第四十一話 本当の敵 -2
職場に戻ると、声を掛ける前にジェイはコピー室に入ってしまった。なかなか出て来ないから行ってみると今度はすれ違うように出て行ってしまった。
目が合うと顔を逸らす。口を開けると他の用を思い出す。
とうとう4階に無理矢理引っ張り出した。
「どうしたんだ? お前、知るのが怖くなったのか?」
返事が無い。アップルジュースを買って口を閉ざそうとするジェイに渡した。
「ありがとう」
「俺さ、上手に言えなかった。裁判所って緊張するな! お前、俺が連れて行くから何回か行ってみた方がいい。あそこって、建物に入っただけで威圧感を感じるんだ。場慣れって必要なんだなと思った」
ここのところ、記憶をまとめたりして頑張っていたジェイが挫けそうな顔をしている。
(無理ないよな…… 怖いに決まってる)
「明日渡せるよ、書き出しのメモ。ほとんど出来上がってるんだ。帰りに一緒に飯食おう。お前のノートと突き合わせようぜ」
「……勝てると思う?」
「冷めてりゃ勝てるよ。課長見ててそう思った。すごかった、課長の回答。弁護士の追及を寄せ付けなかった。途中で相手は諦めたよ」
ようやくジェイはホッとした顔を見せた。やはり課長の存在はジェイの中で大きい。
ジェイのノートは分かりやすくて良く出来ていた。覗きながら自分の書いたものを追っていく。
ジェイの知らない部分もずいぶんあったが、それを教えるのはやめた。知らないはずのことをつい口にしてしまったら。
(あいつは絶対にそこを突いてくる)
華は冴木が気に入らない。今はいい、自分はもう大人になっているのだから。それでも自分に柿本の出所の話を平気で突きつけてきたあの顔は確かに笑っていた。
(あいつは何を言い出すか分からない)
だからジェイの観点からの事実しか補いたくない。
「車の中、覚えてるか?」
「……駐車場で乗せられた車?」
「うん。防犯カメラではお前が気を失ってたように見えた。実際はどうだった?」
「覚えて」
「覚えてないって全くか? 何も?」
言い淀むジェイに、言って聞かせる。
「俺相手にそんなじゃあそこではもっとキツいぞ。口ごもったりそんな風に黙り込んだりすると相手の思うつぼなんだ。俺を使って慣れるんだ。もう『言いたくないことは言わなくていい』って段階は過ぎてる。分かってるんだろ?」
息をつくとジェイが顔を上げた。
「車が大きく揺れた時に気がついたんだと思う。その前は分からない」
「こんなこと、聞かれないかもしんない。でも練習だよ。あいつ、ホントにどっから攻めて来るか分からないんだ。……俺さ、17の時のレイプの話を持ち出されたよ」
ジェイの目が大きく見開いた。
「情けないよな、犯人が出所してるって聞かされてさ、結構後から効いてきた。こんなに時間が経ってるんだから出所してて当たり前なんだ。けど面と向かって言われて堪えた。それで集中力を欠いたんだ。悪かった」
「華さん……ごめんなさい、俺のせいで」
「違うよ。知って良かった。というか、どっかで避けてたような気もする。自分には都合の悪い記憶だからさ。ちゃんと『今は出所している』って分かったんだ。これから先何も起きないかもしれないけど自分の心に構えが出来る。そうだな、そういうことを平気で言うようなヤツだってこと。あのクソ弁護士」
何を言われたとしてもパニックを起こして欲しくない。ショックを受けてほしくない。叶わないまでも(このヤロー!)と反発できるほどの耐性を持ってほしい。けれどそうはならないだろう。
(お前は優しすぎるんだ、根本的に。誰かを憎むのも争うのも嫌いなんだよな)
他の者より事件に深く関わって来た華だから気づくことがいくつもあって、ノートの穴は徐々に埋まっていった。課長からの助けもある。犯行そのものに対する用意はできつつある。
「いいか、分からなかったら『分からない』ってはっきり言えよ。あんまり間を空けるのは良くないって思ったから」
裁判での体験を聞かせる。あの証言台からは全てが遠くに見えた。冴木から目を逸らせば負けだと思った。
「俺からジョークを取ったのが冴木だと思えよ。俺のキッツイ版」
「華さんが七生ちゃんや桜井さんを怒った時みたいな?」
「ん?」
「ほら、桜井さんに『気持ち悪い』って言った時。女の子にあんなこと言うから驚いたよ」
「あれはあっちが悪いの! そうだな、あんな感じかもしんない。俺はあの時感情的だったけど、あいつには何の温度も感じなかった」
「じゃ……あの相田と同じような人ってことだね」
そう言われればそうかもしれない。人の生き血を啜ることに躊躇ないヤツ。
ジェイの肩に手を置いた。
「みんながお前の味方だ。忘れるな、お前のことを支えたい仲間がいるってこと」
6月9日月曜日10時。ジェイが呼ばれる公判の日だ。
(チクショー!!)
