キツネの運ぶ手土産談義
月曜日。週初めの憂鬱さなどとは一ミクロンも無縁である事をまざまざと見せつけながら、源吾郎は颯爽と研究センターに出社した。居住区暮らしなので出勤時間など微々たるものなのだが、そこはまぁ良いだろう。
片手に提げていた紙袋をこれ見よがしにテーブルの上に置く。百貨店のロゴマークが入ったやや大ぶりの紙袋の中に入っているのは、米田さんとデートした時に購入した物たちだった。内訳は柚子とキンカンのジャムやぶつ切りにしたウミヘビの干物、それから皆に配れる個別包装のクッキーなどとバリエーションに富んでいる。
これらは静養中の双睛鳥への心づけと、研究センターの面々へのちょっとした手土産として購入した物だったのだ。休日に遠出をしたものが手土産を携えてやってくる事は、新社会妖である源吾郎も知っている。兄姉たちからそう言う話は聞かされていたし、部活の仲間内でもそんな事をやっていた事があるからだ。
「おはようございます島崎先輩。へへへ、何かとっても嬉しそうやん」
快活な声と共に雪羽が姿を現した。探す手間が省けたと喜ぶ半面、ニヤニヤ笑いを浮かべる雪羽を見ていると何処か気恥ずかしくなってしまった。嬉しそうな理由は雪羽も解っているだろうし、源吾郎がこれから何を言うかも雪羽は勘づいている事だろう。
その雪羽の視線は、源吾郎から外れて紙袋に向けられた。今一度源吾郎と目を合わせた時には、雪羽は少し驚いたような表情を浮かべている。
「これは何ですか、先輩?」
「何って、ちょっとしたお土産だよ」
雷園寺の分ももちろんあるからな。そう言って紙袋からクッキーの箱を取り出そうとした。そんな源吾郎を見ながら、雪羽は軽く吹き出している。
「ぷふっ。週末は米田さんとのおデートを楽しんでたと思っていたのに……まさかお土産を持ってくるなんて予想外だよ。あれでしょ、確か参之宮の辺りをぶらついたんだっけ」
「その通りだけど……」
おかしがる雪羽を見ながら、雪羽と源吾郎での参之宮の認識の違いを唐突に悟った。亀水在住だった雪羽にしてみれば、参之宮は近場の範疇に入るのだろう。一方の源吾郎は白鷺城下の出身である。実は白鷺城から参之宮の距離は、参之宮から他府県であるはずの大阪よりも遠い。源吾郎はだから、無意識のうちに参之宮を遠くにあると思っていたのかもしれなかった。
照れくさくなった源吾郎は咳払いすると紙袋の中からジャムの瓶を取り出した。キンカンのジャムと柚子のジャムである。午前中に米田さんと共に入った喫茶店で購入した物だった。それぞれお湯に入れて溶かせばキンカン湯と柚子茶が楽しめるという代物である。
「何、このジャムは元々双睛鳥様を元気づけるために良さそうだと思って買ったんだよ。それで、よく考えれば雷園寺君も果物とか甘いものが好物だったから、それで君の分も用意したんだよ」
源吾郎はそこまで言ってから、気遣うような眼差しを雪羽に向ける。
「とはいえ、俺が個人的に気に入って買っただけだからさ、もしかしたら雷園寺君の口に合うかどうかは判らないんだ。蜂蜜で甘みを付けてあるとはいえどっちも柑橘類だしさ」
「柑橘類言うてもキンカンジャムと柚子のジャムだろう? レモンじゃあるまいし、俺は平気だよ。むしろ美味しそうだなって思ってるくらいさ」
俺がミカンとかを喜んで食べるのは知ってるでしょ? 何故か少し得意気に微笑む雪羽を見て、源吾郎は安堵していた。
もちろん、雪羽がジャムを受け取らない時の選択肢も考えていた。その時は二セット分そのまま双睛鳥に渡すか、一セットは研究センターに寄贈しようと思っていたのだ。併設する工場には自販機があるものの、研究センター内ではインスタントコーヒーや紅茶などと言った、お湯を注いで作れる飲み物の基が大体常備されていたためだ。
そして、そう言う事も考慮してクッキーなども購入していた訳だし。
それはさておき、源吾郎は雪羽の返事が素直に嬉しかった。自分が美味しいと思ったものを、雪羽も良さそうだと喜んでくれたからだ。いささか子供じみた考えかもしれないが。
そんな事を思っていると、雪羽がじっとこちらを見つめている事に気付いた。先程までとは異なり、何処か神妙な面持ちである。
「そう言えば先輩、さっき双睛の兄さんの為にキンカンジャムとかを買ったって言ってたけれど、他にはどんな物を買ってるの? その紙袋だと、他にも色々買い込んでいるみたいだけど」
雪羽の視線は紙袋に注がれていた。何も言わずともそこまで解るとは。雪羽の洞察力の高さに感心しつつ、源吾郎は頷いた。
