第一の鑑定 血の涙を流す少女の肖像 6-3
「さてよし香さん。あなたはこれを英一さんからもらったと言っていましたね」
「はい。お父さまが亜米利加から取り寄せてくれた、植物用の栄養剤ですわ」
「五日前、あなたは自分の部屋に持ち込んでいた極楽鳥花の鉢植えに、初めてこれを使った。『夜寝る前に、二十本以上の量を使え』。英一さんからはそのようにな具体的な指示を受けていたのではないですか?」
「……その通りです」
「なるほど、やはりそうですか」
中津川はずり落ちた銀縁眼鏡を指で押し上げると、ふっと不敵な笑みを浮かべた。手にした小瓶と、眼鏡にはまった硝子のレンズがきらりと光る。
「これは植物の栄養剤などではありません。恐らく、鼠の駆除などに使われる有機系の薬品です」
「……え?」
よし香は瞳を大きく見開いた。
「この手の薬品は気化すると古い絵の具と反応を起こしやすい。……絵に変化をもたらしたのは、間違いなくこの瓶の中味です」
「嘘……」
浴衣に包まれた華奢な肩が、微かに震えだす。
よし香はそのまま顔を伏せて、黙ってしまった。中津川はやれやれと肩をすくめ、今度はよし香の隣に鋭い視線を投げる。
「ここからは英一さんに尋ねた方がよさそうですね。……英一さん。あなたはこの殺鼠剤を、栄養剤だと偽ってよし香さんに渡した。なぜそんなことをしたのでしょう」
「な……わ、私は……」
急に話を振られた英一は、唇を震わせながら、おどおどと口ごもった。
「では、僕が答えましょう。英一さん、あなたは殺鼠剤から出る瓦斯を吸わせて……よし香さんを殺すつもりだった」
「せ、先生!! 何言ってるんですかっ!」
雪緒は思わず座っていたソファから立ち上がりかけた。中津川の言動はあまりにも物騒すぎる。こんなこと、冗談では済まされない。
しかし、中津川は雪緒を目で制した。
「殺鼠剤は本来人の生活する場所で使うものだから、適量を使うぶんには全く問題ない。だけど動物を殺せる薬品です。濃さを調節すれば人も死に至る。実際、五日ほど前も今日も、瓦斯は大量に発生した。絵の具と化学反応を起こすほどにね」
雪緒の脳裏に、あの不気味な絵がはっきりと像を結んだ。
中津川の言う通り、実際に絵の中の少女は泣いたのだ。……紅い涙を流して。
「よし香さんがはじめてこの薬品を使った日……すなわち初めて絵が涙を流したあの日。ひどく胸が苦しくなったと言っていましたね。実はさっき、雪緒くんにも全く同じ症状が出た。恐らく瓦斯の毒性が、身体に悪さをしたのでしょう」
よし香の部屋で目を覚ました時、胸が締め付けられるように苦しくなった。頭は岩で殴られたように痛く、とにかく苦しかった。最後は息も出来なくなるほどに……。
中津川が飛び込んできてくれなかったらどうなっていただろう。雪緒はそう考えて、少し背筋が寒くなった。
中津川は英一の方を見据えた。
「よし香さんは五日前も今日も、これを一気に二十本以上使った。しかも暖炉の火で温められた、気密性の高い部屋で。瓦斯はよし香さんが眠っている間に発生し、濃くなるように計算されていたんです。すべてを計画したのは、英一さん……あなただ。あなたはよし香さんが鉢植えを部屋に持ち込むのを知って、瓦斯中毒で死に至らしめる計画を立てたんです」
「わ、私は……確かに瓶をよし香に渡した」
英一は消え入りそうな声でそう言った。しかしすぐに大きく頭を振る。
「だけど、し、知らなかったのだ。それが鼠を殺す薬だったとは!」
「知らなかった……? それはおかしい。英一さんはご自分でこの瓶を海外からわざわざ取り寄せたんですよ。それに、知らない薬品の使用方法を細かく指示するのは無理です」
中津川の瞳が冷酷に光っている。
「し、しかし、私は……」
「お父さまは、そんなことをしませんわ!」
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