雷園寺講師の恋愛講座
「それでは島崎君。一昨日の戦果についてこの僕に教えてくれたまえ」
普段とは異なるもったいぶった口調で、雪羽は半ばおどけながら源吾郎に問いかけた。おどけている事が解っているから何処か滑稽な印象を与えるが、それでも雪羽の振る舞いは様になっていた。黒板を指し示すための指示棒とか、短い乗馬鞭でも持っていたら、それこそバイトの塾講師とか家庭教師にも見えるかもしれない。
初めてのデートだからどんなのが正解か解らないけれど……言いながら、源吾郎は静かに言葉を紡いだ。
「合流したのが朝の十時ちょっと前で、そこからかれこれ五、六時間ぐらいは一緒にいたんだ。いや、米田さんがこの俺に付き合ってくれたと言った方が良いかもしれない」
「初デートで一緒に一泊するなんて事はまず無いだろうから自然な流れだわな。でも良かったじゃないか、六時間も大好きな米田さんと一緒にいる事が出来てさ」
にやりと笑う雪羽に対し、源吾郎は照れ笑いを返すのがやっとだった。わざわざ一泊と口にするところとかニヤニヤとした表情とかから、雪羽の好色さを感じ取ってしまったからだ。そりゃあ若くて血の気が多ければそうした事にも興味はあるだろうけれど。源吾郎だってもちろん興味はあるし。
「――それで島崎先輩。一緒にいる間は何をなさっていたんです?」
「まず喫茶店で暖を取ったんだ。そこで俺はキンカン湯を頼んで、そこのキンカン湯が美味しかったからキンカンジャムと柚子ジャムを買ったって訳。ふふふ、お洒落なお店だと思っていたら、ジャムとかクッキーとかケーキも売っていたんだ。良い所だったぜ」
店員の
雪羽はその話に関心を示しているのか否か判らない調子で、先を進めた。
「後は米田さんがお気に入りだって言う食堂でお昼を摂って、それからブラブラと港町の買い物を楽しんだって感じかな」
反省点はもちろんあるよ。呟いた源吾郎は視線を落とし、いきおい俯く形になった。
「喫茶店にしろ大衆食堂にしろ、米田さんがここに行きましょうって決めてくれたところだったんだ。俺はデートプランを練りきれていなかった。何処へ行こうかって考えていた気もするんだけど、米田さんを前にしたらそんなの吹き飛んじゃって……」
全くもって情けないよな。その言葉は自分に向けた言葉だったのかもしれない。しかし顔を上げてみると、雪羽は軽く首を振るだけだった。嘲りの色もその顔には無い。
「情けなくも何ともないって。先輩の事だから、米田さんに会えた事が嬉しくて、浮かれちゃっただけなんだからさ。心配しないで島崎先輩。何事も経験だって、紅藤様や萩尾丸さんも仰ってるじゃないですか。先輩は女の子とおデートする経験が無かったからうろたえただけで、回を重ねればきっと洗練されるはずだと俺は思うよ。ははは、先輩って本当は賢いんでしょ?」
「賢さがどういう物か解らないのに、賢いかどうかなんて判断は付けられんだろうに」
「そう言う意見が出る事こそが賢さの表れですってば。考え無しのアホだったら、賢いって言われて浮かれるだけですし」
「…………」
話の流れが変わった事に、源吾郎はどう反応して良いか解らず少し戸惑ってしまった。雪羽はもちろんそんな心境を汲み取ったようで、笑いながら言葉を紡ぐ。
「あはは、ちょっと話がズレちゃったか。で、米田さんとはどんな話をしたの?」
「仕事の話とか、玉藻御前の末裔を名乗る狐たちの話かな。雷園寺君の話通り、米田さんは仕事の話も興味を持って下さったんだ」
源吾郎の顔はほころんでいたが、雪羽は逆に何か考え込むような表情を見せていた。
「玉藻御前の末裔を名乗る狐たちか……先輩の恋愛話云々を抜きにして興味あるかも。でもなぁ、その話はその話で長話になりそうだし、今は流しておくか」
そう言った雪羽であったが、源吾郎はむしろ雪羽の態度にこそ興味を持っていた。玉藻御前の末裔を名乗る狐たち。そうした面々を、それこそパンダのような珍獣でも見たかのような表情で雪羽は口にしていたのだから。
「まぁうちは祖母が気にしない性質だからさ、自称・玉藻御前の末裔も大勢いるって事さ。中には玉藻御前にお仕えしていた妖狐たちの子孫とか、割と由緒正しい狐もいるらしいんだけどね。
それはそうと雷園寺君。雷獣たちの中には雷園寺家みたいな名家の出身だって名乗るやつっているのかな?」
