第四十話 小休止、そして

 新婚旅行は時期が良くてそれほど寒くは無かった。夜は出歩かず、ホストと話したりバイオリンの音に耳を傾けたり。

 カナダのビクトリアに住むサラ・クレインは夢の友人だった。一緒にコンサートを何度か重ね、互いにその感性に惹かれあったと言う。彼女は独身で、遠征が多いから家族を持たないのだと聞かされた。

「ハナ、マリエにベビーが出来たってユメから聞いたわ。おめでとう!」

 流暢とまではいかないが日本語で話してくれる。だから真理恵も安心して滞在できた。

「ごめんなさい、私がいるのは今日だけなの。家は好きに使って。夕食は届けてくれるように頼んであるから心配しないで。彼女の料理は美味しいの。楽しんで」

「彼女って、どういう人?」

「おお、心配要らない。近くに住んでる友人だから。美味しかったらそれを言ってあげて。それだけでいいの、きっと喜ぶわ」

 ホテルより気楽だから。そう母に言われていたがさすがに申し訳なく感じる。

 母に電話して聞いてみた。

『きっとマージョリーだわ。お料理が大好きなの。笑顔をあげて。それで充分だから』

「だって」

 華が母の言葉を真理恵に伝える。

「じゃ、いっぱいあげようね。華くん、難しかったら相手をジェイくんだと思えば?」

 一瞬ジェイの顔を思い出して、くすくす笑う真理恵の様子にピンときた。

「からかったな!」

「今真剣な顔してたね。おっかしい!」


 あちこちの有名どころは周らなかった。日数が少ないこともあったが、父がブッチャート・ガーデンがいいと勧めてくれたのだ。

「ガーデン? 私、行きたい!」

 真理恵の望みを叶えたくて、華は迷わず頷いた。そして今、二人はここにいる。

 咲き乱れる華々と真っ青な空! 真理恵が感嘆の声を上げる。

「もし外国に住むならここがいいな」

「でもさ、冬でも平気で停電が起きるんだぜ。カイロを常備してるって聞いた。ロマンティックなだけじゃないんだからな、生活って」

「それこそ、華くんはロマンティックじゃないね。そんな現実的な話しないでよ」

 現実的なことを言いながらも、華も充分目を奪われていた。本当に見事だ。

いつの間にか真理恵が、華々をバックに何枚も華の写真を撮っていた。気がついて振り向くといいタイミングで真理恵がシャッターを押す。

「やめろよ」

「今の、携帯の待ち受けにするの」

「消せって!」

「いや!」

 追いかけようとした時に真理恵がバランスを崩した。

「マリエ!」

 転倒する前に華ががっしりと真理恵の体を掴んだ。

「大丈夫か!? 足は? どっか傷めたか?」

「ごめん、大丈夫。そうなる前に華くんが助けてくれたから」

 ちょうど通りかかった年配の夫婦が心配してそばに来てくれた。

「You all right?」(大丈夫ですか)

「Thanks a lot. She's OK.」(ありがとう、大丈夫です)

 人の好さそうな夫婦だ。思いついて真理恵に言う。

「そうだ、写真撮ってもらおうか!」

「いいの!?」

「……1枚くらい二人で写った写真が欲しいだろ?」

 照れたような顔で言う華の頬にキスをした。

「な、なにしてるんだよっ」

「華くん、ここ、カナダだよ。誰もなんとも思わないから」

 小さくブツブツ言いながらもその夫婦に頼んでみた。

「Could you take a picture of us?」(写真を撮っていただけますか?)

「Sure!」(もちろん!)

 取ってくれた写真には華と二人がきれいに映っていた。

「Thanks so much! It looks great!」(ありがとう! すごくいいです!)

 にこにこした夫婦と手を振りながら別れた。

「迷っちゃうな」

 華に写真を転送しながら真理恵が呟いた。

「なにを?」

「さっきの写真とどっちを携帯の待ち受けにしようかってこと。ね、お揃いで今の写真を待ち受けにしようよ」

 それにはさすがに難色を示した。

「見られたらからかわれる。絶対にイヤだ」


 だいぶ歩き回ってガーデンの中にある「ダイニング・ルーム」というレストランに入ることにした。

「ここって有名なんだよね」

「そうなの? ネットで調べたのか」

「うん。せっかくだからと思って。食べたいのがあるの」

 真理恵の注文したものがテーブルに届いた時、華は呆れた。4段になっている皿に、パン、サンドイッチ、ケーキ、ジャムがこれでもか! というくらいに載っている。

「どうすんだよ、残したって俺は食べないからな」

「頑張る!」

(ジェイならペロッと食うかもしれない)

真理恵の頬張る顔を見ながらにやにやしてしまう。

「無理するな、残したっていいよ」

「食べられると思う。なんだかお腹の中から『お腹空いた!』って言ってるような気がする」

「食い意地の張った子どもってことか」

「ジェイくんみたいに?」

 二人して笑った。表ではいい風が吹いて華が揺れている。紅茶を飲みながらしばらくその景色に浸っていた。



 日本に帰ってきてすぐにジェイに電話をした。

「俺。今空港についたとこだ。お土産買ったから行こうか?」

『お帰りなさい! あのね、伝えることがあるの。三途さんが遭難したんだよ』

「なんだって!?」

(遭難って、行方不明ってことか!?)

