第四十一話 本当の敵 -1

「華くん、難しい顔してるね」

「明日だからな、公判は。今になってまともな証言できるかってちょっと心配でさ……」

「え、華くん、上がってるの?」

「ばか! そういうのと違うんだ。後になってあいつの不利になるようなことを言いたくない。だから事件のことを書き出してる。ジェイにも約束したしな、俺も思い出したことを書くって」

「パソコン、使わないんだね」

「ジェイの真似。思い出すにはこの方がいい。あいつがそう言ったんだ。確かにパソコン叩くより頭が働くんだよ」

 西崎弁護士の質問には用意がある。打ち合わせも充分した。問題は向こうの弁護士だ。有能だと聞いてはいるが、どこをどう突いてくるのか。それだけが気がかりだった。



 5月18日月曜日、9時20分。裁判所の待合室で課長と野瀬に会った。

「野瀬、緊張してるな」

「だって何聞かれるか分かんないですからね」

 課長に言われて野瀬は体を解そうと肩を上下させた。

「俺も緊張するつもりなかったんだけど。野瀬さんがブルッてるからこっちまで心配になる」

「お前、相変わらず失礼なヤツだな!」

 そこに西崎がやってきた。いよいよだ。


 華は西崎の質問に的確に答えて行った。駐車場で自分の見たもの。入院したジェイの混乱していた様子。病室にいてさえ相田という存在を怖がっていたこと。助けるのが遅かったとなじられたこと。

「被害者は事件を認識していましたか?」

「いいえ、分かっていませんでした。写真を見てこれは自分じゃないと繰り返していました」

 華の声は冷たく尖っていた。

「以上です」

 西崎の質問は終わった。


 冴木さえきひとし。相手の弁護士の名前だ。スマートで品のある動き。身に付けているものはさりげなく高価なものばかりだ。その目が自分と同じくらい冷たい目をして立った。

(こいつ、ずい分威圧感あるな)

ジェイの苦手なタイプだと思う。人の気持ちは二の次だと、そういった雰囲気を露わにしている。


「宗田華さんですね?」

「はい」

「あなたは被害者の仕事上のチーフだと伺いました。誰よりも被害者を知っている、先ほどそう言っていましたね」

「はい」

「同僚という枠を越えてのつき合いがあるんですね?」

 誤魔化すところじゃない。真っ正直に答えればいいことだ。

「はい、友人としてもつき合っています」

「関係はそれだけですか?」

 ちらっと向けた笑いに含まれているものの正体にすぐに気づいた。

「質問の意味が分かりません」

「失礼ですが、証人になられているのであなたのことも調べさせていただきました。高校生の時に暴行事件に遭われてますね。被害者に近しい感情を抱いていませんか?」

(こいつ……)

華の中に敵意が生まれる。


 西崎が冴木の言葉を制して言う。

「裁判長、今の質問は証人に対する侮辱であるとともに、本件と関りがの無い内容です」

「これからの質問で証人と被害者の心因的な結びつきについて明らかにします。それによって証人が『敵意を持った証人』であると証明いたします」


『敵意を持った証人』。そういった証人に対しては正式に誘導尋問が許可される。

「質問を続けてください」

(気をつけないと。カッカしちゃダメだ。俺とジェイの関係にいちゃもんつける気だ)

呼吸を整えた。

(ここはあの道場だ。遠野師範がここに来て見ている)

[静水] あの文字を頭に浮かべる。


「高校生の時に暴行を受けていますね」

「はい」

「そういった犯罪についてどう思っていますか?」

「あってはならないことだと思っています」

「当時の犯人は刑期を終えて社会に復帰していますが、罪を償った今でも犯人が憎いですか?」

(出所!?)

 自分の中に爆弾が落とされたような気がした。出所……当然だろう、あれからかなりの年数が経っている。それでも突然聞かされて生々しいパニックが起きる。

 一瞬で蘇った、柿本の顔、声、そして……自分にかかった荒い息、手……

 吐き気がする、眩暈が起こる、心拍数が上がる……


 華の意地が勝った。

(今は自分の問題じゃないんだ)

今、守りたい者は? 今、守るべき者は?

「憎いです、大人じゃありませんでしたし。そういった犯罪が自分の身に起きると思ってもいませんでしたから」

「そうですか。今、あなたの目の前に現れたらどうしますか?」


「裁判長! 証人を不当に辱める質問を撤回することを求めます」

「認めます。証人の事件に対する質問が多すぎます。要点をまとめて本件へと結びつけてください」


「承知しました。宗田さん。暴行、誘拐、拉致。これが当時のあなたの受けた被害ですが、今回のジェローム・シェパード氏の告訴内容と重なっていますね。あなたにはこの裁判は友人の裁判であるだけではなく、自分の受けた過去の傷跡に対する復讐ともなっているのではありませんか? それがあなたと被害者の関係を普通より密接にしていませんか?」


 華の頭の中が目まぐるしく働く。目はぴたりと相手の弁護士の目を捉えたままだ。

(どうしてもそっちに話を持って行くつもりか?)