「後はウミヘビの干物とかが良い感じに売ってたから、それも少し買ったんだ。双睛鳥様は蛇もお好きだから。もちろん、紅藤様や青松丸先輩へのお礼も兼ねているんだけどね」
「紅藤様たちへのお礼って?」
「お正月休みに帰省している間、ホップの面倒は青松丸先輩が見てくださったんだ。本当はもっと早くお礼をしたかったんだけど、双睛鳥様の事もあってそれどころじゃあ無くなったからさ」
「やっぱり先輩は律義だなぁ」
雪羽はそう言って笑っていたが、しばらくすると何処かホッとしたような表情を浮かべた。どうしたのだろうと思っている間に、彼はその理由を口にし始めている。
「実はさ、俺も双睛の兄さんの為にちょっとした物を用意していたんだ。それでさ、先輩が用意した物と被ってないから良かったなって思ってたところ」
「まぁ別に物が被ってもそんなに不都合はないと俺は思うけど。それで、雷園寺君は何を用意したの?」
「邪眼除けのお守りさ。亀水にも色んなお店があるからね」
雪羽が用意したという物品の名を耳にした源吾郎は、思わず片頬が引きつるのを感じずにはいられなかった。双睛鳥は魔力の宿るおのれの眼を忌まわしく思っている訳であるが、しかしだからと言って邪眼除けなどをプレゼントするのは如何なものであろうか。
訝る源吾郎の眼差しに気付いたのか、雪羽は敢えて朗らかな笑みをこちらに向けた。
「まぁ確かに驚かれるのも無理はないかもですけれど……双睛の兄さんは案外邪眼除けはお好きなんですよ。自分というよりも、周りの妖のためにご用意なさっているのかもしれませんし、何より舶来ものだとブローチとかアクセサリー仕立てなんで普通にお洒落だしね」
雪羽はそこまで言うと、ほんのりと笑みを浮かべて言い添えた。
「よく思い出してよ島崎先輩。双睛の兄さんは、あの偏光眼鏡を新調するために、セシル様の工房に出向くようなお方なんだぜ。だからさ、表立って宝石とか金ぴかの光り物を好まなくってもさ、趣味の良いアクセサリーとかに心惹かれたりなさる訳なんだよ」
成程ね。源吾郎はそう言って納得する事にした。考えてみれば、双睛鳥の事は雪羽の方が源吾郎よりも多くを知っているのだ。親戚のお兄さんのような存在だったとも言っていたではないか。双睛鳥が喜ぶだろうと雪羽が判断したのだら、その判断については狂いはなかろうと思う事にした。
雪羽はヤンチャな所があり、悪ガキだったところもあったのかもしれない。しかし陰湿な嫌がらせや厭味を言うような手合いで無い事は、源吾郎もよくよく解っていた。
それはそうと、金ぴかの光り物とかはそれこそ雪羽や三國が好みそうな代物だよな。そんな考えが脳裏をかすめたが、源吾郎はそう思うだけで特に口にはしなかった。
源吾郎はみんなに配る用のクッキーもある事を雪羽に伝えた。もちろんこっそり雪羽にジャムを渡す事もできたのかもしれない。しかし師範や上司を差し置いてそう言う事をするのは気が引けたのだ。
ちなみにクッキーはやはり妖怪向けであり、獣妖怪たちが食べても大丈夫な代物である。人間が食べたら味が薄いと思うかもしれないが、そこはまぁ致し方ない所だ。
クッキーについては先に配布しておこうか。そんな事を思った源吾郎を雪羽が引き留めた。何処か興奮した様子の彼は、翠眼をぎらつかせて頬を火照らせながら源吾郎を見つめている。
「島崎先輩。クッキー配りなんて後でもできるだろう。それよか俺、先輩からとっておきのお土産をまだ受け取ってないんですよ」
とっておきのお土産とは何の事であろうか。割と素直に悩んでいた源吾郎に対し、雪羽は間髪入れずに言い足した。
「お土産はお土産でも土産話がまだじゃないですか! 米田さんとのおデートの結果はどうだったんです?」
「そうだ、それをすっかり忘れとったわ!」
米田さんとのおデート。気取っているような様子で放たれた雪羽の言葉に、源吾郎も鋭く反応した。もちろん、源吾郎は先日のデートの結果は雪羽に伝えるつもりだった。単に話題を共有するためではない。色恋に詳しい雪羽の意見を仰ぐ事を目的としていたのだ。要するにフィードバックだ。
訳知り顔で雪羽は源吾郎を見つめ、流れるように言葉を紡いだ。
「まぁ、先輩の様子からして良さそうな感じだって言うのは何となく察しているんだけどさ。でもやっぱり、先輩の事だからあれこれ詮索されるより自分で話したいよね?」
「ははは、男女の恋愛に詳しい雷園寺先生にお話を伺えるのなら、それは嬉しい事さ!」
おどけたように源吾郎が言うと、雪羽もつられて笑い始めた。
そうして源吾郎は、デートの結果について話し始める事となったのだ。
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