第二の鑑定  戻ってくる手毬 2-1


 中津川、雪緒、甲斐の三人は、手毬の持ち主が住む深川区に出向いた。

 深川区は海辺の地域だ。さらに、区内を横十間川と墨田川という大きな川が流れているので、水気の多い土地である。

 富岡八幡宮という有名な神社があり、江戸時代はその八幡さまの門前町として栄えた。もちろん明治になった今でも、お参りに訪れる人が多くいる。

 中津川工房のある神田区と深川区は、隣りあっていないものの、間に日本橋区を挟んだだけの位置関係である。歩いていけない距離ではなかったが、今日は人力車を使った。虚弱体質の中津川が徒歩を断固拒否したためだ。

 仕事をしない画家とその弟子の懐事情を鑑みて、俥代は甲斐が景気良く三人分払ってくれた。神様仏様、甲斐様々、と言ったところだ。

 俥は深川の大きな通りで停まった。そこから一本入った細い通りに、持ち主の女性の家があるという。

「持ち主の名前は、はらキヌヨさん。以前は結婚してたけど、半年ほど前に離婚して、深川に越してきたらしい。今は長屋で着物の仕立てをしながら暮らしている人だ」

 細い路地を歩きながら、甲斐は中津川と雪緒にそう説明した。

「ふむ。曰く付きの品を持っているなら裕福な家に住んでいるのかと思ったけど、そうでもなさそうだな」

 中津川は路地に並ぶ長屋を見回して言った。

 細い裏通りの両端には、隙間を惜しむようにしていくつも棟割長屋が建てられている。中津川工房も長屋だが、それよりも狭いものが多いようだ。

 美術品を保有できるのは一部の裕福層に限られる。実際、以前に甲斐が持ち込んだ案件の多くはそういった裕福層が所有者だった。が、今回は様子が違う。

 やがて、三人の先頭を歩いていた甲斐が、一軒の長屋の前で足を止めた。

「ここだよ。声を掛けてみる」

 すみません、と言いながら甲斐は控えめに戸を叩いた。

「はーい。どうぞ上がって!」

 すぐに、中からはきはきした女性の声が聞こえてくる。

「お邪魔しまーす!」

 雪緒も元気に答えながら長屋に入ると、土間を上がったところにある畳敷きの間で、一人の女性が片付けをしていた。この女性がキヌヨだろう。

「キヌヨさん、こんにちは。約束通り鑑定士の友人を連れてきました。今、お邪魔してもいいですか?」

 甲斐が物腰柔らかに言うと、キヌヨは針箱や布地を抽斗に仕舞いながらにこっと笑みを浮かべた。

「もちろんだよ甲斐さん。御免ね、散らかってて。ちょっと仕事してたものだから」

 片付けていたのは着物の仕立てに使う道具だろう。それらがすべて仕舞われたところで雪緒たちは土間を上がり、畳敷きの間に腰を下ろす。

 途端に室内はいっぱいになった。中津川と甲斐が揃って長身なせいもあるが、それを差し引いても家の中が狭い。

 普段雪緒たちが暮らしている長屋は二階建てだが、ここは平屋だ。今いる畳敷きの間の奥にはもう一部屋あるようだが、それも広い部屋ではないだろう。全体的に、かなり小さい作りになっている。

 とはいえ、よく片付けられていて、居心地は良かった。小さな戸棚の上には可愛らしい人形が置かれ、壁には色とりどりの花が描かれた女性らしい掛け軸が飾られている。

「狭いけど勘弁してね。ここ、独り身用の長屋なんだよ」

 キヌヨは言いながらてきぱきと三人の前にお茶を出した。それを一口飲んで落ち着いたところで、甲斐が動く。

「キヌヨさん、こちら、俺の友人の鑑定士とそのお弟子さん」

 甲斐の手の平が雪緒たち指し示した。自己紹介をしろという合図なのは明白だが、中津川は微動だにしない。挨拶や自己紹介を面倒臭がる師匠の代わりにぺこりと頭を下げるのが、弟子としての雪緒の役目である。

「はじめまして、キヌヨさん。こちらが中津川一臣先生です。ぼくは弟子の井上雪緒と言います!」

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