第一の鑑定  血の涙を流す少女の肖像 6-2

「瓦斯……って、そんな……」

 英一は気が抜けたようにソファに身を沈めた。今度は浴衣姿のよし香が、代わって口を開く。

「あの、中津川先生。そういう化学反応は、よく起こることなのですか?」

「最近の絵の具ではそうそう起こらないでしょうね。でもあの絵が描かれたのは百年以上前だ。昔の絵の具はちょっとのことですぐに変化を起こして、全く違う色に変わってしまう場合があるのです」

「そうなのですか……」

 よし香は小さく頷いた。英一と違い、すぐに納得したようだ。

 化学反応。そして瓦斯。

 中津川の説明は理路整然としている。ここまで言い切るからには絶対の自信があるのだろう。

「……そうか。しかし、これでおかしな絵ではないと判明したな。ならば、良かった」

 しばらくして、英一がようやく頷いた。

 何だか吹っ切れたように明るい表情を浮かべて、隣に座っていたよし香の肩を軽く叩く。

「よし香、良かったな。これでまた、自分の部屋で眠れるぞ」

「え、ええ……」

 よし香は呆然としながらも微かに笑みを浮かべた。……その時。

「待ってください。僕の説明はまだ終わっていませんよ」

 中津川の鋭い声が、親子の会話をたちどころに切断した。今まで笑顔を浮かべていた英一が怪訝そうな顔をする。

「どういうことだ。あの絵は曰く付きでもなんでもないただの絵なのだろう? もうそれでいいじゃないか」

「いいえ、良くありません。今僕が説明したのは、瓦斯が古い絵の具と化学反応を起こして、色が変わってしまったということだけです。……では、その瓦斯はどうして発生したのでしょうか。肝心なのはそこですよ」

「中津川くん。私は、きみが何を言いたいのか全く分からない。もう、好きにしたまえ」

 そう突き放すように言って、英一は口をつぐんだ。

 中津川は当然のように続きを話しだした。

「あの絵は何年も前からよし香さんの部屋に飾られていたのに、変化を起こしたのはほんの五日前だ。それまでよし香さんの部屋で瓦斯が発生することはなかったんですよ。……つまり五日前に、何か瓦斯が発生する原因となるものがあの部屋に持ち込まれたんです。もちろんそれは、今日もあった」

 よし香の部屋にあったもので、特殊な瓦斯を発生させる原因になりそうなもの……。

 そんなのあったかな、と雪緒は首を傾げた。特に変わったことはないように思ったのだが……

「瓦斯の発生源となったもの……それは、これです」

 骨ばった手が着物の懐に差し入れられ、再び引き出される。中津川の手の平には、何か小さなものが載っていた。

「あ、先生、それ……!」

 雪緒は思わず声を上げた。

 中津川が手にしているのは硝子の小瓶だった。先ほどよし香の部屋で使った、植物用栄養剤の空き瓶だ。

「雪緒くん、きみはこの瓶を知っているね。よし香さんから話を聞いたよ。一緒に、部屋の鉢植えに掛けてやったんだろう。……瓦斯の発生源はこれさ」

「ええっ、だってそれ、栄養剤ですよね。ただの水みたいな液体でしたよ?」

「これが蒸発したんだよ。室内が暖炉で温められていたから、どんどん気化しただろうね。しかもあの部屋は保温のために他よりしっかりと作られている。部屋が密閉されていれば、蒸発して発生した瓦斯はどんどん濃さを増す。濃くなった瓦斯と絵の具が反応して、あの絵に変化をもたらしたのさ」

 そこまで説明すると、中津川はゆっくりとよし香の方を振り返った。よし香はまだ、何が何だか分からないといった表情を浮かべている。

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