第三十話 長男の力 -2
哲平の後姿を睨みつけた。
(ジェイはきっと泣く……誰かの手を求める。その手を俺は握ってやりたいんだ)
オフィスに上がって眠っているジェイを覗いた。さっきの話を何度も考えた。
勤務時間が終わり、ジェイを気にしながらも次々とみんな帰って行く。哲平も何も言わずに帰ってしまった。起きたジェイに課長が話しかけている。ちらっと見回す課長と目が合った。
「課長、ちょっとジェイと話してもいいですか?」
「もちろん構わないさ。じゃ書類を総務に出してくるからその間頼む」
華はジェロームと二人になって話を切り出した。
「ジェイ、明日本当に一人で行くのか? 俺、休んでも平気だぞ」
「華さん……俺、大丈夫だよ」
「大丈夫って、何しに行くのかホントに分かってるのか?」
「イヤなこと、しに行くって分かってる」
「表で待っててやるよ、廊下とかさ」
「俺……明日は頑張るって決めたんだ。ずっと誰かにいつも助けてもらって……でもこれから俺を待ってるのって、俺が頑張らなきゃダメなものだよね? 嫌だよ…怖い。ホントに怖い。大丈夫ってホントは思ってないよ。でもやれるだけやってくる。そう思ってる時にやらないと、きっとホントにダメになる」
誰に言われるよりもその言葉が染み込んだ。
(『ジェイよりガキだ』哲平さん……そうかもしんない…)
一人で立ち向かうと言うジェイの心をどうして自分がくじけさせられるだろう。
「俺たちがついてるって、思い出してくれるか? 辛かったら電話して来い、何もかも放り出して行ってやる」
「ありがとう、華さん。みんながいるって、それ忘れないから」
ジェイの肩をぎゅっと掴んだ。
「分かった! 俺、お前を待つよ。やれるだけやってこい。俺は仕事を頑張る、お前がここを心配しないでいられるように」
「はい」
入って来た課長にスッキリした顔で頷いた。
「お先に失礼します。ジェイ、またな!」
「お疲れっ」
エレベーターが下りる中思う。やはりついて行きたい。全て納得したわけじゃない。でも自分の思いを優先することが間違っているのは確かだ。
駐車場で車のキーを手にした時に柱の陰から哲平が出てきた。
「俺、今日は電車なんだ。送れよ」
華は頷いた。
(待っててくれたんだ……)
哲平が助手席に座った。
「で、明日は?」
「仕事する。ジェイと話した。頑張るって」
「そうか。あれ以上ガキにならずにすんだか?」
キッと哲平を睨み返した。けれど哲平は真面目な顔だった。
「……うん」
「そうか。良かった! いい子だ、お前も」
顔いっぱいに笑顔が広がる。華は泣きそうな顔になる。
「泣かない。いいな? 怒るのはいい、こんな事件なんだから。けど泣くな」
「分かってる!」
華の頭にあったかい分厚い手が載った。
「悪いな、こんな時にインドだなんてさ。俺は遠くにいて無事を祈ることしか出来ない。お前が頼りだ。俺の分も頼むな」
頷いた、何度も。
哲平が車を降りた。
「哲平さん?」
周ってきて運転席のドアを開ける。
「どけ。俺が運転替わる」
言われた通りに哲平と替わった。
「お前も疲れてるんだよ。課長もそうだ。そしてジェイもな。でも俺たちは踏ん張んないとな。何より大事な末っ子が壊れないように兄貴は支えてやるんだ」
静かなまま車は走った。ぼんやりと考える。
(早く終わるといいな……なにもかも)
車が止まる。外を見ると自分の家の前だ。
「哲平さん! 俺んちじゃないですか!」
「そうだけど?」
「だって哲平さんの家……」
自分の家からでは電車じゃ1時間近くかかる。
「俺、地元久しぶりだからさ、のんびり帰りたいんだ。あそこに寄ろうかと思って。ほら、
「あの子、辞めたよ。彼氏と同居するんだって浜田さんと喋ってた」
「……めげない! 俺には千枝という女神がいるんだから!」
「千枝さんももの好きだよね。どうしてつき合う気になったんだろ」
「俺の人間としての器がデカいからさ」
(それ、自分で言う? でっかいけどさ、誰よりもずっと)
歩き出す哲平を追いかけようとした。
「駅まで送るよ!」
「いいって。それより早く真理恵さんに甘ったれろ。あの人くらいだ、お前と一緒にいようっていうもの好きな人は」
仕返しされたようなものだが、華は走っていた。
「哲平さんっ!」
「なんだよっ」
いきなり華に背中に飛びつかれ哲平は慌てている。
「俺さ、哲平さんみたいにはなりたくない」
「いきなり酷いこと言うな!」
「人に『甘えろ』って言っておいて哲平さんは絶対に甘えないんだ。苦しくならないの? 全部飲み込む気なの?」
