付き、高明の手に触れる。
「お帰りなさい。こんな時間にどこへ行っていたの? 學校も休みでしょう?」
「お姉様からすれば取るに足らない用です」
「そう……」
高明は花江の手から逃れて少し距離を取る。花江はそれを寂しく感じた。だが引き下がらない。
「婚約、したんですってね?」
「はい」
「どんな子なの?」
「町娘です」
「町娘……?」
花江の眉間が僅かに
「それだけ聞くと、本條家に相応しいとは思えないけれど?」
「私の独断で決めましたので」
「どう言う事?」
「お父様には許可を頂いております。問題はありません」
「そう言う事を聞いているんじゃないわ――貴方が好意を抱いているかどうかよ」
花江は更に距離を詰め、もう一度高明の手に自分の手を絡めた。だが高明がその手からするりと抜ける。
「好意があるから決めたのです。失礼致します」
それだけ言うと、花江の隣を通って自室へ向かった。
花江は高明に触れた手を、もう一方の手でそっと擦りながら視線でその背中を追った。
――花江は高明に特別な感情を抱いていた。
本来、姉弟なら芽生える筈の無い感情――恋心。
昔から高明の世話は花江の役目だった。その為兄弟の中で誰よりも距離が近い。それが恋心に変わった。
だが、高明には想い人がいた――。
今更それを思い知らされた所で花江も
花江は愁いを感じながら去って行く高明の背中を見つめていた。
「行こう」
「は、はい」
廊下の陰に隠れていた下女を連れて高明が向かった先は辰男の書斎。
下女が廊下に膝を付き、声をかける。
「高明様がお帰りです」
「入れ」
「はい」
下女が障子を開け、高明が一礼してから中に入ると、下女が障子を閉める。
高明は障子の直ぐ傍に正座した。
辰男は書を
「どうした」
辰男の視線は下に向けられたまま、筆を動かしている。
「馨子の了承を得ました」
「そうか」
話しを続けてもいいのか迷いながらも、聞き耳は立ててくれている様で、様子を窺いつつ話しかける。
「いつでもいいとの事ですが、如何されますか?」
「そうだな。気が変わらぬ内に終わらせよう。明日の午後にするか。小一時間で済ませられるだろう。儂がいなくても、お前がいれば済む話だ」
「承知致しました」
辰男が筆を置き、書を眺める。気に入らなかったのか、それを丸めて捨てた。
あまり機嫌が良くないと悟って、高明は部屋を出て行こうとする。
「では、失礼――」
「高明」
「はい」
思わず体が強張った。再び姿勢を正す。
「身分の違う二人が夫婦となる事は安易な事では無い。まだ婚約者の段階ではあるが覚悟は決めておけ」
馨子の顔を思い浮かべる。
「――はい」
やっと目が合った。辰男は優しく微笑む。
「今の時世、想い人と懇意になれる事は容易では無い。大事にな」
「はい。失礼致します」
「ああ」
「開けてくれ」と外で待機している下女に一言。下女はそっと障子を開け、高明は又一礼してから辰男の書斎を後にした。下女が障子を閉める。その瞬間、気になって辰男の様子を窺うと、もう書に没頭していた。
***
翌日。
馨子が定食屋の前まで来ると、既に高明が待機していた。
「わっ!」
思わず声を上げてしまい、両手で口を塞ぐ。
「驚かせて済まない」
「あ、いえ、そんな! こちらこそ無礼を……」
慌てて頭を下げる。
「気にするな。顔を上げてくれ」
「はい……」
そっと顔を上げると、優しい眼差しが返って来て馨子の頬がほんのり染まる。
「今日の午後、時間はあるか?」
「今日、ですか?」
「雷蔵殿も一緒に」
その言葉で察した。
「もしかして、本條邸へ……?」
「そうだ」
ついに、この日が来てしまった――思っていたよりも随分早く。
まさか昨日の今日とは。本條家の人間はそんなに生き急いでいるのだろうか。
「えっと……仕事が終ってからなら……」
「待つ」
「で、ですが……」
「今日は私も學校が休みだ。問題無い」
「でも、どこで……?」
「どこで?」
「どこで、待たれるのです?」
沈黙。
待つとは言ったものの、どこで待つかは決めていなかった。家路を何往復もするのは面倒だし、高明は基本的に學生服を着ている。今日もそうだ。この格好で一人で店にいると大人から注意を受けるかもしれない――
「――ふふっ」
馨子が噴き出した。
「何だ」
高明は恥ずかしいのか少し頬を染めている。
