第四十一話 本当の敵 -3
裁判所から戻ってきたのは池沢一人だった。すぐに華が立ち上がった。
「チーフ! どうでした!?」
「どうもこうも……クソだった、あの弁護士」
その険しい顔つきに誰も声が出ない。それ以上何をどう聞かれても池沢は返事を拒んだ。
「言っていいかどうかはジェイが決めることだ。ただな、ありゃ裁判じゃなかった。言葉の暴力だった」
(なにがあった? 終わったら仕事に来るんだと言ってたのに。課長がそばについて一緒に早退するほどのことがあったってこと?)
電話をかけるのは躊躇われた。よほどえげつないことを聞かれたのだろう。それだけは分かった。
「おはようございます」
「おはよう」
次の日のジェイの顔からは何も読めなかった。まるで『今日は仕事だけさせて』とでも言っているようだ。
朝礼では課長が今日からジェイが通常勤務に戻ると伝えられた。残業などの指示は華から。課長と池沢が手薄のところや遅れの出そうなところに入るということ。ただの業務連絡だけ。
「華、ちょっと来い」
朝礼の後、ミーティングルームに課長に呼ばれた。
「座ってくれ」
「はい」
少し間が空く。華は課長が喋り出すのを待った。
「昨日のこと、聞きたいんだろう?」
「はい」
「池沢はなんと言った?」
「冴木はクソだったって。裁判じゃなく言葉の暴力だった」
「そうか」
どう話そうかと考えあぐねている様子に、やはり裁判の中身がひどかったのだと分かった。
「ジェイが話すまで聞かないでやってくれ。昨日の夜も今朝もあいつは落ち着いている。今は仕事に集中したいんだと思う。精神的にはまだ整理がついていないところがあるかもしれない。だがあいつはもう大丈夫だと俺は思っている」
「分かりました、待ちます。それがあいつのためなら。聞きたいです、裁判、勝てそうですか?」
「……西崎さんたちが突破口を探している」
「突破口……」
「そういうことだ。頼むな」
「了解」
自席に戻るとパソコンを開いてジェイが石尾たちに指示を出していた。
「昨日のプレゼンについて自分なりにまとめて俺に送って。後でフィードバックするから」
席に座りながらその様子を見ていた。冷静に見える。だから『無理をするな』それだけを言った。
新人を育てるという目的で一日に少しの時間、3人を預かりたいと言うからそれも任せた。無理のない範囲で仕事を任せていく。それしか出来ない。今のところジェイは無茶をしそうにないし、判断も間違ってはいない。
「華さん……」
華はその続きを待った。
「夕飯、一緒に食べられそう?」
「もちろん! 空いてるよ、時間なら」
「良かった! 俺、今日は課長の車で来たんだ。後で場所考えよう」
「OK。後でな」
(話すつもりなんだな? 俺が聞いてもいいって思ってくれたのか)
定時で仕事を切り上げた。まだそこまで切羽詰まっていない。
「アルコール、まだイヤか?」
「うん……抵抗がある」
「取り敢えず車に乗れ」
走り出して流れた曲を「ロック?」と聞かれた。
「分かるようになったな! 驚くべき進歩だ!」
赤くなったジェイを見て微笑ましい気持ちになった。音楽のジャンルさえ分からなかったジェイにいろいろ教えたのは華だ。
「何食べたい?」
「デザート食べられればどこでもいいよ」
(出た! 分かんねぇよ、デザートなんて。ファミレスか?)
少し考えて自宅に電話した。スピーカーだからジェイには丸聞こえだ。
「俺。なんか用意してる?」
『華くんの好きな炊き込みご飯。あとはお刺身とぉ、煮物とぉ、……』
「ストップ! なんかさ、デザートになりそうなもの、ある?」
『デザート? あ、ジェイくんが一緒ね? じゃ何か用意しとく!』
真理恵の声が弾む。ここのところ華はずっと難しい顔をしている。ジェイが来るのは大歓迎だ。
(でもジェイくん、昨日裁判所に行ったんだよね……)
真理恵も気にはなっている。けれど余計な詮索はしたくない。せっかく一緒に食べるならのんびりとさせてあげたい。
『合気道、やりに来るの?』
「男同士の話」
『エッチなのじゃなくて?』
「バカ! スピーカーだぞ!」
『はぁい、ジェイくん。華くんとイヤらしいDVD見るんなら私出かけてもいいわよ』
「華さん、そんなの見るんですか?」
『見ないわよぉ。そんなことしたら私、ぶっ飛ばすもん』
「お前、今そんなことしたらダメなんだぞ」
あたふたする華と、のんびりした口調の真理恵の会話が可笑しくてジェイは笑っていた。電話が切れて、気になったことを聞いてみる。
「ね、さっき言ってたのどういう意味?」
「なにが?」
「『今、そんなことしたらダメ』って」
(……そうだった、言ってなかった)
「子どもが出来たんだよ」
途端に帰って来た反応が面白かった。
「ひえっ!?」
「なんて声出すんだよ」
「いつ生まれるの?」
「12月だ」
車の中でちょっとした騒ぎになる。ジェイの興奮が止まらない。
「楽しみだな、性格は真理恵さんに似た方がいいよね」
「なんだよ、それ!」
次のジェイの言葉はまるで爆弾のようだった。
「女の子だったら華さん、困るでしょ」
「なんで?」
「だって彼氏出来たら」
ブレーキを踏む。ジェイに言われて急に現実的に思えてきた。
「害虫は殺す。お前も手を出すなよ!」
「バカじゃないの? いくつ違いだよ」
「いや、年関係無いからな。お前ってさ、優しいし顔いいし性格いいし。娘がころっと騙されるかもしんない」
「性格いいんだったら騙さないでしょ」
「油断できない」
(こういうタイプがヤバいんだ、母性本能をくすぐられるって誰だか言ってたよな!)
