第三十四話 怒り -2

 次の日のこと。

「おはよう!」

 三途が幸せいっぱいの顔で近づいてきた。

「なに。ニヤついた顔しちゃって」

「あんたにいい物上げるわ。一人で見てね」

 袋を渡されて、開けようとした。

「華。一人で」

 三途がジェイの方に目配せをする。

(何だっての?)

コピー室に入った。袋を開ける。

(本? 違う、なんだ?)

取り出して表紙を見た時にはカッとなっていた。

『宗田華 ジェローム・シェパード 背徳の世界』

 たくさんの赤いハートが散らされている。ぺージを開ける前からわなわなと怒りで震えていた。中を見て、今度は頭が沸騰し、自分でも熱いほどに腸が煮えくり返る。

 ジェイが涙を流している顔。そばに文字がある。

『ジェロームさまの美しい涙』

 次は廊下を歩くジェイの笑っている姿。

『見目麗しい! ジェロームさまが振り返って私を見つめた瞬間!』

 さらに次に出てきたのが自分とジェイだ。

(これ、撮ったのは七生か桜井だな!!)

オフィスの中、パソコンの前に座った華が画面を覗き込んでいるジェイに笑顔を向けている。

『ジェロームさまと華さまの日常』

 文字がまたもや赤いハートマークで囲まれている。開けていくほどに華の顔が怒りの赤から冷ややかな白に変わっていく。生写真さえある。

 最後のページは極めつけだった。

「あいつら、殺してやる!」

 写真に細工がしてあった。まるでジェイと抱き合っているかのような姿。ジェイはうっすらと目を閉じ、華の胸に頭を預けている。それを優しく見下ろす華。

『禁断の恋。二人が結ばれるのは今夜か?』


「くそっ!!」

 コピー室を出て三途川に詰め寄った。

「三途さんっ! これ、なに!?」

 ビリリ! とその声が響いた。

「昨日、ファンクラブとかいうのから没収してきたの。詳しいこと聞きたかったら桜井ちゃんと七生ちゃんに聞けば?」

 憤怒の形相で桜井と七生を睨みつける。顎先でクイッと桜井を呼んだ。

「あの……もう解散しましたから……」

 そばのデスクに写真集を叩きつける。腕組みして見下ろした。

「気持ち悪い、お前」

 久しぶりのマジ切れの華の毒舌だ。そのまま七生に冷たいまなざしを向けると恐る恐る立ってくる。

「チーフ、ごめんなさい! 私たち、つい好奇心で……」

「お前もだ。脳に虫湧いてるんじゃないか? おい! 二人でたった今ネガと生写真、回収して来い! 携帯から俺たちを削除しろ!」

「え、でも……」

「『でも』だと?」

 華の目がぎろりと二人を見た。

「携帯、貸せ。叩き壊す」

「さ、削除します、すぐに!」

 目の前で携帯の画像を片っ端から消させる。取り上げて中を確認した。画像だけじゃない、動画を見て目を細めて桜井を見た。

「あのっ! すみません、今消し忘れましたっ! 削除します!」

「ネガ。生写真の。それから他の連中にも言っとけ。即刻画像削除しろってことと、廊下で出会ったらただじゃおかないと。俺にもジェイにも携帯向けたらぶっ壊すからな!! 桜井。仕事以外で俺たちに近づくな。話しかけられるのも御免だ!」

