three

「今なんて言った?」

『だからぁ、なんでボクの名前がわかったの?』

 電話の向こうの少年が怪訝そうに聞いてくる。

 井ノ坂が名乗ったのに、少年は自分の名前を言い当てられたと思っているようだった。


 井ノ坂は首をひねる。

 ──同姓同名? いや、井ノ坂龍一郎なんて名前、そうそうかぶるものじゃない。親が熱心なボクシングファンで自分にあやかって名付けた? いやいや、あやかるなら自分じゃなくても……。

 頭の中で、いくつかの可能性が浮かんでは消えていった。


「確認だが、少年」

『なに?』

「イエスかノーで答えてくれ」と前置きして井ノ坂は続けた。

「まず君は見たこともない、トランシーバーみたいな、不思議な道具を拾った」

『イエス。すまほ……だっけ?』

「そして今、君は第一公園にいる」

『イエス。いるよ』

 井ノ坂は改めて誰もいない公園を見渡した。

「君の名前は、井ノ坂龍一郎である」

『イエスだって。本当にどうやってわかったの?』

 電話の声は少しも悪びれる様子なく、また同じことを聞いてくる。


「はははははは……」

 笑いがこみ上げてきた。

 すると少年も笑った。

『ははは……?』

「ハーハッハッハッハッハッ!」

『あははは! あははははは!』

「何がおかしい!? スマホをなくして、困ってる俺をからかって! 馬鹿にして! どーーせ、どっかでコソコソ隠れて俺を笑ってんだろ? 出てこい! クソガキがぁ!」

 井ノ坂の怒号が辺り一帯に響き渡った。


 いつの間にかスニーカーに雪が染み込んで、靴下まで濡れている。一面が白く染められた公園に、自分だけがぽつりと立ち尽くしていた。


『ぐすん……』

 耳元で鼻をすする音がした。

「お、おい……?」

『なんだよ……嘘なんか…ぐす…ついてないのにぃ』

「あ、いや」

『うわぁぁぁぁぁぁん!』

 電話の向こうで少年は小さな子どものように泣き出した。

 とたんに頭に昇っていた血が急降下する。

「な、何もそんな泣かなくても……なぁ?」

『もういいよ…ぐす…ひっく……』

 少年がそう言うと、次の瞬間ゴトッという鈍い音が耳に飛び込んできた。

 ──まずい。俺のスマホ、捨てやがった。これじゃあ余計見つからなくなる……!

 焦った井ノ坂は声を張り上げた。

「おい、待て! 少年!」


 借り物のスマホに耳を押し当てるが、返答はない。代わりに井ノ坂は信じられない音を聞いた。

 ──そんなばかな……。

 それは井ノ坂のいる公園では聞こえないもの。いや、日本中どこであっても聞こえるはずがなかった。この冬の時期にあまりにそぐわないだったのだ。

 しかしこれが幻聴でないのなら、少年は本当のことを言っているかもしれないと思った。


「待ってくれ! 頼む! お願いだ! ……おじさんが悪かった!」

 井ノ坂は力いっぱい叫んだ。

 すると耳元にすすり泣く声が帰ってきた。

『……もしもし? ひっ、ひっく……』

「少年、今何が聞こえる?」

『なにって……おじさんの声?』

「違う、そうじゃない。その公園だ! そこで、今、何が聞こえる!?」

 井ノ坂の大声に、通り掛かる人が不審そうに振り向く。

 しかし井ノ坂には、そんなことはどうでも良かった。


『蝉……。蝉の鳴き声が聞こえる』

 井ノ坂は、ごくりと唾を飲み込んだ。

 そして震える手でスマホのビデオ通話ボタンを押した。


 画面に映し出された泣きっ面は、やはり見覚えがあった。

 いつも泣いてばかりいた──あの頃の自分がそこにいた。

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