第二十七話 理不尽な優しいお兄さま -2

 マンションに着いたのは10時ちょっと前。

「お前の支度が遅いからもう昼だ」

 ブツブツ言いながら哲平が携帯を出す。

「その感覚、ついてけない。哲平さんの朝って、何時?」

「5時半かな」

「年寄り」

「ピッチピチだよ、俺は。なんだ、あいつ電話に出ないな」

「ゆっくり寝てるんでしょ。メール送ってのんびり待とうよ」

「あ、出た」

『はい。ジェロームです』

 スピーカーの声は少し不機嫌そうに聞こえた。

(休みの朝っぱらから電話かけられたら誰でもそうなるって)

「よっ! おはよ! ってかさ、若いのがなんで休みに休んでんだよ」

(すごっ! 理屈も何もあったもんじゃない)

『哲平さん!?』

 泡食ったような声に変った。華には想像できる。

(今、座ったろ、お前。俺も座ったもんな)

「帰ってきたぞ! ついでに華も叩き起こしてやった。おい、下にいるからさっさと開けろ」

『下……って、ここの……マンションの下!?』

「当然だろっ! 早くしろ、若者の青春は短いぞ!」

(やっぱ、無茶苦茶だ、この人)


 玄関に入って哲平がごちゃごちゃ言っているのをあしらいながらジェイの顔を見て華は慌てた。

「哲平さん、どいて!」

 半ば哲平を突き飛ばすような勢いで飛び込んでジェロームを抱えてソファに座らせた。

「大丈夫か!? 苦しいか、何か飲むか? ごめん! もっと早く電話すれば良かったよな、悪かった!」

 大丈夫だと言うジェロームの様子は肩で息をしているようで、とても大丈夫に見えない。

「なんだよ、どうなってんだよ」

「こいつ、今不安定なんだよ。だから荒っぽい刺激とか哲平さんの存在とかに対応しきれないんだ」

「俺の存在がなんだってんだ、おい、ジェローム! そんなに俺って刺激的か!?」

「え?」

「は?」

(ミステリアスの次は刺激的って……意味分かってんのかな、この人)

笑いそうになる自分を抑えた。

(いや、それより今はジェロームだ!)

哲平に指図してタオルを取ってきてもらう。

 哲平は哲平なりに焦っているようだ。ジェロームの汗を拭きながらまた変なことを言い始める。

「大丈夫か? な、哲平お兄さんが来たんだぞ。気をしっかり持て!」

 そのタオルを引っ手繰ってジェロームが顔に押し当てて変な呻き声を出す。

「おい、どうしよう、華!」

「ジェローム、しっかりしろ! 課長呼んでこようか?」

「て……てっぺ……」

「どうした、俺か!? ここにいるぞ! 大丈夫だ、哲平お兄さんはここだ!」

 哲平がひくひく震えるジェロームをひしと抱き締めた。

「ご、ごめんなさい……も、だめ!」

 そのまま泣きながら笑い転げるジェローム。哲平の顔がさらに不安そうな表情になった。

「なんかの発作か?」

「いや、このタイプは見たことない」

「ちが、ちがうんだって……だって、てっぺいおにいさ……」


(……要するに哲平さんの言葉でやられたんだな)

心配して損したとばかりに、ジェロームの頭をパカン! と叩いた。

「おい、乱暴するな!」

「こいつ、笑ってんの!」

「見りゃ分かるよ!」

「違う、哲平さんが『哲平お兄さん』なんて言ったから、それに吹き出しちゃってんの」

「……なんだとっ!? 散々心配したのに、そこか!?」

「ご、ごめんね、だって、おかしくって……」

 泣きながら笑っているジェロームを放って、今度は華に険悪な顔を向けてくる。

「そういえばどさくさに紛れてお前、変なこと言ったな」

「何を?」

「俺の存在に対応しきれてないって、ありゃなんだ?」

(げ! しっかり覚えてる!)