「そんな不敬な輩、いる訳がないだろう!」
しまった、と源吾郎が思った時には雪羽の表情は一変していた。猫のように瞳孔が大きく黒々と広がり、滑らかな銀髪が逆立っている。肌の表面や髪の間で生じた小さな放電を、源吾郎は目の当たりにした気がした。
「……他の家の事は知らないけれど、少なくとも雷園寺家ではそういう事は赦されていない。仮にそんなやつがいたら、すぐに誅殺されるだろうね」
口早に雪羽は言うと、ぎり、と牙を噛み締めたようだった。
「雷園寺家の現当主である雷園寺千理でさえ、一部の雷獣たちからは雷園寺家の者だと認められていない程なんだぜ? 先代当主の夫で、きちんと次期当主候補を造るという大役を担ったにもかかわらず、な」
雪羽はきっと、雷園寺千理氏を……実の父親である現当主の事を雷園寺家の者だと認めていない側の雷獣なのだろう。源吾郎はそんな事を思ったが、もちろん空気を呼んで口にする事は無かった。
「ま、そんな訳だからさ、雷園寺家の雷獣だって名乗るのは本家と分家の連中だけさ。偽者連中が入り込む余地なんて無いんだよ」
先程と同じような説明ではあるものの、雪羽の声にはいくらか穏やかさが戻っていた。
「さっきは悪かったよ雷園寺君。実家の事で、君が色々と思い悩んでいる事は俺も知っていたはずなのに……それこそ考え無しだったよ」
「別に良いの。先輩は少し浮かれていただけだから」
源吾郎の謝罪に対し、雪羽は朗らかな様子で受け止めていた。
「多分俺も……浮かれているというか何かちょっと油断して、それで思っていた事が顔に出ちまったんだと思う。だから先輩も、その事に気付いて質問しちゃっただけなんだろうし」
そういうのって油断になるのだろうか。元より雪羽は考えている事が顔に出やすい性質だし……そんな思案を重ねていた源吾郎であったが、それはそうだという事で結局流す事にした。
「それじゃあおデートの話に戻ろうか」
雪羽はそう言いつつも、何処まで話したっけ……と視線を彷徨わせていた。仕事の話をしたというあたりだと源吾郎が助け舟を出すと、雪羽は何度も頷いていた。
「そうだった、そうだったよ。仕事の話とか、仲間の話とかで盛り上がったんだよな。二人とも狐だし、仕事好きだからそりゃあ盛り上がっただろうね」
「それで雷園寺君。君としてはどう思う? 俺のデートは成功したのかな?」
源吾郎が尋ねると、雪羽はとびきりの笑みをその面に浮かべた。
「初デートとしては上首尾だと思うよ。米田さんも、きっと先輩の事を憎からず思っているんじゃないかな。そうでなければ、初めて二人っきりで会うのに五時間も六時間も一緒にならないってば。
ましてや米田さんは不定期労働者でもあるんだからさ」
上首尾だと思う。雪羽のこの言葉が源吾郎の中では何度も反響しているかのようだった。文字通り浮かれた源吾郎に対し、雪羽は少し首をかしげながら言い添える。
「もちろん、女の子が媚びて貢がせようと思って男の言いなりになる事はあるだろうけれど、米田さんと先輩の事を思ったらそう言うのも無いだろうしね。まぁその……先輩も好きな女の人に頼まれたら、ついつい欲しい物を買っちゃいそうな気配はするけれど」
「それは金額によりけりだよ」
雪羽の言葉に、源吾郎はきっぱりとした口調で言ってのけた。
「懐具合でどうとでもなる様な物だったら買ってあげるかもしれないかな。だけど、俺もそんなに持ち合わせがある訳じゃあないから……」
「天下に名だたる九尾の末裔とは思えない言葉っすね。でも、思ったよりも用心深そうだから安心したよ」
「九尾の末裔とかは関係ないだろうに。確かにその通りではあるけれど、今の俺はサラリーマン、それも平社員なんだからさ」
違いないね! 源吾郎の絞り出すような言葉に、雪羽も結局納得の色を見せてくれた。彼も貴族妖怪ではあるものの、教育係である萩尾丸に生活を管理されている身分である。何かと金銭的にままならぬ事は彼も解ってくれるだろう。
次のデートの約束は済んでいるのか、そう言うのは早めに切り出した方が良い。恋愛講座はひとまずそうした話でしめとなった。始業時間まであと十数分あったのだが、今日は月曜日でミーティングがあるためだ。
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