 目の前の華の恐ろしさに、新人たちは凍りついていた。謝ろうとでもしたのか、ジェイに近づこうとした桜井に冷ややかに言う。

「桜井。誰の許可を得てジェイに近づいてる」

 ビクリ! と飛び上がって華に振り返った。

「お前、『近づくな 話しかけるな』という言葉、辞書で調べろ」

 ジェイが小さな声で話しかけてきた。

「ねぇ、何があったの? 俺もあの人苦手だけど……ちょっと可哀そうだよ」

「いいんだ。お前は気にするな」

 周りをじっくりと見渡して大声で言う。

「仕事しに来てるんだ、会社には」


 池沢が近づいてきた。

「助かったよ、華。あの手の連中には諭したって無駄だからな。当事者が対処するのが一番効くがジェイには無理だろうし」

「ジェイを表に出す気なんか無いですから。これ以上揉めるなら俺が全面戦争してやる」

「あのファンクラブとやらにか?」

「何か勘違いしてんるだ、きれいなら優しいって。次は思い知らせてやります。止めたって聞きませんからね」

「華、お前すごいなぁ」

「何がですか」

「『きれいなら優しい』それ、自分のことか?」

「そうですけど。チーフも勘違いしてる。きれいってのはハンデでしか無いんだから」

 池沢もどう返事していいか分からない。

(とにかくこれ以上こいつを刺激されちゃ敵わない)

見回すと野瀬と目が合った。途端に顔をしかめて小さく首を振り自分の口の前に人差し指を重ねてばつを表した。中山の方を見ると笑いが浮かんでいるのが見えた。柏木と和田が桜井を脅かしているところだった。

 その日華に話しかけたのはジェイと三途川だけ。他のメンバーは『触らぬ神に祟りなし』を貫いているらしい。

 頓着の無い三途川は『よくやった! あんたのキレんのが久しぶりに見たかったのよねぇ』などと恐ろしいことを言う。

 ジェイはほとんど何が起きているのか分からないまま仕事を上がりかけた。


 トイレに行こうと廊下に出た後をヒールの音が追いかけてきた。

「あのっ!」

「七生ちゃん?」

「すみませんでした! もうあんなことしないのでチームから追い出さないでほしいってチーフに伝えていただけませんか? 直にお話しするの、怖くて」

「追い出すって?」

「写真のことです。もうこっそり撮ったりしませんから」

「しゃ……しん?」

「桜井さんも反省してます。もう写真集も作りません。ホントにすみませんでした!」

(写真集……)

 ジェイはそのままオフィスに駆け戻ってしまった。不幸なことに華はこの一件を知らなかった。



「お帰りなさ……」

 真理恵の言葉が止まった。

(華くん、何があったの?)

 久しぶりだ、この空気。華の両親のことで揉めていた時はずっとこんな空気をまとっていた。

「華くん?」

「悪い、マリエ。俺、機嫌が悪い」

「見て分かるよ。お風呂入る?」

「ちょっと歩いてくる」

「分かった」


 着替えて駅の向こうにあるホームセンターに向かった。大きめのステンレスのバケツとマッチを買って帰る。庭で写真集と、桜井と七生がかき集めてきた生写真を千切ってバケツに入れ火をつけた。

 会社でシュレッダーにかけようなどとは思わなかった。たとえ欠片でもジェイのそばにこんなものを置きたくなかったからだ。

 それほど時間もかからずあっという間に灰が残った。別のバケツに用意しておいた水をかけ、後始末をしてやっと落ち着いた。

 もちろん二人が持って来た写真が全てじゃないことなど分かっている。他の連中の携帯に残っている画像もあるだろう。けれどキリが無いことだ。ただ自分の中で一応の決着をつけたかった。



「おはようございます……あれ? ジェイは?」

「悪い、華。ちょっと来て」

 三途川に廊下に呼び出されて何かあったのだと分かった。

「何があったの!?」

「あのね、今朝ジェイが酷い発作を起こしたの。それで今課長が入院している病院で鎮静剤を打たれてるの」

「どういうこと?」

「写真のことが発端」

「だってあいつ、昨日の写真のことは知らないはずだよ」

「そうは見えなかったわね。それが引き金になって思い出したくない写真のことが頭に浮かんだらしいわ」

「思い出したくない写真って……まさか相田の?」

「だと思う。『俺じゃない』って言ってたそうよ」

『俺じゃない』

「間違いないよ、相田の撮った写真のことだ……」

「『こわい、何かが出てくる』そうも言ってた」

 課長から説明されていたことを思い出す。哲平と一緒に催眠療法のことを聞いた時だ。

「あいつ、せっかく落ち着いて……くそっ……」

 オフィスに戻ろうとする華の手を掴んだ。

「なに、すんだよっ!!」

「怒るの分かる。けどあの二人を追い詰めたからってどうなるの?」

「けど三途さんっ!」

「私たちが熱くなったからってなんの解決にもならないでしょ?」

「俺は防げたかもしれないんだ、写真を撮っているのを見つけた時に」

「あんた。ジェイは一番あんたに気を許してる。落ち着いて行動して。チーフで親友だって、ジェイは喜んでたわよ、あんたとのこと」


 辛い。『立場を、責任を持つ』とはこういうことか。

(俺は……ただ怒りをぶつけちゃいけないのか?)