「失礼しました。でも、何だか愛らしくて」
「……そうか」
悪い気はしなかった。
「良ければ、うちへどうぞ」
「馨子の家へ?」
「はい。本條さんのお宅程ご立派では無いでしょうが――あ、一度いらっしゃいましたよね」
「いいのか?」
「はい。こちらへ」
馨子が背を向けて歩き出す。案内してくれる様だ。
古びた階段を上り、建付けの悪い扉を開けると、倉庫の様な部屋が広がっていた。窓際には「う~ん」と唸っている雷蔵が胡坐をかきながら腕を組み、座っている。
前回来た時には無かった着物――高明が買った二人分の着物が壁に大切そうに飾られていた。
「父さん」
「ああ?」
馨子に呼ばれて雷蔵が振り返る。
「本條さんがいらっしゃったよ」
「何? おお! ほんとだ! 高明じゃあねぇか!」
馨子の後に入って来た人物を見て、雷蔵が体ごと振り向き、声を上げる。
「私の仕事が終わるまで、ここに居て貰おうと思って」
「そうか! 上がれ上がれ! 高明!」
雷蔵はぶんぶんと手を振りながら中へ入るように促す。馨子は小さな台所でお茶を淹れた。
「失礼」
高明は一礼して、小さな土間で靴を脱ぎ、畳へ上がる。
「今日はどうしたんだ?」
「午後からうちへ来て貰いたい」
「ああ! 昨日馨子が言ってた事か! 俺ぁ、いつでも行けるけどな!」
「婚約者の私が行けないんだから父さんだって行けないでしょ」
馨子がお茶の入った湯呑を二つお盆に乗せて持って来る。
「座れ、高明!」
いつまでも立っている高明に対して、雷蔵は畳を叩きながら座るように促す。
「失礼」
「いちいちいらねぇよ、堅苦しい!」
「礼儀はしっかりする様にと」
「かぁー! これだから金持ちって奴は!」
雷蔵が左手を目元に当てながら天を仰ぐ。
「父さん、失礼でしょ。申し訳御座いません、本條さん」
「構わない」
馨子は湯呑の一つを高明の前に置いてから頭を下げる。
高明はその湯呑を手に取った。
「頂く」
「はい。お口に合うか解りませんが……」
「こんなの不味いに決まってんだろ」
「父さん。それは私に対して失礼」
何だかんだ言いながら雷蔵は湯呑の中のお茶を一口。
「あっつ!!」
「当たり前でしょ」
馨子は呆れながら、雷蔵の膝を叩いた。
「美味い」
「嘘吐くな、高明! 不味いもんは不味いって言え!」
雷蔵を睨み付ける馨子。だが高明の声が聞こえてきた事でその怒りを忘れる。
「馨子が淹れたお茶はこの世で一番美味い」
「え……」
無表情で恥ずかしげも無く言われると逆に照れる。
「何だ? 俺ぁ邪魔もんかい?」
雷蔵が二人を茶化す。
二人は顔を真っ赤にして黙った。
「わ、私仕事行くから! 本條さん、狭い家ですし、煩い人もいますけど、ゆっくりしていって下さいね」
馨子は思い出した様にあたふたとお盆を片す。
「煩いってぇのは俺の事か?」
「そうに決まってるでしょ!」
それだけ言って馨子は出て行った。階段を降りて行く音が小さくなり、消えた。高明はそれを寂しいと感じた。馨子が出て行った扉をじっと見つめていると雷蔵の声が聞こえて来る。
「若いってぇのはいいねぇ」
雷蔵の声に振り返る。いつの間にか馨子のいなくなった扉を見つめ続けていた様だ。
恥ずかしくなって誤魔化すようにお茶を飲んだ。
「もっと崩せ、高明」
「崩す?」
「足! 胡坐かけ!」
雷蔵は自分の足を見ろと言う様に膝を叩く。
高明は正座していた。
「これが普通なのだ」
「いいんだよ! 崩して! 俺しか見てねぇんだから!」
「だが……」
「おりゃ!」
「わっ!!」
雷蔵が無理矢理高明の足を動かして正座を崩す。
「よし!」
「……慣れないものだな」
「そうかい?」
安定しないのか体がぐらぐらしている。
「ハハハッ」
そんな様子を見て雷蔵は笑う。
「そんなんじゃ、うちの馨子はやれねぇなぁ」
冗談で言ったつもりだったが高明は本気で受け取った。
「それは困る」
雷蔵は一瞬驚いた後嬉しそうに微笑んだ。
「それは嬉しいねぇ」
お茶を飲もうと湯呑に手をかけたが中身は空っぽ。雷蔵はお茶を淹れる為に台所へ向かう。
そんな背中を見送り、足元へ視線を向ける。
昔を思い出す。本條家に来る前は胡坐をかくのが普通だった。だが本條家では厳しく躾けられ、今では正座が普通だ。それをどこか不思議に思う。周りの環境が変わるだけで自分も変わるのだと。