日付を呪う。
「俺、行けないよ。その日は」
ジェイがやるはずだったプレゼン。自分がチーフとして代理をやるしかない。
「ごめんなさい、肝心のプレゼンやれなくて」
「それはいいんだよ。ただ一緒にいてやりたかったんだ。こっちこそごめんな。課長、行けるのかな。聞いたのか?」
「分からない、仕事忙しいはずだし」
なるべく平気な顔をしようとしている。あえて『無理するな』と言わなかった。もう気休めなどなんの役にも立たない。
ジェイを突け狙っていた3人のうち、最後の一人が捕まった。みんなが『良かった!』とジェイに声をかける。『ありがとう!』そうジェイが答えている。チラッと見るとジェイを追う石尾の目が優しくなっていた。
(お前の掴んだもんだよ。石尾はもう立派なお前の後輩だ)
裁判までの間にもいろんなことが起きる。三途川の退院は嬉しい知らせだ。ジェイと二人で課長と話している池沢をにやにやと見る。いや、ジェイはにこにこだ。池沢は自席に戻ろうとして二人の目つきに気がついた。
「なんだ、何を笑ってる?」
「今日の午後でしょ? 退院」
「チーフ、早退したらいいのに。三途さん、きっと『なんで早退しないの!?』って怒るよ」
「華はともかく、ジェイまでなんだ! さんざんあいつのために仕事を休んだ。もう心配は無いし俺は仕事に専念する」
「『さんざんあいつのために仕事を休んだ』いい言葉だなぁ。そう思うよな、ジェイ」
「うん! 愛があるよね!」
池沢をからかうつもりが、ジェイの言葉に吹き出してしまった。池沢まで笑い出す。
「なんだよ、何笑ってんの?」
何人かがそばに寄って来た。華が涙を流して笑いながらさっきのやり取りを話して聞かせる。
「それでさ、こいつが言ったんだよ、チーフのその言葉に。『愛があるよね!』って」
広岡はにこにことジェイの頭を撫でた。
「大人になってきたなぁ」
尾高も広岡のような目をしている。澤田は『生意気になった!』とジェイを追いかけ回した。野瀬は「仕事しろよー」とのどかに怒鳴る。千枝は携帯に何かを打ち込んでいる。
「ジェイ! 哲平さんに『ジェイが今大人になったよ』って送っといたから」
当の本人はなぜ生意気だと追いかけられるのか、なぜみんなが笑っているのかが分からないという顔をしている。それがまた笑いを生んだ。
休憩の時間に覗いたジェイのノートはすっかり変わっていた。
「すげっ! この前突き合せた時こんなじゃなかった。これ、全部頭から書き直してるんだな」
何ページも繰っていくとまた初めから書き直してあるが、表現がまるで違う。その少し後のページにもまた最初から。
「繰り返して書いてんのか? こんなにたくさんの記憶を」
「うん、いろんなまとめ方をしてるといつの間にか思い出してるものもあって」
「仕事の時もこんな風に考えてる?」
「……そうかもしれない」
「これ、もしかしてお前の勉強法だった?」
「文系はね」
厳しい環境の中で入試合格を勝ち取ったジェイの底力が見えるようだ。
「……大丈夫なのか? その……突然思い出すってこと」
「イヤな記憶もあるけど、でも必要なことだから」
受け止めようとしている、自分に起きたこと。事実を。
「俺さ、ここに来てずい分変わったって言ったろ? でも今はもっと変わった。マリエが言ってた、お前といるようになってすごくいい方に変わったって」
ジェイを正面から見た。
「ありがとうな」
照れて口ごもるジェイに自然と笑顔が浮かぶ。華は自然に微笑むことが出来るようになっていた。真理恵にだけだった、それができたのは。
裁判の予行演習のためにジェイは西崎弁護士に呼び出されたが、戻って来てからの顔色が優れない。
「どうだった?」
「上手く行かないところがあって……もう一度やるんだ」
「どんなとこでつっかえちゃうんだ?」
「事件の場面が頭に浮かんで来ちゃって……その時の質問を聞き逃すんだ」
