第三十五話 笑顔

「こんばんわー」

「華さん!」

 その声に張りがあってホッとした。

「華、見舞いか? ありがとう」

「あ!」

「なんだよ」

「課長いるの、忘れてた」

「……お前なにしに来たんだ」

 ちょっと不貞腐れた蓮課長の顔。それを見て笑うジェイ。その笑顔に救われる。

(良かった! 落ち着いてる……ん? 課長、不貞腐れた?)

「すみません、ついジェイが気になって」

「じゃ、俺は気にならなかったんだな?」

 楽しくなってきた。開き直って言う。

「課長はジェイのついでです」

 課長が大きく笑って「痛て」と小さく言って顔をしかめた。

「お前、正直ならいいってもんじゃないぞ。そろそろ処世術ってやつを身につけろ」

「は? 課長に言われたかないです、多分オフィスで一番それ無いの、課長だから」

「だからお前は身に付けた方がいいって」

「無理です、目指してるのは課長だから」

 課長は苦笑している。

「今日休んじゃってごめんね」

「お前、良く頑張ってるさ。俺はダメ。短気だから新人の世話が面倒臭い」

「俺にするみたいにすればいいのに」

「無理っ! ウチのチームはお前がいて成り立ってんの。みんな俺にビビってばかりだ」

 課長が気を利かせたのか立ち上がった。

「課長?」

「ちょっと待合室にいってくる。気になる漫画があるんだよ。ゆっくり話して行け」

 ジェイが慌てて止めたが、華は有難いと思った。

「課長が漫画? 似合わねぇ!」

「おい! それが上司に向かって言う言葉か?」


   

 課長が出て行った後、たっぷりお喋りを愉しんだ。

(楽だ…… 今は厄介なことを考えなくて済む)

「俺さ、見たいもの見れて来て良かった!」

「見たいもの?」

「課長の不貞腐れた顔。ボサボサ頭。それに漫画読むって。課長のあんなとこ、お前いつも見てるんだな」

「えと……」

 困ったような顔でジェイが下を向いた。

「お前が照れることないのに。本人気にしてなかったし。他に面白いこと知ってたら教えろよな」

 くすくす笑っているジェイにはどんな苦難からも離れたところにいるように見えた。だからこそ悲しい。


 ジェイが華と一緒に三途川家に遊びに行きたいと言い始めた。

「課長が退院したらみんなで行こうよ! 土曜日とか金曜の夜とか行きたい!」

「お前、それ泊まるの確定じゃん!」

「うん。あそこに泊まるの、俺好きだよ。廊下の掃除もものすごく楽しいんだ! 一緒にやろうよ」

 そりゃジェイの頼みならなんでも聞いてやりたくなってしまうし、こうやって無邪気に言われると本当に楽しそうに感じる。

(でも、掃除なんだぞ?)

「あの廊下を?」

「うん。後ね、トイレや風呂場。でかいよね、あの風呂場! 掃除のやりがいがあるよ!」

(こいつのハマるもんが分からない。謎だよなぁ)


 喋っているうちにあっという間に30分経った。

「ごめんな、休まなきゃいけないのに喋らせちゃって」

「楽しかったよ! 明日……」

「無理すんな。構わないからな、休みでも。でもあんまり長く不在だと俺、噴火しそうだからさ、きっと出て来いよ。待ってる」

「うん、行くよ。帰り、気をつけてね」

 笑顔でいられた。ジェイの笑顔も見られた。それで充分だと思う。


 待合室に行くと課長が本を読んでいた。

(ホントに漫画読んでる!)