大事な親友だが、娘のこととなればまた話が別だ。だが、肝心のことを忘れている。性別がまだ不明ということだ。
家に着くまでその話になった。
「買い物とかどうしてるの?」
「朝市に行ったり週末に買い込んで来たり……」
そう、ここのところの華は大忙しだ。ジェイのこともあるが、家では家の事情がある。それは華の中できっちりと分かれていた。
朝は支度していると真理恵がゴミをまとめている。それを掻っ攫って家を出る。
『ゴミ出しくらいできるよぉ』
『いいって。俺が出来ない時は頼むから。言ってたろ? 重い物はだめ。高い場所もだめ。いいから音楽でも聴いて大人しくしてろ。あ、洗濯は帰ってからやるからな。昨日みたいに自分でやるなよ』
『何もしないと太っちゃうよ』
『黙って言うこと聞け!』
『はぁい。行ってらっしゃい、パパさん』
『『お父さん』だ!』
「朝市って、スーパーの?」
「安いんだ、新鮮で。行ったことあるか?」
「ない」
「あれ、おばちゃんたちとの戦いなんだ。取るか取られるか」
どうやら想像したらしい、ジェイは声を上げて笑っている。
「生まれたら遊びに行っていい?」
「『お嬢さん下さい』って言わないならな」
また笑い出す。
「いらっしゃい、ジェイくん。久しぶりだよねぇ」
「はい! すみません、夕食にお邪魔しちゃって」
「いいのよ、気にしなくって。デザート、あり合わせで作ったけどごめんね」
「ありがとう! ごめんなさい、そんなことまで」
「気に入ってくれるといいんだけど」
そしてジェイは気に入ってくれた。
「美味しい! これ、考えて作ったんですか?」
「うん、白玉粉と貰い物のフルーツの缶詰で考えたの。家にある果物と全部混ぜて、作った白玉を入れてサイダーかけて出来上がり!」
缶詰のフルーツ、カットしたリンゴやバナナ。そんなのが缶詰のシロップとサイダーが混ざった中に浮いている。おまけにジェイの好きな缶詰のサクランボもたっぷり入れてあった。
ジェイは『お腹いっぱい!』と言いながらお代わりをして食べていた。
夕食後はカナダのことで話が弾んだ。公判があったからまだいろいろ聞かせていない。自然に真理恵と面白い話ばかりを選んでいた。
真理恵は携帯の待ち受け画面を見せる。
「わ……きれい! 二人とも!」
「おい! 褒め方、間違ってないか?」
食器を一緒に洗って、食器棚にしまって。もうやることは無い。
「マリエ、待たずに寝ていいからな」
「はぁい」
目が合う。真理恵が真剣な顔で頷いてくれた。
「俺ね、裁判ですごくイヤなことばかり聞かれた」
そこから聞かされた話は池沢の言葉を裏付けるものだった。『言葉の暴力』。
子どもの頃の虐めが染みついてマゾヒズムになったのだろうと言われたこと。誘っておいて訴えたのだから告訴すると言われたこと。
「俺はそういうことされるのが好きなんだって言われた」
何を言えばいいのか分からない。
「けど……違うってちゃんと言い続けようと思う」
目を見開いた。
(ジェイ……変わった……)
自分に湧き上がるこれほどの怒りを超えたところにジェイはいる。辛かっただろうに、苦しかっただろうに、それでもそこまで自分を引っ張り上げたのだ。そこには違う強さがある。
「今度、公判っていつなの?」
「まだ分からない。それまで裁判で言われたことを考えようと思ってるんだ」
「言えよ、手伝うから」
「うん。手伝ってほしい。もうこういうの、終わらせたいよ。あいつ変わっちゃってたけど。でも目は変わってなくて俺に優しく笑ったんだ。……ゾッとした。……こんなに人を憎んだの、相田とあの弁護士が初めてだ」
伝わる穏やかな怒り。
「お前さ……怖いヤツになったな」
「怖い?」
「今のお前なら誰もちょっかい出せないよ。曲がったヤツには真っ正直な怒りって怖いだろうって思う」
ジェイは嬉しそうな顔をした。
すっかり遅くなったジェイをマンションまで車で送った。その帰り。ハンドルを右に左に動かしながら考える。自分の中に巣食った怒りが消え、冷静になったのはジェイのお蔭だ。
(お前、きっと凄いヤツになるよ。人の痛みが分かって、芯が強くて、真っ直ぐで。お前とこういう仲になって良かったよ)
不意に哲平と話したくなった。車を止めて携帯を鳴らす。
『もしもし、だれ?』と寝惚けた声が聞こえ、懐かしさがこみ上げる。
(たった2ヶ月しか経たないのに)
ジェイのことを話そうと思っていた。けれど口に出たのは違うことだった。