覚えがある、自分もそんな時には思考も体も固まっていた。
「フラッシュバッグだよ、それ。細切れにパパって映像みたいに出て来ないか? 俺、味わったことあるけど」
「うん! そうだった」
「お前、目、閉じなかった? 俺もそんなことが何回もあったけど、ある時目を開けてたらすぅっと消えてった。それからフラッシュバック起きると目を開けてるようになったよ。そうすると映像や音なんかに巻き込まれずに済む」
「ありがとう! やってみる!」
大丈夫だ、自分の傷も立派に役に立っている。自分に起きたことを『いい経験だった』などと白々しく綺麗ごとになどできない。無い方がいいのだ、こんな体験。自分にもジェイにも。でも戦うしかない。
(不思議だよな。時間、関係無いんだ。こういうのはずっとじくじくと痛い。でも無駄にはしたくない、あのことを『利用してやろうじゃねぇの!』ってくらいの気持ちを持っていたい、俺は)
当日の朝、オフィスで時計を見る。チームメンバーはそれぞれ資料などを持ち、出かける準備が整っていた。
「よし、行くか!」
「はい!」
3人の返事は緊張で硬くなっている。
「どうした、緊張しすぎだ。七生、口紅チェック。そんなに濃くするな。石尾、お前の顔、怖い。翔、ネクタイ曲がってる」
言いながら七生にティッシュを渡し、石尾の口を引っ張って無理矢理笑顔を作らせ、翔のネクタイを直してやる。
「気が緩むのは困る。けどな、いい緊張をしようぜ。今日はきっといいプレゼンになる」
石尾はプロジェクターをジェイの様に的確に操作できるか、そればかり考えている。タイミングを間違えたくない。
七生は姿格好が気になって仕方ない。(髪、切っとけば良かったかな。スーツ、地味?)
翔はとにかく舞い上がっている。興奮しすぎてやたら汗が出る。
要するに、初めて顧客の前に立ちプレゼンの一端を担うということに3人とも気持ちが張り詰めている。
「華、たいしたもんだな! お前が新人にプレゼンの心構えを指導してるなんて、涙が……涙が出るほどおっかしいよ! な、みんな!」
野瀬の言葉に千枝が応じた。
「みんな、華の時よりうんとマシよ。初舞台の事前プレゼンの時には華は三途さんに引っ叩かれたの」
「え?」
「あれは凄かったなぁ。課長に突っかかってったんだから」
中山はまるでいい思い出を語るような言い方だ。
「突っかかってって……河野課長にですか!?」
3人には衝撃だったらしい。
「あれは課長が悪いんだよ。いちいち上げ足取ってさ」
「当たり前だろ、客なんてそんなもんなんだから」
「野瀬チーフ、それでどうなったんですか?」
翔が食いついて離れない。
「課長は鬼のように厳しいけど懐は奥が見えないほど広いんだよ」
「どうしてそうなったんですか!」
石尾はどうしても聞きたい。最近分かって来たことだが、このR&Dの先輩たちは一人残らず癖者なのだ。誰もが強烈な個性を持っている。そして課長はそのメンバーを束ねている。
「使いもんにならないって言われたんだよ、俺の用意してたプレゼン」
唖然とする3人に千枝が簡単に説明した。
「あのね、華のプレゼン、ケンカ腰だったの。反論を許さないっていう感じ。一番やっちゃいけないタイプね。だから課長が華を下ろそうとしたのよ。それで揉めたの」
「続きが聞きたいか?」
3人は揃って強く頷いた。
「じゃ、帰ってからな。元気にプレゼン終わらせて来い」
「はい!」
声が明るい。
(俺のこと持ち出すなんてさ。野瀬さん、いい度胸)
もう一度時計を見る。9時15分。
(ジェイ……頑張れ!)
「行って来ます!」
ジェイのためにも最高のプレゼンにしてきたい。その日の華のプレゼンはノリにノッていた。
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