「いつ! どこで!?」

『山に行ってすぐみたい。でも見つかったんだ。だから俺も帰ってきたの』

「無事ってことか? なんで教えてくれなかったんだよ!」

『だって華さん、新婚旅行だし』

「新婚旅行って言ったって2度目なんだからさ! 呼び戻してくれても良かったのに!」

『それにね、誰も行かない方がいいんだ、チーフがいるから』

「え、チーフ三途さんのそばにいんの?」

 どこか楽しそうなジェイの声。こんな時なのに。

『うん。華さん、ニュースあるんだけど聞きたい?』 

 こんな言い方は珍しい。ジェイが興奮しているように感じた。

『あのね!』

 自分の返事を待たずにジェイが喋り出す。

『チーフと三途さん、結婚するんだよ!』

 さすがに華も絶句した………


(チーフと三途さんが結婚?)

 何度考えても繋がりが解けない。真理恵にも聞いてみた。

「有り得ないカップルって有り得ないよな」

「なに? 華くんの、日本語になってないよ」

 真理恵は買ってきた土産を畳の上に広げていた。あまり高価ではないものばかり。お返しなど気にしないでもらえるようなもの。

「いやさ、チーフと三途さん」

 真理恵の手が止まった。

「ええぇ!? わ、ホント!? すごくお似合いだと思う」

「そうか? そうなのかなぁ。いや、違うだろ、油と火が結婚するようなもんだよ。まともなら恐ろしくて近寄れない」

「華くんが言うかなぁ」

「なんで? 俺、最近めっきり人当り良くなったと思うけど」

「うっふっふ!」

「イヤな笑い方だな」

「本人がそう思ってるならいいかなぁって」

 それでも明日は出勤だ。何かしたい、二人には。


 次の朝の朝礼で課長が上手いことやらかしてくれた。池沢が三途に付き添っていると言いながら、なぜ? と突っ込まれて言いよどんでしまったのだ。

(今だ!)

「あのね、チーフと三途さん、結婚するんだって。だから今はそばにいたいんじゃないの?」

 そのままサプライズをしようと持ち掛けると、あっという間にオフィスは騒然となった。

 漏らした華も、華に告げたジェイも揃って課長から怒られ罰としてサプライズの企画に取り掛かることになった。ちょっとだけ納得いかない部分があったが、それはすぐに払拭された。課長も企画に参加してくれたのだ。

「余計なこと言ったしな。いいよ、俺も手伝う」

「課長のそういうとこがいいよねぇ! やっぱり課長だ! って感じ」

「お前の言っていることが分からん」

「いいですよ、いつまでもそのままでいてください」

 今度は課長が華の言葉に腑に落ちない顔をしているが、後は澄ました顔をして無視した。

 ただ、ジェイと課長が加わるとどうも中身が硬いものになってしまう。

(いいや、千枝さんも巻き込んじゃえ!)

 それより華に巻き込まれたと恨めしそうにするジェイに、お昼を付き合うと言って連れていかれた場所はひどいもんだった。

(こっちの方がよっぽど罰じゃん!)

お子様ランチを食べるジェイを呆れてみながら、サラダパスタを食べた。


 サプライズ企画を話し合うために、ジェイと千枝で定時に会社を出た。夕食も兼ねて相談するつもりだ。あちこち物色していたところを、誰かがジェイにぶつかった。

「すみません!」

 相手はあっという間に消えてしまっているのに律義にジェイは謝った。そのまま立ち止まってしまったジェイのそばに寄る。

「どうした?」

「今の……人……」

「今の? ぶつかったヤツか?」

「あの人、『あいだ』そう呟いた……」

 目が泳ぐジェイの腕をすぐ掴んで周りを見回したが夕方の雑踏だ。千枝も不安そうな顔でジェイを見る。

「会社に戻ろう!」

 華は躊躇いなくジェイを千枝と挟んで会社に戻った。

「どうしたんだ? 血相変えて」

 帰り支度をしていた尾高の声にみんなが振り返った。

「ジェイにぶつかってきたヤツがいて、そいつが相田って言ったらしんだ!」

「え!?」

 みんな仕事を放り出してそばに来た。それをかき分けて課長が隣に来る。

「その手はどうした?」

 課長に言われてジェイも華もその手を見た。

「切られたのか? 気が付かなかった?」

「うん、それより驚いてたから」

 深い傷じゃない、まるでカミソリで切られたような……

(え? カミソリ?)

