第三十六話 寂しくないね

 真理恵はすごく機嫌が良かった。両親の結婚30年記念。朗がそのために旅行を計画しそれに真理恵も乗ったのだ。もちろん、華も。

「ありがとう、今朝無事に出発したって!」

「そうか、良かった。うんとのんびりしてもらわないとね」

「華くんのとこは? まさなりさんとゆめさん、結婚して何年になるの?」

「知らない」

「ええ、それって薄情だよ」

「あのね、あの二人は俺を置いてしょっちゅう外国旅行してたんだからね! 今さら記念もへったくれもあるか」

「でもお祝いしてもらったら嬉しいだろうと思うけどなぁ。しばらく行ってないよね、華くんちに」

「俺んちはここ」

 そう言うと華はごろっと真理恵の膝に寝転がった。

「やだ、今から洗濯なんだからどいて」

「いいじゃん、明日は日曜だし」

「今日は午後出かけるから」

「どっか行くの? 買い物ならついて行こうか?」

「あのね、聞いて!」

(あ、もしかしてヤバい?)

 慌てて膝から身を起こす。真理恵の目がきらっきらしている。こんな目をしている時は華にとっては碌なことが無い。


「なんか企んでるだろ」

「企むってなに?」

「惚けんなよ。午後なんかあんの?」

「遊びに行こ!」

「遊び?」

 ちょっと意表を突かれた。(なんだ、そんなことか)と目が和らいだ。

「一緒に行ってくれる?」

「いいよ。で、どこに行くの?」

「三途川さんの家」

「……はぁぁぁ?」

「『待ってますよ』って、三途さんのお母さんが嬉しそうに言ってくれたよ」

「……一人で行けよ。なんなら玄関まで送ってやる」

「なんで?」

「俺はやだ」

「……ジェイくんも……」

「おい、なんだよ!」

 真理恵の口元が震えて声が涙ぐんでいる。

「ジェイくんも喜ぶって言ってたもん。楽しみにしてるって……いい、ごめんね、無理言って」

 頭を掻いて大きく伸びをした。

「洗濯。俺も一緒にやる」

「いいよ、のんびりしてて」

「三途さんち行くんだろ? しっかり片付けしてから行こう」

「……いいの?」

「お前とジェイ二人がかりじゃ負け戦確定だよ。腹括った。行く」

「ありがとう! 大好き!」

「はいはい」

 亭主関白だと思っている。いつだって真理恵は『はい』と言ってくれるし。けれど今日は怪しく感じる。

(ひょっとして俺は自分で亭主関白だと思ってるだけか?)


 

 結局三途川家には1泊した。案の定、話は真理恵を中心に盛り上がり、案の定泊まることになり、案の定優作に絡まれた。

 だがその『案の定』に入っていなかったジェイとの掃除。日曜の朝は早朝からジェイに叩き起こされ、不承不承廊下の掃除をした。それが思いのほか楽しかったことに自分で驚いていた。

 廊下を並んで雑巾がけをしている時に思ったのだ。

(こうやって友だちと遊ぶってことをしてこなかったんだよな……)

 大きな風呂も二人で磨いて、それが楽しかった。ジェイと一緒だから、ジェイが笑うのが嬉しいから楽しいのだと思っていた。


「どうしたの? 疲れちゃった?」

 真理恵が心配する。自分が無理を言ったせいでせっかくの休日を潰させてしまったのか、と。

「いや……」

 昨日全部やってから出たから特にやることはない。なのに胡坐をかいた華は知らず知らず溜息をついていた。

「やっぱり家にいれば良かった?」

 気遣わし気な頬を撫でた。

「マリエ。俺さ、ジェイといてすごく楽しいんだ。あいつが嬉しそうな顔したり、笑い声を上げたり」

「分かるよ。マザー牧場でもジェイくんを見てすごく嬉しそうな顔してたよね」

「うん……」

 向かい合わせに華の膝に真理恵が座った。首に手を回して華の胸に頭を預ける。その体を抱いて真理恵の髪を撫でた。しばらくそれが続いた。真理恵は華の言葉をじっと待っている。

「俺もしたこと無かったんだ、廊下を誰かと競争して拭くなんてこと」

 手が止まった。

「ジェイの相手をしているつもりだった。こう思ってたんだ、こいつこういうこと誰かとしたこと無かったんだろうなって。違う。俺もしたことなかったんだ」

「うん」

「その後あのデカい風呂洗ってさ、ガキみたいに水の掛け合いっこもやった。嬉しそうな顔が嬉しくて俺は笑ってた」

「うん」

「それも違う。俺が楽しかった。ジェイも楽しかったんだって思う。でも俺は……なんか、嘘つきだ」

「嘘つきなんかじゃないよ。気づかなかっただけだよ」

「マリエは気づいてたの?」

「だって見たこともないくらいジェイくんといると華くんは楽しそうに笑ってる。ずっと小さい時から見てきたんだもん、分かるよ」

「分かってなかったの、俺だけか」

「華くん、やっと遊んでるんだよ、ジェイくんというお友だちと。見ててすごく嬉しいよ」


 膝から下りた真理恵が冷蔵庫から冷たいお茶を持って来た。

「はい」

「ありがとう」

「華くんはいつも私に全部見せてくれてたから分かるの。お友だちなんて一度も作らなかった。今だって卒業写真なんか見もしないでしょ?」

 その中に自分の思い出はほとんど無い。

「でも今ならきっとアルバム作れるほど楽しいはずだと思うよ」

 持ったことのないアルバム。確かにマザー牧場でも携帯で写真を撮った。哲平とジェイに送るためだが、時々自分も見てはあの時を思い出して笑う時がある。

「ジェイくんがいればもう寂しくないね」

 真理恵のその笑顔になぜか涙が落ちそうで、堪えて引き結んだ口元に笑みが浮かんだ。

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