「俺、12月に子どもが生まれる」
『なんで!』
あまりに哲平らしい返しが涙が出るほどに可笑しい。
「なんでって……そんなバカげたこと聞くの、哲平さんくらいだよ」
『お前が父親になるってこと!? わ、寝てらんね! 俺、正月に帰るよ。お前に似てないといいな!』
「なんでさ!」
『可哀そうだろ、お前に似てちゃ』
「ジェイとおんなじこと、言ってる」
ひとしきり哲平が笑う。
『……ウチの末っ子は元気か?』
「電話、かけてやってよ、喜ぶから」
そう言ったけれどすぐにでもかけそうな様子に慌てて止めた。今日はジェイも疲れているだろう。元気すぎる声はきっと体に毒だと思う。
「もう遅い時間だから今は勘弁してやって」
『人起こしといてそれ言うか? 明日かけるから黙ってろよ、驚かせたいから』
「黙ってる。あいつをさ……」
声が詰まった。どんなに喜ぶだろう。哲平の声はいつだって元気をくれる。話しているジェイの顔が浮かぶようだ。
『どうした?』
「……今、3人で会いたいなって……」
『……正月まで待てるよな?』
「うん……待つ……お土産を」
『このヤロー……いい子にして待ってろ』
「待ってる。ジェイと待ってるよ」
電話が切れても華はしばらく動かなかった。
次の公判は6月16日。ジェイを心配しつつも、二人で三途川家に行って池沢と三途の喧嘩を仲裁したり、仕事をどんどんこなしたり。忙しい日々で残業が続いた。
そんな中で携帯が鳴った。今は6時半。今日も7時過ぎまで残業になりそうだった。かけてきたのは真理恵の母、時枝だ。
「もしもし、華です」
『ごめんなさいね、仕事中に。今病院なの』
「病院?」
『真理恵が……入院になっちゃったの』
「え!?」
思わず立ち上がった。周りにはちょうど誰もいない。
「何があったんですか!?」
『電話が来てね、少し出血してるって。だから動かないようにって言って、すぐに行ったのよ。で病院に連れて行ったら切迫流産ですって』
「……流産……」
頭が真っ白になる。その言葉が頭の中でガンガンと響く。
『しっかりなさい! あのね、切迫流産と流産は違うのよ。安静にしていれば大丈夫。自宅療養にしますか? って聞かれたからそれはやめて入院にしてもらったけど、勝手にごめんね。真理恵はすぐ無理をするから心配で』
「いいです、そんなの! 落ち着くってこと? 大丈夫って」
『このまま様子を見ましょうって言われたから。赤ちゃんは今は無事だから』
「マリエは?」
『やっぱり不安がってるの。でも今日は面会時間が終わってるから明日じゃないと会えないわよ』
それもショックだ。一番そばにいてやりたい時にいられない。
「明日、朝行きます。家から何を持って行けばいいですか?」
電話を切って座り込んだ。もう仕事など手につかない。早めに終わらせたくてやっていたことだ。片付けてオフィスを出た。
「おはよっ」
次の朝、元気な顔で病室を覗いた。真理恵は起きていて、窓の外を眺めていたが、華の声にぱっと振り向いた。
「華くん!」
「ごめん、昨日来れなくて」
「私こそごめんね、連絡しなかった」
「気にしなくていいよ。ちゃんとお母さんが連絡くれたし。仕事気にしてんなら構わずにかけて来いよ。どうにでもするんだから」
「うん……」
「いろいろ持って来た。このロッカーに入れとけばいい?」
てきぱきと着替えやらタオルなどをしまっていく。
「欲しいものあるか? なんでも買ってきてやるよ」
「いいよ。母さんも来るし、華くんは仕事に行って」
「あ、今日は休んだ。だから俺を使っていいよ」
「休んだの!?」
「その代わり今日だけな。早退や遅刻なら出来るけど、一日休みって言うのはよっぽどじゃないとこの先無理かもしんない」
「うん……」
「どうした?」
「ちょっと……安心しちゃった。今日はいてくれるって」
いつもニコニコしていたからあまり考えて来なかった。もしかしたら残業続きで寂しい思いをさせていたかもしれない。帰宅すればいつも美味しい食事を用意してくれていた。
「お前さ、ずっと無理して我慢してたんだろ」
「そんなこと無いよ」
「強情っぱり! 頑固なんだから」
「華くんに言われたくない」
「……大事な時なんだしさ、言えって。俺に遠慮なんかするなよ」
「うん」
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