 入院中のジェイの姿が脳裏を掠めた。課長はすぐに西崎弁護士に確認したが、相田は釈放されていないと言う。

「俺、お前から離れないからな」

「華さん、俺頑張る。合気道も教えてもらってるから今度はちゃんと動くよ」

 そうは言っても暴力沙汰にでもなったらジェイが太刀打ちできるわけがない。サプライズの打ち合わせは後に回して、課長がジェイと帰ることになった。


 池沢へのお祝いサプライズは大成功だった。バカげているプレゼントの方が逆にインパクトがあるという千枝の意見を採用したのだ。

『お洒落なデートコース』『夜景の穴場』『ディナー五つ星』『女性がグッとくる愛の言葉』『いい夫になるマニュアル』『夫婦喧嘩の収め方』

 本の内容を見て、課長さえげらげら笑った。

「こりゃいい! おい、カンパする。お前たちだけで負担することない」

「たいした額じゃないですよ」

「そう言うな」

 結局半額近く課長が出した。


   

 5月7日予定だった相田の公判は、先方の弁護士の体調不良ということで延期になった。

 華は西崎から連絡を受けた。

「5月18日、宗田さんに証人として出廷してほしいんです」

「はい! 俺で役に立つことならどんどん使ってください」

 あのカミソリの一件も絶対にどこかで相田に繋がっていると思っている。今はもう誰もジェイを一人で外に出さなかった。


「昼だってのにミーティング続行だってふざけてるよ」

「そう言うな、チーフになるとこんなことはつきものになるぞ」

 池沢の言葉に華は膨れた。

「昼休みの分まで残業代に入るとは思えないんですけど」

 そんなことを言いながらオフィスに戻った。とっくに昼休みは終わっている。

「課長、飯食ってきていいですか?」

「行って来い。その前にちょっと伝えておく。今ジェイは尾高と石尾に付き添ってもらって病院に行っている」

「病院って……まさか」

「そのまさかだ。カミソリじゃない、打撲だな。相当な勢いで蹴られた」

(くそっ! どうなってるんだ、いったい!)

 その日からしばらくの間、ジェイの考え込む様子が続いた。

「何、考えてるんだ?」

「あ、ごめんなさい、ぼうっとしてた。野瀬さんにここ、確認してくるね」

 表情が明るい。だからこそ気になる。

(お前、どうみてもおかしいぞ)

 そうやっている間にも西崎に呼ばれて、公判で証言することについていくつかの説明と注意を受ける。その日同行するのは課長、野瀬。課長は相手側の証人として呼ばれているらしい。


 翌日、仕事中ジェイに伝えることがあって周りを見たが姿が無い。

(休憩か?)

すぐに七生を4階に見に行かせた。

「いませんでしたよー。石尾くんもいません」

 課長に伝えようかと思ったが、疲れた顔を見てしまった。

(とりあえずトイレにでも行くか。ばったりジェイに会ったりして)

けれどジェイには会わなかった。

(外に出てったのか?)

 不安がよぎるが、もしかすると石尾が一緒かもしれない。最近のあの二人の距離はだいぶ縮まっていた。何とか安心しようとした。どうもジェイを束縛しているようで、自分のその感覚が嫌だった。

 時計を見る。営業との打ち合わせの時間だ。

(打ち合わせだの会議だの。多すぎなんだよ、無駄なミーティングが。そんな暇あったら仕事させろっつーの)


 やっとミーティングが終わってオフィスに戻ると課長が殺気立っているのが分かった。オフィスの中がビリっとしている。

「何があった?」

 翔や七生に聞いてもイマイチ状況が掴めない。和田が説明してくれる。

「ジェイが一人で出て行ったんだ、例の男を誘い出すために」

「なんだって!? それでジェイは!」

 まるで教えてくれた和田に掴みかからんばかりの勢いだ。

「落ち着けって! ジェイを追いかけた石尾から連絡が入って尾高さんと広岡さんが行ったんだ。犯人を取り押さえて警察に引き渡すところだって」

「あいつ……無茶、しやがって」

 誰にも言わずに思い詰めていたのか。

(お前……自分を囮にしたな?) 


 そこに広岡たちに連れられてジェイが帰ってきた。華が動くより課長の方が早かった。

――パシーーンッ!!!!

 課長がジェイを叩いた音が響き渡る。

「みんなに言うことがあるだろう!」

「課長……チーフ、皆さん……ごめんなさい、俺……どうしても……」

(落ち着くわけがないよな。俺が忙しいから一人で突っ走ったのか……ごめん)

 ジェイのそばに立つと、その体がびくりと震えた。華にも叩かれると思ったのだろう。

(今のお前を俺は責められないよ)

ただ抱きしめた。

(無事で……無事でよかった)

「バカだなぁ……言えよ、俺に。半分とは言わないよ、けど少しはお前の苦しいのを俺に回せよ……」

「はなさん……」

「俺はお前の兄貴だろ? それじゃインドからゲンコツが俺に降ってくるよ。俺はもうお前に傷一つ負ってほしくないんだ」

「はい……はい」

 そのまま泣いているジェイが切ない。

(お前が悪いわけじゃない……これじゃ気が休まらなくても当然だよ)

 石尾の状況報告を聞いて華の目に怒りが浮かぶ。

「相田って人が刑務所から出てくるまで先輩に嫌がらせを続けるつもりだったそうです」

(ジェイのために手を空けよう。仕事はどんどん片づけてやる!)

 そして、公判の日を迎える。

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