第一の鑑定 血の涙を流す少女の肖像 6-4
中津川と英一の会話は、突然中断された。
横槍を入れたのはよし香だ。よし香は音をたてて立ち上がり、中津川から英一を庇うように一歩前へ踏み出す。
「お父さまは……そう、何か勘違いなさったのよ。瓶の中味で人を殺せるなんて知らなかったんだわ。お父さまがわたしを殺すなんて、そんなはずありません!」
よし香の表情は、今まで見たこともないほど強く歪んでいた。
しかしその視線を真っ向から受けても、中津川は眉一つ動かさない。
「どうしてそう思うんです? よし香さん、現にあなたは英一さんの指示通りに薬品を使って瓦斯を吸い込み、胸が苦しくなっているんですよ」
「だって……だって、そんな瓦斯を吸い込んだら、寝ていても苦しくて目が覚めてしまうでしょう? 現に、わたしは目を覚ましたわ。それで自分で部屋から出て助かったのよ。さっきは雪緒くんも途中で目を覚ました。寝ている最中に毒殺するつもりなのに、その毒で目が覚めてしまったら意味がないわ。瓶の中味について把握していたなら、きちんとわたしを殺せたはずよ。だから、お父さまは瓶の中味を知らなかったんだわ!」
よし香の言うことは一理ある。
瓦斯の効果は雪緒自身が身をもって体験している。苦しくてとても寝ていられる状態じゃなかった。
いくら睡眠中に瓦斯が発生するように計算していたとしても、よし香が途中で起きてしまっては意味がない。目覚めてしまえば部屋から出て生き延びることができる。
つまり、瓶を渡したからと言って確実に殺せるとは限らない。そんな不確実な方法を、人殺しの手段として用いるだろうか……?
「お父さまがわたしを殺そうとしたなんて嘘だわ。なら、なぜわたしはこうして生きているの?!」
よし香の声は、ほぼ叫びと化していた。そんなよし香に向かって放たれたのは、中津川の淡々とした言葉だ。
「それは、あなたがあの日『良く眠れる薬』を呑むのをたまたま忘れていたからですよ」
「薬……?」
形の良いよし香の眉がぴくりと上がった。
「よし香さん。あなたは普段から眠りが浅く、睡眠薬を使っている。あの日それを忘れずに飲んでいれば、朝まで目覚めることなく瓦斯を吸い込んで死んでいたでしょう。英一さんはあなたが睡眠薬を使うことも考慮に入れていた。あなたが死ななかったのは、単に運が良かっただけです」
「そんなの嘘よ! だってお父さまは、お母さまが亡くなったあとも、あんなに優しくて……」
嘘、嘘、と呟きながら、よし香は取り乱したように頭を横に振る。
中津川はしばらく黙ってそれを見つめたあと、軽く溜息を吐いた。
「あなたは随分と父親を信じているようですね。でも、英一さんは一度の失敗くらいで諦めるつもりはなかったようですよ」
「どういうことですか……?」
「さっき確認したんですが、薬品の瓶はまだまだ余っていた。英一さんは一度では使い切れない量を手に入れていたんです。すなわち、あなたが死ぬまで何度でも同じことを繰り返すつもりだった」
「……嘘。嘘よ! そんなの……厭……」
よし香はとうとう顔を覆って泣きだした。中津川の視線は、喋れなくなったよし香を通り越し、英一へと飛ぶ。
「すごいことを考えましたね、英一さん。この方法ならよし香さんが亡くなっても誰もあなたのせいだとは思わない。よし香さんは自ら鉢植えに薬を撒き、自ら暖炉で火を焚いて、自分の部屋で寝ただけですからね。……でも」
中津川はゆっくりと立ち上がり、英一を見下ろした。
「僕の眼は誤魔化せない」
銀縁眼鏡の奥で、怜悧な瞳が鋭く光る。
何もかもを見透かす鑑定士の眼だ。もう誰も、言い逃れはできない。
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