――だが、変わらないものもあった。
「馨子は変わらないな」
「お? 何だ? 馨子の話か?」
雷蔵はお茶の入った湯呑を親指と人差し指でつまむように持ちながら戻って来て胡坐をかく。
「十年前にも会っているのだ」
「十年前? ――高明は今幾つだ?」
「十六だ」
「馨子と同い年か! ってぇと、十年前は六歳かぁ」
雷蔵はお茶を
「その頃はどうだったかなぁ。住んでる場所も違ったし……」
湯呑を畳の上に置き、髭が生え始めた顎を撫でる。
「山の近くだったか」
「おう! 何で判った?」
十年前、高千穂家は今住んでいる町では無く村に住んでいた。だが、雷蔵の妻が実家へ帰ってからは食べ物や住む場所を求めて馨子と二人流れ流れてこの町までやって来たのだった。
「私も十年前は山に――その付近に住んでいた」
「そうかい。その時に会ったって?」
「そうだ」
「でもだったら俺とも会ってるだろ? 俺ぁ、自慢じゃねぇが、ちぃせぇ馨子を一人にした事なんかねぇぞ」
「――そうか」
雷蔵が胸を張るが高明はどこか複雑そうに下を向いた。十年も前だ。雷蔵も憶えていないのかもしれない。それに自分の話を馨子以外にするのは気が引けた。
「それは本当に馨子か?」
「馨子だ」
「――言い切るねぇ」
雷蔵は驚いた後嬉しそうに笑ってから又お茶を啜る。
「馨子から、私の話を聞いた事は無いか?」
「ねぇな。聞いてたら憶えてらぁ」
「……そうか」
高明は雷蔵と対照的に寂しそうにお茶を啜った。
寧ろ自分の話しを出来たのだろうか? ――いや、出来無かっただろう。
何故なら自分は――
「で?」
雷蔵に声をかけられて我に返る。
「今日は又本條さんと会うんだったか?」
「ああ。だが父は忙しい。途中退出するかもしれない」
「そうか」
「だから本日は私の兄姉に会って欲しい」
「けいし?」
「兄と姉だ」
「わりぃな、学問が無くてよ。高明には兄ちゃんと姉ちゃんがいんのか」
「そうだ」
「母親は? 当然会うんだろう?」
高明は表情を変える事無く、湯呑を畳の上に置くと、しっかり雷蔵を見据えた。
「母は、入院した」
「入院?」
「病気が悪化して……」
「そりゃあ、又……何の病気なんだ?」
高明がやっとその内の感情を表に出すように拳を作った。
「――癌だ」
***
「お早う御座います、櫻子さん!」
慌てて馨子が定食屋に戻ると櫻子が机を拭いていた。それは本来なら馨子の役目だ。慌てて駆け寄り、声をかける。
「済みません! 遅くなってしまって……」
「いいのよ。今日も本條さんが来てたの?」
「え? 何で……?」
櫻子には何も言っていない筈だ。何故判ったのだろう?
「外で声がしたから。昨日も本條さんがいらっしゃってたでしょう? だから、今日もかと思って」
「はい、そうなんです……」
何だか恥ずかしくなって下を向いた。
「毎日通ってくれるなんて、お熱ね」
櫻子が嬉しそうに微笑む。
「そんな事は……偶然、用事があっただけというか……」
「用事?」
「本條邸に招かれまして……」
「ええ!?」
櫻子は驚愕し、その驚きから両手で顔を覆った。
「え……あ、でも、そうよね……婚約者だものね……いづれは家に行く事になるわよね……ご挨拶だって必要な訳だし……」
どこを見ているのか判らない視線を彷徨わせ、眉間に皺を寄せながら小さな声で独り言ちている。
「櫻子さん……?」
そんな顔を覗き込みながら馨子が声をかけると櫻子の肩が跳ねた。
「あ、何でも無いの! 何でも!」
「そう、ですか……?」
馨子は心配そうに声をかけるが櫻子は作り笑顔を崩さなかった。
「気にしないで! ――ちなみにそれって何時くらい?」
「仕事が終わったらって事になってますけど……」
「じゃあ今日はお店休みにしましょう!」
「え? いえ、そこまでして頂かなくても……」
「いいからいいから!」
櫻子が狂った様に馨子の肩を何度も叩いた。
「その代わりといっちゃあ何だけど――」
「はい?」
馨子は叩かれた肩を擦りながら櫻子の様子を窺う――どう見てもいつもの櫻子では無い。
――その後に出てきた言葉は、馨子を驚かせた。
「私も、その本條さんに会わせて貰える?」
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