第三十二話 チーフとして、友として -2

 少し早めに出勤。慣れるまでは毎朝タイムスケジュールを確認しておくことにした。以前のように勘で仕事をやるわけにはいかない。今は全体の中の一つのチームを任された責任がつきまとう。

(しばらく研修があるよな……だめ、考えるな! それはジェイの仕事だ)

 それでも何かあれば飛び出すつもりでいる。

 出勤してきたジェイの動きに活力を感じた。誰かを心配したり世話をしたりということが向いているのだと思う。今は課長のことだが。

(指導者に向いているんだろうな。仕事をガンガン進めるっていうより、道筋を考えて導いていくって感じ)

「おい」

 ジェイの首に腕を回して引き寄せた。

 研修が始まる前に、出来れば確かめたいことがあった。落ち着いているのにつつき出すようで気が進まないのだが。

「聞かれていやだったら答えなくていいから。裁判、近いだろ? 俺には何の連絡も無いんだ。お前は初公判に行くの?」

「あのね、しばらく行かなくていいみたい。西崎さんたちが当分動いてくれるって」

「そうか! 良かった。悪かったな、仕事中に」

「うん、大丈夫。じゃ、研修に行ってくる」

 場所はミーティングルーム。何かがあっても誰かが対応しやすい。


 途中でドアが開いた。

(休憩か?)

背を伸ばしてジェイたちの方を見た。柏木が石尾の胸倉を掴んだのを見て慌てて立った。振り返りもしない石尾とすれ違う。七生は泣いていて、翔は頭を下げていた。

「どうしたんだ!」

 ジェイの顔色が悪い。

「あいつ、石尾ってヤツ。ジェイにいろいろ突っ込んで聞いたらしい。事件のこととか。それに答えていたらしい」

 柏木はそのままジェイをソファに連れて行った。

「続き、俺がやる!」

「待て、華」

 課長が間に入る。

「ジェイが自分で話したということが大事なんだ」

「でも課長! やっていいことと悪いことがあるって叩き込まないと!」

「華、俺も課長に賛成だ。ずっと庇うことなんか出来ないんだ。誰もが事情を分かってくれるわけじゃない」

 池沢の持論だ。何かを抱えていても、理解しない人間に説くのは費やす時間も無駄なことだと。

(チーフだから自由が利かないのか? 前だったら今頃ぶん殴ってるのに)

『立場』という言葉が、ずっと自由だった華を苛む。

 けれど後半の研修は何も起きずに無事に終わった。ただ、全体的にあーだこーだと愚痴が多いのに閉口する。イラっとして立ち上がりかけた時に三途川が怒鳴った。

「新人! ごちゃごちゃ言わない! さっさと片付けてさっさと仕事覚えて。この部署にはヒマな人間は要らない!」

 問題児と思われている桜井という女の子が、三途川の地獄耳を甘く見て陰口を叩いた。

「怖っ! きっとここのお局様ね」

「桜井充、聞こえてる。『お局様』の言葉の意味と由来を私に2時半までに提出!」


(あれ?)

 ジェイの様子に不安を感じて華は立ち上がった。仕事の止まらないジェイの腕を掴む。

「お前、上がれ」

「え、でもまだ3時……大丈夫だよ」

「疲れたろ、もう止めとけ」

「大丈夫だってば!!」

 フロアにジェイの声が響く。薬も要らない、後輩が出来たんだから頑張る、そう言い張る。

(研修が堪えてるんだ……)

 よりによって事件について何も分かりもしない後輩に好奇心であれこれ聞かれたのだ。

 どうなることかと新人は皆注目している。

「ジェイ、来い。俺と休憩だ」

 課長がジェイに声をかけた。

「休憩?」

「ああ。仕事はさせてやるから」

「……分かった」

 課長について行ったジェイの後を目が追う。

「なんだ、あれ?」

「いきなり子どもみたいに……」

 池沢がオフィスから二人が出るのを見届けてから説明した。

「ジェロームはいろいろあって不安定な状態のため課長預かりだ。勤務はチーフの判断に任せている」

「でも病院とか……よくなるまで休職とか」

「仕事にならないような気がしますけど」

「ジェイ以上に俺の補佐を出来るヤツはいない。今日は俺が仕事を取り上げようとしたから騒いだんだ」

 納得しない顔に(これ以上なんでお前らに説明する必要があるんだよ!)という思いが湧いてくる。

「もっとはっきり言っておく。ジェイは単なる課長預かりじゃない。大滝常務もだ。そのうち折りを見て各チーフから説明を頼む。どうせ分かることだからな、隠しても意味は無い。後は任せる」