課長が歓迎会の時に見せた姿。

『俺が殴ろうと思ったが……ジェイ、よく頑張ったな』

(あの時。課長はじっと見ていたんだ、ジェイのことを思うから。ジェイに自分で自分を守る力を持たせたいから。そういう守り方もあるんだ……)

 ようやく課長の立場が少し見えてきた。常に平常心でいられるのではない。そう保とうとしているのだ、自分の中でも戦いながら。

(簡単に……完璧だなんて言ってしまうなんて、俺には課長が見えてなかったんだ、あんなに辛そうにしていたのに)


 オフィスに戻ると七生が傍に立った。

「なんだ?」

「あの、ジェイ先輩に聞いていただいたでしょうか?」

「何をだ?」

「昨日のこと、ちゃんと先輩に謝りました。だからこのチームに置いてください、お願いします!」

 頭を下げた七生に呆然とした。

(守っても……守っても守ってもお前を守り切れない……)

 七生に何も言わず立ち上がった華はそのままオフィスを出た。駐車場に向かう。その隅に座り込んで膝を抱えた。

(ここで全部始まったんだ……)

 あの時のほんのちょっとした油断。電車で真後ろに立たれ射精されたあの時。イかされた時。

『君の精液が検出された』

 あの言葉に屈服させられた自分。音に追いかけられるジェイ。錯乱するジェイ。膝の間に頭を埋める。華も混乱していた。自分とジェイの思いが混ざっていく。

「ジェイ……俺、チーフにならなければ良かった……親友としてだけお前のために動きたかった……ごめん」

 オフィスに戻れば上に立つものに戻る。七生は自分が評価を下すべき対象だ。仕事は真面目。ああやって謝ろうとする素直さ。

「俺……そんなもの、認めたくないんだ、ジェイ。そこまで器、大きくないんだ……」


 七生は戻ってきた華を不安そうな顔で見た。

「七生。ジェイに謝ったのは分かった。お前を誰かのチームに飛ばすつもりはない」

 ホッとした顔が七生に浮かんだ。

「けどな。今日ジェイは体調を崩して休んだ。下手すると入院になるかもしれない。確かにお前も俺のチームメンバーだ。でもお前とジェイじゃ俺の中で歴史が違い過ぎる。お前、親友とかいるか?」

「……はい」

「その子に心に大きな傷を負うほどのことがあった時……お前はそれを美しいと思えんのか? 教えてくれ、七生。そういう陰を持った親友に、いつまでもその陰を持っていてほしいと言えるのか?」

 それほど大きな声で言ったわけじゃない。けれどオフィスの中に静かに華の声は浸透していた。

「俺、知りたいんだよ。裁判が起きるほどの目に遭ったジェイが、なんでこれ以上傷つかなくちゃなんないのか。自分のチームの仲間から傷を抉られなきゃならないほど、ジェイはお前に何かしたのか?」

 七生はただ泣いていた。石尾も下を向いた。華の穏やかな声が深く悲しく聞こえた。



 病室の前で深呼吸をした。定時になると同時に駐車場に走って病院に来た。三途川が連絡してくれて面会の許可ももらってある。真理恵にも連絡した。

「今日ジェイのところによって帰るからちょっと遅くなる」

『また何かあったんだね?』

「入院したんだ……すぐ退院するかもしんないけど俺……」

『華くん。笑顔忘れないでね。ジェイくんは人の心に敏感だから傷つきやすいんだと思う。必ず笑顔を見せてあげて』

 その真理恵の言葉を思い出す。もう一度深呼吸。ノックをしてドアを開けた。

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