「確かに似たような犯行状況です。自分の時を思い出さないと言えば嘘になります。ですが、今回の事件はジェロームの事件であって、私が自分のことを持ち出すのは筋違いだと思っています」

「ずい分冷静なんですね」

「冷静であろうと努めています。友人で大切な部下です。だからこそ彼の受けた犯罪に集中して考えてきました」


 裁判長は、華が敵意のある証人だと決めるには至らないとの判断を下した。冴木にはそれがさほど堪えているようには見えない。あくまでも冷静だ。

(こいつらの敵はいったい誰なんだ?)

これはジェイの裁判なのに自分まで裁かれているような気がしてくる。


「入院していた彼は、面会時間が過ぎてもあなたが帰るのを拒んだそうですが、普段から周りの男性に甘える傾向がありますか?」

「甘える? 彼は22歳で入社して1年も経っていません。まして家族がいない身の上です。異常な犯罪に巻き込まれ、年上に対して甘えると言う感情に近いものが生まれたとしても不思議じゃないです」

「職場には頼もしい男性同僚が多いようですね。そして事件で混乱している彼が求めたのはあなたにそばにいてほしいということだった。間違いありませんね?」

(何が聞きたいんだ? こいつ。今の質問は当たり前のことを聞いてる。どこかに落とし穴があるのか?)

 聞き漏らしたつもりはなかった。男が多い職場だということは、華にとって不自然でも何でもない。当然周りに助言を求めるならその相手は男性になることが多い。自分たちが頼りにする女性となれば、三途川しかいない。

(時間を空けちゃまずい)

「答えてください、あなたは彼を一人にすることができましたか?」

「いいえ」

「つまり、彼が望んだんですね? そばにいてくれと」

「はい」

「普段、彼がそばにいてほしいと願う相手を3人教えてください」

「河野課長、池沢チーフ、宇野さんです」

「みんな男性ですね?」

 そこで気づいた、相手の求めている答えに。

(マズった?)

 西崎が冴木の質問に対して抗議したがそれは聞き入れられなかった。裁判での証言は厄介だ。質問されたことにのみ答えなければならず、そこに説明を挟む余地は無いのだから。

「さっきあなたが言った人は全員男性ですね?」

「はい」

「以上です」


 『敵意ある証人』とはみなされなかったが、自分までそんな目に遭っているということが裁判長にどんな心証を与えているのか。

(くそっ! 柿本の出所のことまで考えてなかった。あれは俺の気持ちを揺るがせるためだったんだ!)

 冷静であろうとしたが、それでも華には出所しているという事実が影響していた。自分の目にある怒りに目をつけられたのだと思う。

(ジェイ、ごめん…… 油断したかもしれない)


 野瀬も同じような状態だった。ジェイの交友関係について、男性女性との関わり方を聞かれたのだ。堂々巡りをしているような気にさせる質問の仕方で翻弄されていく。


 そして課長が証人席についた。

(わ! さすが課長! プレゼンの鬼だけある)

 冴木がどう引っかけようとしても課長の答えは常に冷静で、重ねての質問を与える隙を見せない。

 相手の質問が途絶えがちになっていく。対照的に課長は穏やかで、誰から見ても信頼性の高い証言内容になっている。

 そしてまたもや冴木は繰り返した。

「彼は相談相手または信頼する相手として同性を対象にする傾向がありませんでしたか?」

「ご質問の意図が分かりません。私の部下の男女比率は偏っています。僅かな女性もほとんど若いので結果として男性と話すのは自然なことです。それは『傾向』とは言えません」

 さらに、課長は冴木の質問を利用して相田の人間性の低さを強調した。

   


「課長、尊敬します!」

 裁判所を出ての食事中。華も野瀬も自分たちの証言の甘さを強く感じていた。けれど精度の高い回答をした課長は浮かない顔をしている。むしろ真剣に何かを考え込んでいるようだ。

「課長?」

「あの弁護士……あの追及にジェイが耐えられると思うか?」

 そうだ、裁判の中心となるのは被害者と加害者側の弁護士とのやり取りだ。近くにいたとしても、それは隣りではないし声さえかけられない。

(課長は今日の答えの精度なんかよりジェイのことだけを考えているんだ)

自分たちのやることが終わったわけではない。ここからだ、ジェイを支えていくのは。

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