第3話 日常

 昨日の二人を思い出して、眠れない年越しであった。

 スマホを手に取る。

 時間は午前五時を大きく回っている。

 発信アイコンからリダイヤルを掛ける。


「ただいま、電話に出ることが出来ません。御用の方は……」


 やぎ氏が電話に出ることは無かった。

 昨日、ワーワー後にも何度か発信をしてみたが、同じである。


 本当にそう。

 もうやぎ氏はいないのだ。


 受け入れがたい。

 受け止めがたい。

 こうなるとは分かっていた。

 が、手前からの覚悟の日々など、所詮は空論。

 やはり、実際に体感すると形容しがたい虚しさが体を包んでいる。


「はぁ」

 溜息だけは、無限に出るようだ。

 何も手につかない。

 

 やぎ氏がいないこと。

 そして、次は自分の番であること。

 人生というものの儚さを、改めて痛感する。


 だからと言って今日から絶望に浸り入ったところでどうしようも無い。

 ワーワーは年末なのだ。

 ただちに自分がどうなるとか、そういう話ではない。

 実質一年間、どうあれ普通に過ごさなければならないのだ。


 腹が減ったらメシを食べなければいけない。

 家賃も電気代も払わなければならない。

 仕事もある。


 今日は早番の勤務シフトである。

 初仕事。

 六時から。

 

 貯金は無い。仕事をしないとそもそも年末まで生きていられない。

 仮にワーワーに出ることがバレたとしても、明日のシフトには変わりはないはずだ。


 常に考えていたこと。

 選ばれたとしても、普通に、至極通常に生活していこうということ。

 慌てず、騒がず、いつも通り。

 やぎ氏がそうだったように。

 最後の日まで普通でいようと。


 冷蔵庫に入っているパンをオーブンで焼いた。

 ただ焼いたパンにマヨネーズをかける。

 餅は用意していなかった。

 正月らしい、とは掛け離れた独身男の食事。

 更新されるニュースを横目に、牛乳で流し込んだ。


 シャワーを浴びていなかったな。

 でも、そこまで時間が無いから、やめるか。

 洗面台で歯を磨きながら、目の前の唯一の家族と頭の中でおしゃべりをする。


 今日はそんなにお客さんは来ないだろうな。

 バイト人生、何度も経験した年始の客数の少なさ。

 一日の朝からコンビニで買い物をする客はほとんどいないのだ。

(営業休みにすりゃいいのに)

 

 この世界の最大手コンビニ【ピットインライフ】へ今年も始まる脳内クレーム。

 三百六十五日営業もそろそろ限界だろう。

 と思いつつも、生活の為の恩恵に預かっていることも片隅では理解。

 だから、何も言わない。外には出さない。ということで今日も仕事へ向かう。


 私の日常。

 昨日までと変わらない。

 そしてこれからも変わらないであろう普段通り。


 ワーワーに選ばれたこととは別に、この川は止まることなくせせらいで往く。

 

 財布とスマホを入れた手提げカバンを持ち、誰もいない部屋を見渡す。

(入っても取られるもん無いんだけどな)

 家の鍵を閉める時、いつもそう思う。


(自転車こぎ初め)

 四年間世話になっている銀色のシティサイクルは、主を待っている。

 八分ほどの道のり。

 寂しい中年独身男から【ピットインライフ花の木店】の店員へ。

 自分が変わる為の道のり。

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