第二十七話 理不尽な優しいお兄さま -1

 誕生日のイベントの後、多忙な業務で飛ぶように日が過ぎていった。

 ジェロームの様子は少し良くなった。みんなに囲まれた自分のためのイベントは、ジェロームの精神状況にいい状態をもたらしたのかもしれない。不安定ではあるが危機感を感じることはほとんど無くなったような気がする。それでも時折急に違う世界を見るような目をしては華の不安を煽ったが。


 そして今日は金曜日。

「ただいまー」

「お帰り、疲れた顔してる! 座っちゃったら動きたくなくなるでしょ、そのままお風呂に行って」

「ちょっとでいいから座らせて」

「だめ! 行きなさい!」

 真理恵にバッグを取られ、スーツを脱がされバスルームに追い立てられた。

「なんだよ」

 と言いつつ入ったが、バスタブに体を浸すと目を閉じて大きく息をついた。

 怒涛の3月、もう後半だ。

(来週からは地獄だよなー)

 単なる席替えじゃない。ジェロームが入った時には1人だったからそれほどの準備は必要なかったが、今度の新入社員の人数は二桁だ。

(はぁ……そこに石尾だしなぁ。しかも原田七生。ジェイには女の子のあしらいなんかできるわけないし)

 別に華は女の子とうまくやる方法を知っているわけじゃない。片っ端から振る方法を知っているだけだ、それもこっぴどく。

『宗田くん、おつきあいしない?』

『あのさ、倒産処理制度で個人再生ってあるじゃん。一つは小規模個人再生だよね、将来の収入の見込みを当てにして清算していくヤツ。もう一つはなんて言ったっけ?』

『あの、私そういう話しにきたんじゃなくて……』

『悪いけどさ、その程度の話すら出来ないんだったら邪魔しないでくんない?』

 専門外の質問をぶつける極めてイヤなヤツだった。

 あの頃は何を言われようとどう見られようと全く気にしていなかった。今でもその根幹は変わっていないが、社会的な成長も精神的な成長もした。だから鷹のごとく爪を引っ込めていられるようになった。時々、爪がにゅぅっと伸びることはあるが。


「華くん! ほら、起きて!」

 いつの間に眠っていたのか、浴槽の横に腕組みした真理恵が立っている。

「もう! ここで寝ないで。ちゃんと食べてお布団に入って寝て!」

 慌てて立つ。

「ほら、真っ赤じゃない! 逆上せちゃってるんでしょ、こんなことしてたら死んじゃうんだからね!」

 持っていたバスタオルで手早く体を拭かれてしまう。手を引っ張られて食事をする部屋へ。

「おい、俺まだ裸……」

 むすっとした顔の真理恵が着替えを持ってくる。

「はい! さっさと着て」

 下着をつけたところでいきなり座らされ、冷たいタオルで顔を覆われた。

「マリ……」

「黙ってじっとしてなさい。体温、上がり過ぎ。自分で持っててね」

 確かに頭がぐらぐらしている。持ってきた氷の入った水を一気に飲み干した。

「もう、湯舟で寝ちゃダメだからね!」

「分かったよ、そんなに怒るなって」

 落ち着いてきて食事を済ませるとすぐに寝室に行かされた。

「マリエ、その、金曜だし……」

「今日は大人しく寝て。疲れてるからお風呂で寝ちゃったんでしょ! 今日は何もしないで寝るからね」

 もやもやしながら目を閉じたが、眠りにつくのは早かった。


 

「……くん、華くん」

「んんーーーもうちょっと…」

 その手に携帯を押しつけられた。

『おい! ナニ寝惚けたこと言ってんだよ! さっさと起きろ! 表にいる、10分で出て来い!』

 座り込んだ。電話の主は確かめるまでもない。『賑やか』を絵に描いたような哲平だ。

「勘弁してよー、何時だよ、今」

『8時2分だ。一般家庭では誰でも起きてる。外でずっと待ってたんだ、8時過ぎるまで我慢して』

「マリエー、表に不審者がいるから入れてやって」

 真理恵が笑って玄関に向かう。

『不審者って誰だよ! 俺はな……あ、真理恵さん、おはようございます! 今日もいいお天気ですね! 久しぶりだけど相変わらず可愛らしいなぁ』

「哲平さん、電話切ってよ」

『あ、これお土産。横浜のシュウマイで』

 バカバカしいと思って華は電話を切った。大きく伸びをする。

(よく寝たぁ、早寝して正解だな。マリエって俺のこと、なんでもよく分かってる)

