大妖怪も科学技術を尊び使う

 雷園寺講師の恋愛講座、もといデートの戦果についての報告が終わった所で、源吾郎と雪羽はミーティングに臨む準備を手早く進めた。と言っても、仕事用のノートを携えて事務所奥にある長テーブルに向かうだけであるのだが。

 表向きにはミーティングは始業時間に開始する事になってはいる。だが実際には、始業時間よりも数分ばかり、場合によっては五分ほど早めに始まる事も珍しくない。それは研究センターの妖数が少ない事と、上席者たちが早めにスタンバイできる環境下である事が主だった要因であろう。

 何せセンター長である紅藤は研究センター内に暮らしているようなものだし、息子の青松丸も同じような状況である。萩尾丸は比較的遠方から研究センターに通っているが、出社時間は比較的早い。サカイ先輩は神出鬼没であるからそもそも時間に縛られていないような部分も感じられる。

 そうした動きに対して、源吾郎も雪羽も既に順応していた。もっとも、ミーティングの準備と言っても大それたものではない。ノートと筆記具を用意して集まるくらいのものだ。計画の資料については今はサカイ先輩が用意している訳だし。

 しかし今回は少し様子が異なっていた。テーブルの上にラップトップが鎮座していたのだ。一人一人にあてがわれているデスクトップとは異なり、測定器や小型マイクロスコープなどに接続して使うためのラップトップである。


「えっとね、双睛鳥そうせいちょうさんもリモートでミーティングに参加なさる予定なの。だ、だから、島崎君か雷園寺君はその準備をしてくれる、かな?」


 二枚貝のように閉じられたラップトップについて説明したのはサカイ先輩だった。彼女は資料配りをしており、紅藤や萩尾丸はそれらを受け取って内容を確認している。萩尾丸の手許には、さも当然のように広げられたメモ帳があった。


「はい、僕がすぐに準備します!」


 サカイ先輩の言葉に雪羽が勢いよく応じる。ラップトップを開いて電源を入れると、彼は思い出したように源吾郎の方に向き直る。


「今日は俺が大方準備はするけれど……そうだ先輩。先輩はLANケーブルを持ってきてください」


 いつになくキリッとした雪羽の姿に、源吾郎は少し気圧されていた。もちろん返事をしてコード類を収めた小物入れに向かった源吾郎だったのだが、その反応には若干のタイムラグがあったのだ。

 雪羽はLANケーブルを受け取ると、慣れた手つきで一方をラップトップの側面に接続し、それから内線電話の一つを引き抜いてそちらに他方を接続させた。これでラップトップもインターネットに接続されたのだ。


「リモート、か……」


 源吾郎が呟くと、雪羽が振り返ってこちらを向いた。ラップトップは既に起動しており、のみならず何がしかのウィンドウが開かれている。もちろん雪羽が操作して起動させたものだ。きっとリモートでのミーティングに使うためのソフトかアプリなのかもしれない。


双睛そうせいの兄さんが、偏光眼鏡が無かったら俺たちの前に顔を出したくないって言うのは先輩だって知ってるだろう? でももしかしたら偏光眼鏡が届くかもしれないし週初めなんだから、リモートで参加なさるのはごく自然な事だと思うけれど」


 雪羽の言葉は少し刺々しかった。それを感じ取った源吾郎は、手をひらひらさせながら言葉を紡ぐ。


「違うってば。俺とて双睛鳥様が参加なさることについては何も言ってないだろうに。そうじゃなくてさ、パソコンのリモート機能なんて使われるんだなぁって思っただけさ」

「……何だ、で驚いていたんですか」


 ラップトップをそれとなく指し示す源吾郎の姿に、雪羽はにやりと笑った。


「そりゃあリモートだって必要とあらば使うでしょうとも。そういう機能がきちんとパソコンに具わっているんですから。あれだよ島崎先輩。パソコンがおかしくなった時とか、システム屋さんに直してもらうのだってリモート操作が役に立つ時とかもあるんだし」

「そういう物なんだなぁ」


 そういう物だとも。源吾郎の間の抜けた呟きを雪羽は抜け目なく拾い上げていた。

 日頃よりヤンチャだの脳筋気味だのと見做されている雪羽であるが、しかしその一方で機械の扱いに精通しているという側面を持ち合わせていた。雷獣が雷撃や電流になじみの深い種族であり、尚且つ彼の育った環境によるものなのだろう。実際雪羽の叔父叔母たちの中には電気系統の職に就いている者も数名いるらしいし、雪羽自身も幼少のころよりコンピューター――三十年ほど前の事であり、当時はまだパソコンという単語は使われていなかった――に触れる機会があったというのだから。

 源吾郎とてパソコンの類はヒト並には使う事は出来るのだが、雪羽ほど積極的にパソコンを活用しているわけでは無い。年代的に、源吾郎はむしろスマホなどの方が馴染みが深かったのだ。

