第50話 窓辺の猫のように

 窓辺の猫のように、窓枠に座り下を通る人を見ていた。都内の高層ホテルだが、部屋は3階。声をかけたら顔を向けてくれそうな距離感だが、そもそも窓は開かず、かける言葉はない。しかし人とはこんなにも上を見ないものなのか。私に気づく人は誰もいない。


 皆、こぎれいな服を着て、流れを乱すことなく歩いている。それだけですごいと、もはや今は思う。ほぼ全員がひとり、言葉を交わす様子はない。手の平にあるスマホが光を放ちながら、隣のビルに吸い込まれていく。所属する場所があって、決められた時間がある人たちの歩き方だ。


 子どもの頃、小学校の隣に大きな公園があった。その横に寄せ場というのか日雇いの斡旋所があったので、今風に言えばホームレスのおじさんたちがいた。おじさんは終日、じっとしている訳ではない。仕事があればどこやらに出かけて行くし、トイレで洗濯をしてツツジの丸い木にシャツを広げたり、ワンカップを開けたりしている。


 たいてい背中を丸めて視線を落とし周囲を伺うこともなく、ゆったりと歩く。今は違うのだろうが、当時の私たち子どもはおじさんたちを怖いとは思わなかった。それは揉め事がないこともあったが、あの歩き方にあったのだと思う。所属することを嫌っているのか諦めたのか、キョロキョロもギラギラもしていなかった。


 所属、という言葉を使ったが、私は今、無所属だ。自分では見えないが、どんな歩き方をしているのだろうか。勝手に決めるのは失礼だが、無所属だと見えるおばさまに出逢った。平日の昼下がり、パン屋さんの中にあるイートインスペースに私より年配と思われるご婦人がひとりでいらした。


 飲み物の追加なのか、身ひとつで席を立たれて、パンを買い求める私たちの後ろに並んだ。少しばかり場所を譲るように後ろを向いた私に、彼女はいきなり話しかけてきた。「エコバック、すてきですねぇ」 私のバックを見ている。私は驚いて「あぁ、ありがとうございます」とだけ応えた。


 おばさまはにっこりと笑って、コーヒーを手に軽やかに席に戻られた。明るい色の歩きやすそうなスニーカーだった。いきなり話しかけられることに慣れていない私は、いつも後から思う。あのエコバックは或る障がい者団体の品だったから、その話をすれば良かったと。1つ買ってもらえたかも知れない。


 タクシーを待っているときも、ひとり旅らしい高齢の婦人に話しかけられた。無所属になった者の歩き方は…と書き始めてみたが、人それぞれなのだと、その人の生き方なのだと思った。時間を気にせずに行きたいところに行く、やりたいことをやる。話したいと思ったら知らない人にも気軽に話しかける。そういう人は顔を上げて軽やかに歩いている。


 行きたいところ、やりたいことをみつける。自分の好きなことをみつける。無所属となった2年と4カ月前、それが大切だと思った。そして私は「書くこと」が好きだと気づいて、これから書いていきたいと宣言した。だが、最近は書きたいことがみつからない。窓辺の猫のように行き交う景色をみているが、頭のなかは白い紙のままだ。


 景色が情景となる。心が動く。感動が創造のみなもとだと思う。心の動きが少し鈍くなったのか。年に一度の旅行が終わって疲れているのだろうか。私にとって書くことは、唯一と言っていいほど「面倒」だと思わないことだ。書くことを求められなくとも、誰にも読まれず褒められたりしなくとも、私はただ書いていた。そこに戻ろうと思う。


※※※※※


  新米老後生活として2年前から書かせていただき、おかげさまで50話を

  数えました。ひとつの区切りとして、今回をもって完結といたします。

  つたない話を読んでいただいた方には心から感謝申しあげます。


  少しだけ休んで、来月下旬(2025/5)には心機一転、新しい話を投稿する

  予定です。「カクヨム みそのちい」で検索していただけると嬉しいです。

 

  ありがとうございました。

 

 

 

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新米老後生活 みその ちい @omiso-no-chii

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