two

 ポケットに入れていたはずのスマホ。一体いつどこで落としたのか。もしかすると公園のベンチに座ったときだろうか。

 井ノ坂は妻にスマホを借りて、再び公園に向かった。

 コールするとバイブレーションが鳴るはずだ。近くにあれば、きっと見つけられると思った。


 公園に着いた彼は、さっそく自分の番号に電話をかけた。

 耳元で数回コール音が流れた。

 しかし辺りは静まり返っており、バイブレーションの音は聞こえない。

 ──まさか電源が落ちた? それとも他の場所で落としたか……。

 大粒の雪は、しんしんと降り続き、少しずつ地面や遊具を白く染めつつあった。


『なんだこれ?』

 唐突に耳元で声がした。甲高い声だった。

「あ、もしもし? 良かった。繋がった」

 誰かが拾ってくれたのか、と井ノ坂は安堵した。

「すみません。それを落とした者です。今どちらにいらっしゃいますか」

 井ノ坂はスマホの向こうにいる声の主に話しかけた。

『……』 

 応答がない。電波が悪いのだろうか。

 いや、違う。耳元でガサゴソと物音がする。

 井ノ坂は苛立って「もしもし? もしもしー?」と大きな声で呼びかけた。

 すると電話の声は『えっ、なんか声がする』と言ったようだった。


『はい?』

 今度は、はっきりと聞こえた。少年の声だ。

「あ、もしもし? 聞こえます?」

『うわ、なにこれ。トランシーバー?』

 iPhoneだよ、と心の中でツッコミを入れる。

『き、聞こえます。どうぞ』

「いや、どうぞは要らない」

 井ノ坂は思わず吹き出してしまった。

「君、iPhone見たことないのか?」

『あいふぉん? これのこと?』

「そうだ。スマホだよ」

『すまほ?』


 井ノ坂は思考する。

 ──おいおい。iPhoneはおろか、スマホすら知らないだと? どんなド田舎だ。いやいや、落としたのは俺の地元じゃないか。ちゃんとスマホは普及してる。親が文明の利器を毛嫌いしてるとか? あるいは……何者かに実社会から隔離されて生きてきた……?

 つい悪い想像がよぎった。


「おい、君。今どこにいるんだ?」

 必要とあれば保護してやることも考えて言った。

 井ノ坂は崖っぷちでもプロボクサーだ。そこらの悪党に負けるほど落ちぶれちゃいない。弱い者を護れるなら、この力を正義のために使い切ってもいい。いっそのこと、そうやって選手生命を終えるのもいいかもしれないと思った。

 井ノ坂は負傷した右の拳を握りしめた。

 

 しかし少年は、あっけらかんとした調子で『公園だよ。水ノ宮第一公園』と言った。

「第一公園? 神社の裏の?」

『うん。そこ』


 井ノ坂は辺りを見渡した。公園はいつの間にか白く染まりきっていた。人の姿はおろか、気配すら感じられない。

 ──完全にからかわれてる。クソガキめ。


「おいおい。大人をからかうもんじゃないぞ、少年。おじさんは今その公園にいるんだ。誰もいないじゃないか」

『う、嘘じゃないよ。本当にいるって。おじさん、場所間違ってるんじゃないの?』

「そんなわけない。おじさんは昔からこの公園に来てたんだ」

『ボクだって毎日来てるから間違うわけないね』

 井ノ坂に張り合うように、少年は食い下がる。


 苛立った井ノ坂は雪にまみれた石ころを蹴り飛ばした。

「一体何なんだ。どうしてこんなことをするんだ。お前は、誰だ」

『おじさんこそ誰だよ』

「俺は……」

 スマホを知らないくらいだ。多少名が知れている自分であっても、きっと知らないだろう。そう思いつつ、子どもにだけ名乗らせるのはいかがなものかと考えた井ノ坂は、堂々と名乗ることにした。


「井ノ坂だ。井ノ坂龍一郎りゅういちろう

 すると少年は少し黙ったあと、奇妙なことを言った。

『どうして、ボクの名前がわかったの……?』

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