 リモートなどとカッコつけて言っているけれど、要は離れた所の様子を見、そしてこちらの声などを所定の場所に伝えるという事では無いか。それならば妖術を多少駆使すれば行えるのではなかろうか。源吾郎はふとそんな事を思っていた。

 妖怪たちにとって、人間界に流布している科学技術は自身を脅かす脅威でも何でもない。一般の妖怪、特に人間社会に姿を見せる妖怪は科学技術に適応して生きているし、上位の妖怪にしてみれば科学技術は妖術のに過ぎない。

 だからこそ、萩尾丸や双睛鳥にしてみれば玩具みたいなパソコンを頼ってリモートを行う事が、何とも不思議な事に思えたのだ。

 しかし源吾郎の考えとは裏腹に、打ち合わせの段取りが進んでいく。

 もう既に雪羽はリモート会議の準備を終わらせたらしい。ウィンドウの画面には、双睛鳥の名と共にSNSのアカウントめいたアイコンが表示されている。

 アイコンは顔写真ではなく、コカトリスをヒヨコ風にデフォルメしたイラストだった。可愛らしくも魔物らしさが感じられる、センスの良さを源吾郎は感じていた。


 ミーティングは概ね普段通りだった。打ち合わせの日程や来客の予定などと言った事柄が語られたのだ。なお打ち合わせや来客対応は萩尾丸や青松丸などの上席者が行うため、源吾郎たちは直接的に関与するわけでもない。

 ただ一点だけ、普段とは異なる内容がこの度のミーティングには織り込まれていた。双睛鳥の偏光眼鏡が本日ないし明日には到着する。萩尾丸の口からそのような報告がなされたのだ。


「知っている妖もいると思うけれど、セシル様は運送便を用いてこちらの研究センター宛に届くように手配を進めてくださっているんだ。今しがた、メールで送り状の連絡も入ったからね。

 多分大丈夫だとは思うんだけど、工場棟の方に紛れ込む可能性もあるから、その辺りは皆で気を付けて欲しいんだ」

「確かに研究センターと工場棟は同じ住所らしいですもんねぇ」


 萩尾丸の言葉に訳知り顔でそんな事を言うのは雪羽だった。やはり雷園寺は俺よりも年長の妖怪なのだな。源吾郎は静かにそう思っていた。源吾郎のデートの様子を評し、慣れた手つきでリモートの段取りを進めていたのを見たからそう思うのかもしれない。


「それにしても、セシル様も運送便をお使いになられていたんですね」


 源吾郎のその呟きには、特に深い意味は無かった。純粋に、浮世離れした魔女のような雰囲気のセシルが、運送便で偏光眼鏡を届けるという一般妖怪めいた選択をした事について驚いていただけだ。

 多くの魔物を従え、ドラゴンであるが魔女として魔術に精通している彼女の事だから、魔法なり妖術なりを使ってこちらに送り届ける事もできるのではないか。そんな風に源吾郎は思っていたのだ。


「妖術で全てを解決できるほど、世間は単純では無いのだよ、島崎君」


 源吾郎の呟きを拾ったのはやはり萩尾丸だった。驚いて目を瞠る源吾郎の姿を、彼はさも面白そうに眺めているではないか。


「妖術を習得すれば出来る事の幅が広がる。紅藤様や僕が、過去に君にそう言った事も確かにあるかもしれないね。だけど島崎君。使える力や妖術があったとしても、特に何も考えずに使いたい時に使えば事足りる様な物では無いんだよ。ある程度術を使いこなすようになったら、その術を使うべきなのか、使わず別の手で切り抜けるべきなのか判断しなくてはいけないからね。どうでもいい術だったとしても、それを使う事で消耗する事には変わりないんだから」

「確かにそうですね」


 解るよね、などと萩尾丸は丁寧に問いただしはしなかった。しかし消耗、という言葉を聞いただけで源吾郎には十分だった。源吾郎は半妖であるがために、純血の若妖狐よりもスタミナ面・体力面で劣っている。その自覚があったからだ。


 運送便の運転手が研究センターにやってきたのは、午後の中休みの前後の事だった。朝の打ち合わせで言っていた通り、双睛鳥の偏光眼鏡が届いたのだ。

 セシルの工房から届けられたそれは、ティッシュペーパ―の箱よりも小ぶりな段ボール箱だった。段ボール箱と言っても、よくある薄い褐色の不愛想なデザインのものではない。全体的にお洒落な箱だと源吾郎はまず思った。木目調の模様がプリントアウトされており、箱の中程には工房の名前と思しき横文字が記されている。フランス語であろう事は源吾郎も何となく察していた。そうした箱であったから最初は木箱の類だろうかと源吾郎は思ったほどだった。段ボールの割には頑丈な造りであるように思えたし。普通の段ボールではなく、セシルが工房にて使うために特注している者なのだろう。

 そしてその箱の上部には、ワレモノ注意のロゴマークもきちんと印字されていた。妖怪たちは術を使うべき時を判断する。それは大妖怪とて同じ事である。萩尾丸がミーティングの際に言っていた言葉が、源吾郎の頭の中で反響していたのだった。

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