第三十一話 目指す人

「もしもし、どうしたの?」

『コンビニにいるんだけど課長になにを作ったらいいか分からなくて』

「消化にいい……今、コンビニなのね?」

『うん』

「そうだな、卵はある?」

『あります』

(そうか、課長に食事を作るのか)

 なら、確かに真理恵の方がうんと役に立つ。

「じゃ、卵雑炊にしよう。人参とか大根とかある?」

『ある、シイタケも』

「キノコはだめ。消化に悪いから。キャベツは?」

『はい』

「じゃ、雑炊はそれで。後でまた電話ちょうだい。作る時に教えてあげるから」


「どうだった?」

「一生懸命! って感じだったよ。病人食って普段作らないしね」

「またかかってくるんだよな? 話し終わったら俺に代わって」

「分かった」

 

 そんなに時間も待たずに真理恵に作り方を教えてほしいと電話が入った。

「うん。うん、そう。明日、華くんにお料理の本を持ってってもらうから。分かんなかったらまた聞いて。ちょっと待って、華くんが話したいって」

電話を代わるともう涙声になっていた。

『今日ね……』

「中身も喋んない内から泣くな!」

『病院行ってきて、胃カメラ飲んで……』

「で!?」

 去年、課長は事故で入院した。けれどたいしたことはなかった。

(胃カメラ飲まされるほどって…)

『胃潰瘍だって……どうしよう、俺のせいなんだ』

(胃潰瘍? 完全にストレスじゃないか)

電話口で鼻をすすっているジェイに参った。

「そこ、コンビニだろ? そこで泣くな、先に清算済ませろ」

『明日の課長の仕事、俺うんと手伝う!』

「会社、来るって言ってんの!?」

『もう休まないって』

「何考えてんだよ……どう言ったって聞きやしないんだ、あの人は」


 後のことは心配するなと言って、電話を切った。

「ね、具合悪いのに仕事に行くって言ってるの?」

「そういう人なんだよ。でも胃潰瘍って無理するとだめだろ?」

「入院、しないで済むのかな。ひどいと手術ってこともあるよ」

「……チーフに電話するよ。俺だけじゃどうしようもないから」


 池沢の対応は早かった。

『明日7時にチーフは集まってほしいんだが……急に無理かな。お前は?』

「俺、早起きですよ。行きます」

『助かる。じゃ、中山にも伝えてくれ』

「了解です!」

(中山さんに電話すんの、初めてだな)

 そう思いながらかけてみた。

『はい』

「華です」

『どうした? 珍しいな』

「課長のことなんですけど、胃潰瘍だって分かりました」

『それで!?』

「明日、出社するって……」

『まったく!』

「多分何言っても……」

『無駄なの分かってるよ』

 溜息が聞こえる。

「池沢チーフが……」

『課長補佐』

 こういう時でも中山はきちんとしている。

「課長補佐が、明日7時にチーフが集まれるだろうかって」

『分かった。もっと早くてもいいんだぞ』

「じゃ、時間が変わったらまた連絡します」

『夜中にかけてきてもいいからな。じゃ』


 普段あまり口を開く方じゃない中山の口調に正直驚いていた。課長に真剣に怒っていた。

「中山さんのあんな喋り方、初めて聞いたよ」

「みんな心配してるんでしょ? 鬼だって言われてても慕われてるんだね。すごいね!」

 人望とはこういうことを言うのだろう。みんなが感服するのも当然のことだ。厳しいが、真っ正直な上司はいつも正面から自分たちに向き合ってくれる。自分たちの盾になってくれる。だからジェイも救われたのだから。