「すみません! すっかり長居しちゃって」

「いいさ。お前たちがこんなに仲良くなるなんて思わなかったよ」

「『ジェイ効果』ってのがあるんですよ」

「なんだ、それ」

「俺が命名したんです。あいつといるとみんな素直になれるし癒される。広岡さんもそう言ってました」

「お前でさえ素直になってるしな」

「『でさえ』ってひどくないですか?」


 よほどチーフの立場について相談しようかと思った。けれどジェイと同じで今の課長は久しぶりにゆとりのある顔をしている。それを乱したくなかった。

「俺もなるべく早く復帰する」

「あ、それはだめです。課長は出てきた途端に無理するから。ちゃんと治してください、俺たちが振り回してもいいように」

「帰れ! 次は見舞い持ってこい」

「ジェイが退院したらもう来ないですよー」


 たった30分でも楽しかった。本当に癒されている。

(チーフ、か…… そうだよな、俺ももう責任を持つってことを知るべきなんだ)

あんなに真っ暗だった心に少しの光が灯る。

(チャンスなんだ。自分の力を試してみたい)

最初の頃の気負った勢いではなくて、目標は課長だ。ボサボサの頭、不貞腐れた顔、漫画を読む姿。厳しくてもユーモアを忘れないし、キツくても口元に笑みを浮かべる。

(あの課長の下で良かった。手が届かないって思い込んじゃダメだ。崩れた姿だって見てる……それでも立ち上がるから課長は『課長』なんだ)

 

  

 退院したジェイはすぐに職場復帰をした。まだ休め そう喉元まで出かかる言葉を呑み込む。

「メール溜まってるでしょ、見るよ」

「溜めてないよ、ちゃんと大事なのは見てる」

「そういうの溜めてないって言わないよ」

 屈託なくジェイが笑う。

「じゃ、頼む」

「はい!」

 三途川から夕べの内に電話で聞いていた、公判では相田がジェイにそそのかされてその結果、行き過ぎてしまったと。ジェイには被虐嗜好があるからあんなシチュエーションになった。だがジェイはそれを愉しんでいたと……

 なのに朝からジェイは楽しそうでメールのチェック、スケジュールのチェック、野瀬チームとのミーティング、消耗品の在庫チェック、調子の悪い光電話の原因究明。生き生きと仕事をしている。

「ジェイ、ちょっと休憩取ってこい」

「はい」


「今日はずい分楽しそうだな」

「華さん! サボり?」

「なんだよ、俺だって休憩くらい取るよ」

 ジェイの後から4階に来て隣に座った途端、サボり呼ばわりされてむすっとした。

「その顔、この前の課長とそっくり!」

「似てない、あんなにガキっぽい顔してない!」

「ほら、そっくり」

 ジェイの飲んでいる水を取り上げた。

「あ!」

「喉乾いてたんだ、美味しかった!」

「ひどいよー、全部飲んじゃうなんて」

「課長は? 様子はどうなんだ?」

「あのね! 土曜に退院なんだよ、結構経過がいいんだって!」

「そうか、良かったな!」

 これから立ち向かうものを考えると課長の存在はデカい。今はそばにいてやってほしいと思う。

「お前どうしてるんだ? マンションに一人でいるんじゃないだろうな?」

「三途さんのとこ! すごく楽しいよ。華さんも来て」

 だいたいどうしてこのジェイとヤクザの面々の相性がいいのか。そこも不思議でしょうがない。

「お前、どこに行っても誰とでも仲良くなれそうだな」

「そうかな……そういうの自信無いよ……誰もが同じに受け入れてくれるわけ、無いから」

 新人のことを言っているのか。……相田のことを言っているのか。


 話が妙な方向に行く前に華は他のことを話し出した。

「さっきさ、三途さんが今日は残業になりそうだって言ってたんだよ」

「そうなの!? 俺、どうしよう……」

「でも1時間程度だって言ってたからさ、どっかでコーヒーでも飲まないか? あ、お前パフェの方がいいか」

「わ、久しぶりだ! この頃食べてないんだ」

「何が食べたい?」

「抹茶パフェと、フルーツパフェと、チョコパフェと、バナナパフェと、プリンパフェと……」

「おい! まさかそれ全部食う気か?」

「違うけど……あんまり久しぶりだから迷う……」

 笑って頭をくしゃくしゃしてやった。

「お前らしいよ、本当に」


 夕方、5時20分。今日は華も定時には上がった。華が新しく見つけた店に連れて行く。レトロな雰囲気で入り口はまるで古い喫茶店だ。昔懐かしくてここに何度か来た。真理恵に連れて行かれた喫茶店。足を折ってスキーを断念したマスターを思い出す。ここに来ると必ず(元気だといいけど)と思ってしまう。