 ジェイが課長と戻ってきた時に、新人たちが目を逸らした。一人石尾は目で追っているが、その顔つきは先輩を見る目には見えない。

(今は放っておこう。俺がキレそうだし)

その方がお互いに安全だと思う。そしてそれはジェイのためでもある。自分のせいでチームがぎくしゃくすると思ってしまうだろう。


 消耗品の搬入があってすぐに立ったのはジェイだった。手早く片付けようとするジェイに池沢の声が飛ぶ。

「ジェイ! 新人にやってもらえ! それは新入社員の仕事だ。掃除や雑用は新入社員に手分けしてやってもらう」

 だが、新人たちから反発の声が出た。

(なんだ、こいつら。いちいち上司の指示に逆らうつもりか?)

「言っておくが、去年の新入社員はジェイ一人だった。文句ひとつ言わず全部やった。分担できるだけ有難いと思え」

「それと業務とやったんですか?」

「当たり前だろう、新人なんだから。お前ら、先輩に雑用やらせる気か?」

 池沢もすっかり機嫌が悪くなっている。

 ジェイは荷物の指示、雑用の簡単な説明をして仕事に戻った。残りは30分。

(無理だろう。4時なんかで上がるからだ)

石尾の思いとは裏腹にジェイは3時57分には華にデータを送った。

「了解! じゃ上がれ」

「はい。さっきはごめん……」

「あんまり頑張り過ぎるな」

 後輩が出来ていい刺激になるのならいい。けれどこの後輩たちは棘を生んではジェイに突き刺していく。その棘は、自分たちにも返って来るというのに。


 日が経ち、少しずつ新人たちもR&Dの気質を飲み込み始めたらしい。最初の頃より動きが良くなってきた。

 そして新入社員歓迎会が催された。



 新人たちには思い描いた歓迎会とかなり違っていたようで、浮足立っているように見えた。ホテルのフロアを借り切っているのだ、先輩たちの服装も艶やかで目を奪われる。

 そんな中でジェイに対する扱いが際立っていて余計な反応を煽ってしまった。

「一人にさせないんだね」

「おい、トイレにもついてくらしいぞ」

「すごくきれいなんだけど、華チーフと並ぶと。チーフ、ジェイ先輩に付きっきりなのね」

 ある意味悪目立ちしているのだが、メンバーにしてみればそんなことに構っていられない。ジェイのトラウマになっている歓迎会で無事に過ごさせてやりたい。

 和田がジェイのそばにいるから安心して華はそばを離れた。和田ははっきり物を言うし、意外と華とも意見が合う。たまに振り返るけれど、誰かが二人のテーブルに立ち寄ってはあれこれ喋っている。


 哲平のことを喋る千枝から離れて周りを見回している時に和田の声が聞こえた。

「桜井!」

 振り返ると桜井と石尾と平塚。

(ちっ! あの連中!)

 平塚はまだいい。たいして気にならない。けれど他の二人は。石尾の声が聞こえた。

「あ、王子さまのお出ましだ。お目玉食らっちゃいそう」

『飲み過ぎているだけだからいい』というジェイの言葉も聞こえた。

 3人を見下ろす華の目は凍っていた。

「おい、石尾、平塚。そんなに飲みたいなら俺が相手する」

 薬を飲んでいるからと酒を断るジェイに飲ませようとしている二人に言い放つ。そこに三途川も来て桜井を引き受けた。ジェイは顔を横に振った。

「いいです、華さんも三途さんも。石尾くん。言いたいことがあるならはっきり言って。ちゃんと答えるから」

「……いえ、悪いし……」

「何が?」

「噂聞いて……やめときます」

「どんな噂?」

「先輩、聞かない方がいいと思うけど」

「噂ってみんなが言ってるってことだよね」

「やめろ、ジェイ。そんなの聞かなくていい」

 ジェイは華の目を見た。

「ってことは、華さんも知ってるってこと?」

「俺たちには必要の無いただの噂話だ。そんなもん関係無いよ、お前には」

「なら聞いたって関係無いはずです。聞かせて、石尾くん」

「先輩にそんなに頭下げられちゃ……」

「なんだと!?」

(ふざけやがって!!)

怒りで爆発しそうだ。掴みかかろうとする華の腕を後ろから掴んだのは広岡だった。

「やだなぁ、みんな殺気立っちゃって。ジェローム先輩が気の毒だなぁって思って、その噂を消して回ろうかって相談してたんですよ」

 石尾のにやにやが止まらない。止める間もなく桜井が火照った顔で言った。

「レイプ! 先輩が何人かの男の人たちにレイプされたって。冗談ですよね、いくらきれいだからって。でも想像したら萌えるよねってみんなで……」


――パーン!!


 三途川は引っ叩たかれて仰天している桜井を引き摺って出て行った。今度は広岡が石尾の胸倉を掴んで立たせた。そのまま腕を掴んで出て行く。平塚は中山に捕まった。

 周りのメンバーも呆気に取られた。三途川は分かる。けれど広岡がそんな行動に出るとは思ってもいなかったし、中山も新人を有無を言わさず外に出すようなタイプじゃない。

 ジェイはテーブルクロスに縋りつくように掴まっている。顔色は蒼白だった。

「ジェイ……」

「華さん……俺、知っとく……べきだと思う……よ、いろんなこと……いつかいやでも……そんな目で見られてるって……」

「必要ないよ、そんなこと」

「ううん、……いちいち……そういうのに躓いてちゃだめ……なんだ……もっと、もっと強く……」

「頑張ったな、ジェイ」

 課長が近づいてきた。

「課長、聞いてたんですか!?」

「あの3人の騒いでるのが聞こえたよ。わざと大声で喋ってたからな」

「じゃ、なんで!」

「ジェイが言った通りだよ。俺が殴ろうかと思った。けどジェイはちゃんと対応していた。強くなったな、ジェイ」

 笑っているのに課長の目はすごく辛そうだ。飛び出すのを我慢したのだろう。とうとう親に縋りつくように課長に掴まって泣き出した。

「知らない人間ってのはあんなもんだ。俺たちがいる。助けが欲しけりゃ呼べ」

「分かってる……んだ、もっと…強くなりたい……逃げても意味無いって……」

 課長と華を見上げて小さな声で絞り出すように言う。

「まだ……まだ弱虫でごめん……」


 華はジェイのそばに膝をついて抱きしめた。

「ジェイ、俺なら無理だよ。言ったろ? 俺は抜け出すのに大変だったって。俺は逃げたよ、高校に行けなかった。転校したんだ。そして一人で住んだよ、誰とも一緒にいられなくて。お前は偉いよ、逃げてない、逃げようとしてない。『逃げても意味無い』そう自分で言えたんだ……」

(本当だ、お前は俺よりずっと強い。自分では分からないもんなんだ)

ジェイの両腕を掴んだ。

「俺、お前を誇りに思うよ。お前が親友で嬉しいんだ」


 戻って来た問題の3人は頭を下げた。石尾の頭の下げ方は素直じゃなかったが。

「本当に大丈夫か?」

 ジェイは課長の気遣わし気な顔に頷いた。

「もう……平気にならなくちゃ。そうでしょ?」

「あんた、偉い! すっかり変わったわね。ご褒美に約束通りあんたと華を山に連れてってあげる!」

 慌てて華は後ずさった。

「パス! 俺を巻き込むな、ジェイ」

「俺、華さんと登りたくて」

「……考えとく」

 どうも潤んだ目のジェイには負ける。弟は弟でもまるで小さな子どもに見えてくる。涙で訴えられたらなんでもしてしまう気がする。

(本当に登ることになったら……どうしよう!)

大変なことになったと、心の中で頭を抱えた。

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