 そこにズカズカと哲平が入って来た。

「真理恵さん、お気遣いなく! こいつ、今日一日借ります」

「なんで俺が貸し出されなきゃなんないの?」

「あれこれ文句ばっかりだな」

「はぁぁ? いきなり人を叩き起こして寝室にまで入り込んで。俺が文句言うの当然でしょ」

「相変わらずの減らず口。いや、いいもんだ」

「ね、聞いてる? 俺の話」

「それよりさ、ジェロームの家に連れてけよ。今日は3人で一日遊ぶぞ」

 目をパチパチさせる。

「あ、横浜……」

「昨日解放された。二人で俺を祝え」

「悪魔祓いしないと……」

「なんだとー?」

 そのまま哲平に押し倒された。毛布を上から掛けられて乗られたから反撃が出来ない。

「下りてよ!」

「お兄さまに、『帰ってきてくれて嬉しい!』って言え!」

「やだよ、心にも無いことは言えない」

「素直に言わないと出してやらないぞ」

「素直だから言えないの!」


「わぁ! 仲いいね、華くんたち」

「久しぶりだからこいつ照れちゃって。お茶、向こうで飲みますから」

「はーい、向こうで待ってまーす」

「マリエ! 行くな、哲平さん投げ飛ばせ!」

「華くん、あんまり埃たてないでね」

「マリエ、マリエー!」

「なんだよ、朝からのろけか?」

 やっと哲平がどいて、毛布から脱出した。

「まったく! お蔭で汗だくだよ!」

「俺、お茶飲んでるからさ、早く支度しろよ」

 そう言いおいて哲平は真理恵のところに行ってしまった。大きなため息をついてごろっと大の字になる。

(3人で……)

 哲平が横浜に行く時の壮行会を思い出す。

(あいつ……行かないでって大泣きしてたよなぁ)

むくっと起きて立ち上がった。

「しょうがないな」

 呟くとシャワーを浴びに行った。


「朝ごはんだけでも……」

「いや、ジェロームも待ってるんで」

「あいつには言ってあったの?」

「いや、まだだ」

「今待ってるって言ったじゃん!」

「あれだけ俺が一緒にいることを喜ぶヤツは他にいない……悪い、お前がいた」

「は?」

「だから待ってるのと同じだ」

「すっごい理屈」

「じゃ、真理恵さん、行って来ます!」

「行ってらっしゃぁい。華くん、ジェロームくんによろしくね」

「はいっ」

「哲平さんが返事しなくていいの!」


「ねぇ、ジェロームに電話かけさせてよ」

「だめ。俺っていうサプライズを届けるんだ。誕生日になにもしてやれなかったからな。千枝に聞いたよ、大泣きだったって?」

「確かに哲平さんならインパクト大のサプライズになるよ」

 ジェロームの誕生日会は泣きっ放しだったことを哲平に教える。

「初めてだって言ってたよ、誕生日祝ってもらったの」

「でもお母さんは一緒にいたんだろ?」

「いろいろ複雑だったからそれどころじゃなかったんじゃない?」

「そうかなぁ……俺はジェロームの方はお母さんの誕生日を忘れたことがあるとは思えないけどな」

(こんなだけど相変わらず哲平さんは鋭いや)

「そこ、俺たちが突っ込んじゃマズいでしょ」

「そんなこと分かってるよ。ただあいつの気持ちを思うと堪んないんだよ。あれも初めて、これも初めて。そんな人生があるなんて思いもしなかった」

「確かに哲平さんは人と違うよね」

「お前、ホントに口が悪いな。そんなんじゃお前を構ってくれるヤツなんて俺の他にいないだろ」

 振り返ると入社当時は哲平を避け続けていたと思う。一人にしてくれないし、黙っててもくれない。忘年会では新入社員の務めだなんて言われて投げ飛ばしただけなのに、『このヤロー!』と、後を追いかけ回された。その後はガンガン酒を飲まされて、気がつけば知らない部屋。首が苦しくて目を覚ましたのだが、隣でガァガァいびきをかいている哲平の腕が自分の首に乗っていた。

(よく、俺生きてたよな)

「俺、哲平さんに殺されかけたし」

「物騒なこと言うなよ。あ! お前まだあん時のこと根に持ってんのか? 俺はお前を引き取って家に泊めてやったんだぞ」

「で、俺の首に哲平さんの腕が乗っかって窒息するとこだったし、腹の上には足が乗ってた」

「あれが初めてのスキンシップだったな」

「気食悪いこと言わないでよ」

 どこまでもとことんぶっ飛んでいる哲平は健在だ。普通の人間がこうだったらかなりのイヤなヤツだろうと思う。けれどそう思わせないものが哲平にはある。心をそのまま曝け出す野生児で自然児の哲平は、ジェロームや自分とは対極の存在だ。

「なんでジェロームはこんな人がいいんだろうな」

 ぼそっと言うと哲平が高らかに笑って言う。

「そりゃ、見る目があるからさ」

「入社した時にはつっけんどんにしたクセに」

「あれは一生の不覚だな。忘れないよ、あの時のことは」

 その声に哲平の苦々しさが混じっている。

「忘れられないの? 哲平さんの方が?」

「悪いことしたんだぞ、忘れられるわけが無い」

「携帯なんて証拠品掴んで来て犯行現場に無断で侵入した人の台詞とは思えない」

「あれは悪いことじゃない。必要なことだった。何も悔いはないよ」

 こんなところがいいのだ、多分。

「わけ分かんない、哲平さんって」

「俺ってミステリアスなのかな」

 真面目に言う顔をマジマジと見て、吹いた。

「汚ねぇ! 唾跳んで来たぞ!」

 華の笑いは止まらなかった。

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