「華さん、華さん、どれにしたらいいだろう!」

「好きなもんにしろよ。1つは奢ってやる。それ以上の追加には付き合わないからな」

 パフェの値段は均一550円だ。

「2つ食べても1100円だもんね。今日は華さんが奢ってくれるから1つ分出せばいいし」

「はいはい。おい、中のメニューで選べよ、ウィンドウに齧りつくな」

「だってこの方が見やすいよ!」

「ばか、俺が他の人に見られんのが嫌なの。今入ってった女の子、お前を笑って見てたぞ」

 ジェイはしぶしぶ華について中に入ってきた。

「華さんは?」

「俺はコーヒー」

「だけ?」

「だけ。飯はマリエが作ってるし。三途さん終わるまでお喋りするだけ」

 迷いに迷って、プリンパフェと抹茶パフェ。

「華さん、お茶好きでしょ? 抹茶パフェならきっと食べられるよ」

「本気で言ってんの?」

「だめなの?」

(言ってもしょうがないや)

この辺りの会話は適当に流すようにしている。まともにこの手の話をジェイと続けていると出口を見失う。

「課長も退院したら三途さんち?」

「三途さんはそう言ってたよ」

「ふぅん」

「やくざさんって真面目だよね、朝早くから掃除するし、お料理も作るし。イチさんは交渉ごとに行って契約書交わしたり。カジさんと優作さんは警備員しているみたいだし、のんのさんは親父さんの補佐で会議に行くって。親父さんは結構会議で発言力があるって聞いたよ」

(ん? んん? んんん?)

頭が混乱する。

「お前にその説明したのは誰?」

「ナッチさん! そろそろ自分も一人前の仕事を任されたいって。たまには一緒にバイトしませんかって……」

「なんの!?」

「えっと、寂しそうに歩いている男性を楽しい所に案内する仕事だって」

(キャバレーの呼び込みにジェイを使う気か!)

今頃ナッチはくしゃみをしているかもしれない。そんな目論見を聞いたら三途川は怒りまくるだろう。

「お前さ、そういうのあそこで誘われたら必ず三途さんの許可をもらえよ」

「そうなの?」

「あそこの人たちは仕事に対するプライドを持っている。うっかり人の役職に踏み込んだら悪いだろ? ナッチは経験が浅いからその辺がよく分かってないかもしれない」

「分かった、三途さんに必ず聞く」

「ところで、警備ってなんのことだ?」

「町でね、良くない人を見かけたら注意するんだって。揉め事にならないようにいろんなところを警備するらしいよ」

(注意ねぇ……)

物はいいようだと思う。補佐だの会議だの契約書だの。

(こいつ、絶対にヤクザがどういうものか分かってないな)

「ヤクザが全部いいわけじゃないからな。どこかでヤクザに出くわしても気軽に声かけるんじゃないぞ」

「うん、『極道の妻』っていうのを見せられたんだ、ほとんど分かんなかったけど。グループによっちゃ大変なんだって言ってた」

 途端に華がむせた。

「ぐ、グループ?」

「ね、俺聞きたいことがあったんだ。前に洋一さんが教えてくれたことが分かんなくて」

「どんなこと?」

「あのね、イチさんは昔銃を渡されて『鉄砲になって頭取って来い』って言われたんだって。銃持ってて鉄砲になるってどういうこと? 頭取るって、……ホントに取ってきちゃうの? 銃で頭って取れんの? イチさんに聞いちゃいけないかなって思って」 

「おい! 小さい声で喋れ!」

 少し親父さんに抗議した方がいいかもしれない。余計な知恵をつけてほしくないし、第一こんな怪しげなことをどこかで喋られちゃ困る。

「教えてよ」

(参った……どう説明しろってんだよ)

「あのさ、ヤクザ界の専門用語って難しいんだよ。だから三途さんに聞くのが一番いいと思う。俺は間違ったことを言うかもしれない」

 三途川には悪いがこんな面倒な説明は請け負いたくない。

「専門用語……三途さんに聞くことにする。でも頭取るって物騒な言葉だよね。ホントに殺しちゃうのかと思った」

(いや、その通りなんだけど)

でもこの問題には関わりたくない。

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