「ばぁか」
笑って華に向き合った。
「俺はさ、そんなカッコいいもんじゃないよ。自然体でいるのが楽だからそうしてんの。そういう意味じゃ、誰よりも苦労しないで生きてるかもしんないな。じゃ、お休み。明日は働くぞ!」
その後姿を見えなくなるまで見つめていた。
(恥ずかしいとこ見せた……)
親にだって抱きついたことなど無い。抱きつく相手は真理恵だけだった。
『疲れてるんだよ』
その言葉に救われた思いだった。真理恵とはまた違うあったかい言葉。
「お帰り! あれ? 華くん、疲れた顔してるね。お風呂用意してあるよ、疲れが取れるから入ってきて」
背中を向けようとした真理恵の手を掴んだ。
「どうしたの?」
小首を傾げて華を見つめてくる。華は何も言えなかった。いう言葉が見つからないし、何を言いたいのかも自分では分からない。
真理恵は玄関に降りてきた。サンダルを履いて、華のバッグを取りあげ、廊下に置く。靴を履いたまま上着を脱がされた。ネクタイを抜かれて、ワイシャツのボタンを上から2つ外される。急に息が楽に吸えるようになった。
「良かった! 息、吸えたね! なんだか窒息でもしてるような顔だったよ。もう上に上がれそう?」
「うん」
靴を脱いでバッグを掴んで部屋に行く。上着もネクタイも真理恵が持ってきてくれた。
「これ、クリーニングに出しとくね。明日はもう一つのスーツ着ていって」
「でもそれ、クリーニングから持って来たばっかりだよ」
「いいじゃない、きっと明日気分が変わると思うよ」
「……うん。ありがとう」
真理恵は滅多に聞かない、何があったのか? と。ただ受け入れてくれる、ありのままを。だから繕わなくて済む。
風呂を出ると味噌汁の匂いがした。食卓に座ると好きなきんぴらごぼうがある。途中まで食べて箸を置いた。
「明日さ、ジェイ、検査なんだ。いろいろ聞かれるって、あの時に…どんな気持ちだったとか。覚えてることとか」
「そうか……」
真理恵も思い出していた、華が暴行を受けた時のことを。
「じゃ、お腹いっぱいに食べとかないといけないね」
華は真理恵の顔を見た。
「お腹減ってると元気になれないでしょ? 華くんはジェイくんに元気を分けてあげないと」
哲平と同じことを言っていると思う。表現は違うが中身は一緒だ。
(もっと、もっとデカい男になりたい。マリエに何かあった時だって守るのは俺なんだ。哲平さんとは違うけど、俺も変わっていかないと)
次の日は会社でみんなが何度も時計を見た。途中で中間報告だと西崎弁護士から電話が入った。
(長いな……)
深呼吸をする。入ってくるメールを片付け、資料の下書きを終わらせ、データのチェックをする。ジェイに仕事を残すわけにはいかない。チーフなんだから自分のチームが負っている業務は責任を持たなければと仕事に意識を向ける。
それでも時計に目が自然と行った。
2時過ぎ。
「ありがとうございます。お待ちしています」
電話を切った課長がみんなに目を向けた。
「終わったそうだ。いったんここに戻ってくる」
「様子は!?」
池沢がすぐに聞き返す。
「分からない。西崎さんは何も言わなかった」
4時近くに課長がオフィスから出て行った。しばらくしてジェイを伴って戻って来た。華はすぐにジェイに飛びついた。
「大丈夫だったか? きつかっただろう!」
顔色が良くない。ソファに連れて行く。
「華さん、仕事……」
「お前の分? 俺はチーフなんだぞ、全部片付けたさ」
にこっと笑いかけると拳がぎゅっと握られていた。
「出来るだけ……頑張ってきたから……」
そばに来た哲平が威張ったように言う。フロアの改造なら俺が頑張っているんだから休めと。本当はジェイが中心になって進めている作業だ。それを哲平が肩代わりしてくれている。
それでもジェイは休まずに出勤を続けた。そんな中で課長が倒れた。
課長の世話を一心にするジェイのSOSの電話は、真理恵宛てにかかって来た。
「ジェイか!? どうだ、課長の様子は?」
いつも面倒を見てもらっている分、今回はジェイが課長の世話をすると頑張っている。
『お願い、真理恵さんに代わって!』
「おいおい、俺じゃなくて……」
『早くってば!』
「マリエ! ジェイがお前に用だって!」
さっさと代われと言わんばかりのジェイに少し不貞腐れる。
(こっちは心配してるのに)
頼りきっている課長の病にきっとジェイは胸が潰れそうなのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます