「おいおい、嘘だろ……」

　──いや……けど待てよ……。

　思わず自分の目を疑った井ノ坂だったが、同時にこの不可思議な現象に妙な既視感と懐かしさを覚えていた。

　──俺は昔、この公園でトランシーバーのようなテレビを拾ったんじゃなかったか……。

　スマホの画面に映る少年もまた目を丸くしていた。『なにこれ……。テレビ？』と言いながら、日焼けした腕で涙と鼻水を拭う。

　ティッシュで拭け、と思いつつ、井ノ坂は他人事に思えなかった。少年は幼い頃の井ノ坂そのものだった。首まわりがだらしなく伸びたＴシャツにも見覚えがある。小学校中学年の頃、よく着ていたものだ。

　子どもの頃の動画を見ているようにも思えるが、井ノ坂が手を振ると、少年も手を振り返してきた。

　極めつけは背後に見える滑り台だ。井ノ坂のいる公園にも同じものがある。しかし塗装が剥がれかけ、雪に埋もれている目の前のそれとは違い、画面に映る滑り台は塗りたてのペンキが陽の光をピカピカと反射させていた。

　理屈は分からない。ただ目に映る事実が、過去と通信している、ということを如実に物語っていた。失くしたスマホが過去へタイムスリップしたという事実を、井ノ坂は受け入れざるを得なかった。

「井ノ坂ぁ、宿題やらんかぁ」

『ひゃはははっ！　似てる！　めっちゃ似てる！』

　少年がゲラゲラ笑うので、井ノ坂はかつての恩師のモノマネを、つい何度もやってみせた。

「お前という奴はぁ、どぉしてやらんのだぁ」

『もうやめて！　お腹痛い！　あははははっ』　

「はぁー、懐かしいなぁ。先生、元気にしてるか？」

『元気だよ。いつも怒られてる』

　井ノ坂は苦笑する。

『おじさんのときも担任だったの？』

「まぁな」

　──おじさんは、未来の君なんだ。

　口から出かかった言葉を井ノ坂は飲み込んだ。大人になった自分がこれじゃがっかりさせるかもしれない、と思った。

「それより」と井ノ坂は切り出す。「ミオちゃんには会えたのか？」

　ペットボトルのコーラを口に入れた少年が、ブッと吹き出して画面を濡らした。

「おい！　俺のスマホ！」

『だ、だって！』

「まぁいい……。毎日公園に居るのは、その子に会いたいからなんだろ」

『どどど、どーして、そのことを！？』

　井ノ坂は遠い記憶をコマ送りするように、少女が微笑むのを思い浮かべた。胸のあたりがくすぐったくなる笑顔だ。一度会って名前を聞いたきり、なかなか会えなかったな、と思い返す。

「ちなみに彼女は隣町に住んでて、おばあちゃんの家に来るときしか会えない」

『なんでそんな情報まで！？』

「いいから。もし会えたら、何でもいいから自分のこと話せよ。自分をアピールするんだ」

『わ、わかった。もしかして、おじさんってエスパー？』

「おじさんは……」

　何と答えればいいやら迷った井ノ坂は苦笑して言った。

「──ボクサーだ」

　ふと表通りからこちらへ歩いてくる人影が目に入った。白く染まりかけた傘には見覚えがあった。

「まずい。少年、また連絡する」

『あっ、おじさ──』

　井ノ坂は慌ててスマホの通話終了ボタンを押した。

「傘も持たないで行っちゃうんだから」

「ミオちゃん……」

　人影は井ノ坂の妻だった。差している傘とは別に、もう一本持っている。

「スマホは見つかったの？」

「あ、いやぁ、まだ……」

「もう。この間、買ったばかりじゃない」

　妻は呆れたという表情をしたあと、井ノ坂の顔を覗き込んだ。

「何かいいことあった？」

「え……どうかな」

「そうか。そうか」と妻は頷くと、井ノ坂に傘を差し出した。「帰ろう」

「だな。腹減った」

「お節、まだ沢山あるから協力してって。お義母さんが」

「またお節かぁ」

　井ノ坂は家路を歩きながら、また明日電話してみようと考えていた。