「……ああ、あれ? あれはそのまんまの意味」

「そのまんま?」

「ほら、哲平さんの存在って、デカいじゃん。圧倒されるそのオーラにジェロームが参ったってこと」

 我ながら苦しい言い訳だ。通用するわけが無いからまた怒り始めるだろうと身構えた。華の言い訳に、必死に笑いを収めつつあったジェロームの震えがまた始まる。しかし哲平はその答えに満足したらしい。

「そうか、悪かったな、お前の前じゃもう少しパワー落とすようにするよ」

 華は背を向けた哲平の後ろで肩をすくめて天井を見た。

(こりゃだめだ……幸せだなぁ、哲平さんは)


「取り敢えず、冷たいもんでも飲もう。ああ、俺、ハラハラして喉乾いたよ!」

「どっちがハラハラしてんだかさせてんだか」

 笑い疲れたジェイがへたり込んでいるから、哲平が動き出した。冷蔵庫を覗いてあれこれチェックをし始める。

「このお浸し、美味そう! 飯、ある? 実は今朝飛び起きてそのまま華ん家に行っちゃったからさ、腹減ってるんだ」

「勝手に来といて……俺たちも喉乾いたんだけど。な、ジェローム」

「サイダーと……オレンジジュースと……リンゴジュース?」

「しまった! なんか買ってくりゃ良かった。こいつ、そんなのばっかりだからさ」

「いやぁ、参ったな!」

 ぼそぼそ言いながら哲平は電話を誰かにかけた。

「あ、課長? 哲平です! 今ジェロームんとこに来てんですけど、何か飲みもんあります?」

『バカヤロー! 出たところにコンビニがある、買いに行け!』

「よくやるよー。課長キレんの当たり前じゃん。罰としてなんか買ってきて」

「朝からノリが悪いよなぁ。だから彼女出来ないんだよ。欲求不満なんじゃないの? 夕べとか一人寝しちゃってさ」

 ドキリとした。夕べ、真理恵につれなくされている。

「いいから! 俺、ウーロン茶でいい」

「分かったよ!」


 哲平が慌ただしく出て行くといきなり部屋がシンとした。ふと見るとジェロームは深刻そうな顔をしていた。ソファにドサッと座って軽い調子で話しかける。

「まったくなぁ……おい、良かったのか? 何か予定あるなら今俺に言えよ。哲平さんなら俺が引き受けるから」

とたんにジェロームの顔がパッと変わった。

「一緒にいたい、3人で。俺、こんなに笑ったの久しぶりだよ。死ぬかと思った!」

「あれ、お笑い爆弾だからな、本人に自覚が無いところが凄いよ。聞いたか? 『パワー落とす』って。オーラがあるってのは否定しなかったぞ」

「も、やめて! また笑っちゃう!」

 また笑い出すジェロームについ顔が緩む。

「来て良かったんだな、俺たち」

「うん! 楽しい!!」

「今日さ、この後どうするつもりか知らないんだよ。哲平さん任せで平気か? なんなら俺が軌道修正するぞ」

「いい。哲平お兄さんの言う通りにする」

「『おにいさん』かぁ。マジ顔でよく言えるよなぁ」


 インターホンが鳴ったからロックを開けた。カギはかけてなかったから汗だくの哲平が飛び込んできた。

「階段走ったの?」

「ああ! ヤバかったから!」

「ヤバイ?」

「猫! 猫がいたんだよ!」

 華は、なぁんだ という顔になった。

「ああ、そりゃヤバイね」

 一本調子で返事をする。ウーロン茶は冷たいけれど泡立っていた。

(ホントに必死に走ったんだな。怖がるのも一生懸命だ)

そう考えると本当に可笑しい。

「猫、ヤバいんですか?」

 真面目な顔でジェロームが聞いてきた。

「そうか、お前知らないんだよな。いいこと教えといてやる。猫、飼え。哲平さん除けになる」

「除けって、え、苦手なんですか?」

「あれ、不吉なんだぞ! 黒かったらとんでもないんだからな! さっきの、真っ黒だったんだよ!」

 目を丸くしたと思ったら、口が膨らみ始めたから慌ててジェロームの顔にタオルを押しつけた。

「吹くならタオルん中に吹けよ!」

「おい! 猫って魔族なんだぞ!『化け猫』ってのは猫なんだからな!」

「もう黙って! ジェロームが笑い死にしたら哲平さんのせいだからね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る