「こんな時に恩返ししないと!」

「頑張って。でも無理しすぎないでね」

「課長も結婚すればいいんだよなー」

「そうだね……あ、料理の本、ジェイくんに持って行ってあげてね。いつでも電話してって」

「言っとくよ」


 早朝のミーティングはたまにはいいと思えた。辺りが静かで話に集中できる。互いに率直な意見を言い合って、課長から仕事を取り上げるということで意見が一致した。

 仕事の進め方、新入社員の対応、そしてジェイの裁判に対する気配り。やることはいくらでもあるが、陣頭指揮は池沢が請け負った。

「こういう時の一致団結って、R&Dの強みだね」

「そうだな。俺たちの真価が問われる。しっかりやろう」

 ある意味、これは自分たちのステップアップにもいい試練だ。

「華!」

「なんですか?」

 池沢の声はデカいから華だけではなくみんなに聞こえる。

「哲平にはこの話をするな。インドを蹴りかねない」

「了解! でも千枝さんが」

「歓送会は今日だ。『胃潰瘍』という言葉を出さなきゃいい。その後に聞いたとしてもさすがに歓送会までして残るとは言えないだろう」

「了解!」


 ジェイと一緒に出勤してきた課長は、明らかに病人だった。気丈に振る舞っているのは責任感からだ。それが昼休みになって自席で目を閉じたまま始業になっても起きない。

「電気、つける?」

 井上の困ったように問いに野瀬が答えた。

「しょうがない、まさか仕事しないわけにもいかないし」

 光で起きると思っていた。けれどピクリともせずに眠っている。

「あんなの……初めて見た……」

 浜田がぼそっと呟き、野瀬から頭をパカンと叩かれた。

「な……!」

 みんなが一斉に浜田を見て口に人差し指を立てた。

「なんか俺……頑張るよ、仕事……」

「私も……」

 柏木と井上の呟くような声。パソコンの音も静かで、でも仕事は早かった。誰もが課長に楽をしてほしい。


 課長が目を覚まして、「え?」という顔になる。「すまん」とみんなに謝る課長の姿が切なくて……

 ミーティングルームにあるソファに横になってほしいと言う切実なみんなの願いに課長が立った。

「ミーティングルームにいる。悪いな、池沢。みんな」

 誰もが普段の恐ろしく働く課長を知っている。

(こんな時くらい休んでほしい……)

泣きたいほどの思いでそう思った。華にとっても大事な目標だ。



 歓送会の幹事は澤田と和田。賑やか好きの哲平のためにそんな心遣いが出る。哲平の底抜けな陽気さに助けられることが多かった。そんな哲平の旅立ちだ。

「済まないな、哲平。お前の大事な日だと言うのにだらしないところを見せてしまった。最後の最後までこき使ってやろうと思ったのにそれも出来ず、お前も心残りだったろうと思う」

 哲平が「冗談でしょ!」と反論する。

「帰国後のお前が今から楽しみなんだ。そのお前と仕事をやりたいとうずうずしてくる。元気で帰ってこい!」

 珍しく哲平が下を向いた。一瞬、泣くのかと誰もが思った。上がった哲平の顔はニヤリと笑っていた。

「死ぬ気で掴むもの掴んで土産持って帰りますよ。ただじゃ帰りません」


 乾杯の後、お喋りが始まったところへ大滝常務が表れて澤田が焦ったが、挨拶に来ただけだと言う。

「無粋な真似をするつもりは無かったんだが宇野くんと話す機会が少なかったと思ってな、一言謝りたいことがあってここに来た」

 何の話かとさすがに哲平も緊張した顔になった。

「急な話だが、君がつくことになっている本間課長がご実家の都合で8月に退社することになった。そこで君だ」

 課長も驚いた顔になっていた。

「8月からほぼ課長として動いてほしい。河野くんから聞いていた評価で君ならやれると期待している。よろしく頼む」

 話のデカさに哲平には実感が湧いてこない。

「常務……俺には荷が重いです……向こうにだってベテランがいるでしょう?」

 大滝常務が笑う。

「私は君なら乗り越えると思っている。8月には君に差し入れを送る」

「差し入れって……なんですか?」

「胃薬だ。きっと必要になるだろう。大変だとは思うが、頑張って帰って来てくれ」

 ぼうっとしている哲平と握手をして常務は出て行った。

「俺……課長代行?」

「すごいことになったな……いや、行くのがお前で良かった!」

 池沢の絶妙な言葉で哲平の頭が現実に戻ったらしい。

「課長っ! 知ってたんですか!?」

「知ってたらさすがにこれは言う。いきなりハードルが上がったな」

「ハードルどころか……断崖絶壁の前に立ってるような気分ですよ……そうだよ、崖から落ちて俺、溺れちまうんだ……千枝、どうしよう、帰ってこれないかもしれない……子ども欲しかった……」

 大変なことになった哲平を誰もが心配しているにも関わらず、今の言葉に皆爆笑してしまった。青い顔をしているのは哲平と千枝。

「哲平さん、良かったじゃん! すぐ金貯まるよ。結婚式も帰ってきたらすぐ出来るし、家だって買える。ま、変な遊びをしてこなきゃだけどね」

 華が余計なことを言っている間にジェイが一気にアルコールを煽ってしまった。華が取り上げようとしたけれど間に合わなかった。


 哲平が大きな荷を背負って遠いインドに行くことでマジ泣きするジェイの隣に華が座った。

「お前、哲平さんに最後まで心配かける気か? 兄貴の門出を涙で塗りつぶすのか?」

「だって……」

 入社した時に『どうせすぐいなくなる人たちと仲良くなったって無駄だ』と言ったジェイに哲平は怒りを露わにして、結果ジェイに殴り倒された。あの頃はジェイの抱えていた事情を知らなかったがこの1年でお互いの在り方がすっかり変わってしまった。

「お前にはもう一人兄貴がいるだろう?」

 じっと華を見る泣き顔が頷いた。

「哲平さんは帰って来るんだ。ちゃんと見送ってやろうな」

 無理にでも笑顔を作り出そうとするジェイの肩をぽんぽんと叩いてやった。

(哲平さん……俺も泣かずに見送るよ。哲平さんがインドで頑張るなら俺はこっちで頑張る)


 課長とジェイが帰った後の二次会はえらい騒ぎになった。千枝が酔っぱらってしまって哲平は自分が飲むどころじゃなくなったのだ。

「こらぁ! 哲平! 向こうで『きれいなおねぇちゃんだー』なんて鼻の下伸ばすんじゃないわよぉ!」

「おい、飲み過ぎだよ」

「うるさい! 私を捨ててインドに行っちゃう……課長のばかぁ!」

「なんでそこに課長が出てくるんだよ」

「哲平と一緒にインドに転勤したいって言ったら返事もしなかった! きっと哲平は向こうで誰か見つけて結婚してたくさん子ども作っちゃうんだ……」

「俺は千枝一筋だってば!」

 見かねて華が千枝を宥めた。

「哲平さんはそんな器用な人じゃないって千枝さんも知ってるでしょ? モテやしないって、安心して待ってて大丈夫だよ。千枝さんしかいないんだから、哲平さんがいいっていう女の人なんてさ」

 途端に矛先が華に向かった。

「なんですって! あんた、哲平をばかにしてんの!?」

「いや、そうじゃなくって……」

「分かった! 哲平みたいにモテないからやっかんでんでしょ!」

 その言葉に結構酔っているみんなが大笑いする。

(まったくもう! 手がかかり過ぎるよ!)

堪ったもんじゃない。

「千枝だけだよ、そんなこと言うの」

 今度は田中に食ってかかりそうになるから慌てて哲平が外に連れ出した。

「ちょっと外の空気吸わせてくる!」


「あそこまで思われるなんてたいしたもんだよな」

「きっと千枝の尻に敷かれるよ」

「子ども10人欲しいって言ったんだって? 毎年産むのか、千枝も大変だなぁ」

 他人事だと思ってみんなも思い思いのことを好き勝手に並べている。

「本人がいないからって言いたい放題言うのはやめてくんない?」

 ついキツいことばがでた。

「おい! 今度は華が酔っぱらったぞ! 誰かなんとかしろ!」

 結局次々としたたかに酔っぱらってしまい、その面倒を見たのは哲平になってしまった。けれど華には哲平が充分満足しているように見える。自分のことで騒いでくれるみんなに、終始嬉しそうな顔をしていた。


 良くも悪くも、4月が始まる。

(気を引き締めなきゃ。変わるって決めたんだから)

そして、華に次々と試練が訪れることになる。

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