第二十六話 お誕生日会 -2

 ちょうどいい時間になった。

「さ、馬に乗るぞ」

 ジェロームがいるから自分がちょっとくらい興奮しても目立たないかもしれないと思う。この乗馬が一番気になっていた。

「華くん、ジェロームくんは私が見てるからゆっくり楽しんで」

「マリエは?」

「私、ジェロームくんを見てる方が面白くって」

 喜んで後を真理恵に任せた。スタッフになるべくそばにいたいのだと言っている。

 ショートレッスンと30分レッスンがあってどちらも自分で馬を操ることができるのだが、不安に思った真理恵は普通の体験コースに申し込んでいた。 ショートとロングがある。ショートは70メートル、ロングが200メートルだ。どちらもスタッフに引かれてのんびり歩く。

(たった200メートル、あっという間じゃん!)

 そう思ったのは乗るまで。スタッフに引いてもらうのが気恥ずかしく感じたが、周りもみんなそうだ。

「しっかりと足で胴体を挟んでください。鞍の取っ手からは手を放さないでくださいね」

 いくつかの注意を聞いていよいよ歩き出す。ジェロームの声が聞こえたが、すぐに見る余裕がなくなった。

(うわ、ぐらぐらする! 左右だけじゃなくて上下に揺れる!)

 いつの間にか取っ手をしっかり掴んでいる。汗で背中にTシャツが貼りつく。

「ほうら、よしよし。いいですか? 大きな声を出さないでくださいね、馬が驚いちゃいますからね」

 他のスタッフの声が聞こえて、それを言われているのは絶対にジェロームだと思うのだが、華はひたすら馬の頭を見た。

 ふっと気づいて自分についているスタッフを改めて見た。小柄で腕相撲をしても自分が勝てるという自信がある。

(大丈夫だよな? 馬が暴れたり走り出したらあんた、ちゃんと抑えられるよな?)

 真理恵の余裕ある笑い声が聞こえて(やっぱりあいつはB型だ!)なんて、根拠も無いことを考える。

「はい、お疲れさまでした」

 そう言われても取っ手から手が簡単に離れない。なんとか平静を装って落ち着いて下りる素振りを見せた。

「ありがとうございました。とても楽しかったです」

 ちゃんと笑顔を向けたつもり。

「大丈夫ですよ、皆さん初めてだとそうなるんです。次はもっと楽になりますからまた来てくださいね」

 一瞬顔が赤くなって俯いた。後はお礼もそこそこにぎくしゃくと歩き出す。


「華さん! どうだった? 俺の乗った馬はすごくいい子だったよ! 乗る時と下りた時に触らせてもらったんだ。肌が滑らかなんね、ものすごく! たて髪はふさふさで、……」

 さっきの自分の様子を思い出してスタッフがさぞ笑っているだろう、と恥ずかしくて仕方ない。

「……でね、景色も良かったよね! 手を放して撫でたかったけど係の人がだめだって言うから……」

 体がまだぎこちない。肩と背中の動きが硬いような気がする。

「今夜、マッサージしてあげるね」

 小声で言う真理恵につい情けない顔を向けた。


 やっと体が解れてきて空腹を覚えた。

「腹減った!」

「あ、俺も!」

「じゃ、お弁当食べようか」

 水筒は冷たいお茶を入れたのが2本。近くには大型の自動販売機もあって飲み物に困らない。

「今度来る時には水筒はいらないね」

 真理恵はまた来る気満々だ。

「また来るの?」

「子どもがもし出来たら連れてきてあげたいの」

(じゃ、やっぱり女の子だな。男の子だと追っかけ回さなきゃならない)

ジェロームを見ていてつくづく思う。

「玉子焼きね、ジェロームくんのは甘くしてあるからね」

「美味しい! 華さんのは甘くないの?」

「華くんのは塩で味つけてるの」

「ええ、しょっぱい!」

 顔をしかめているジェロームを見て笑う真理恵は、小さな子を見ているような気持になっている。  


「腹いっぱい! 美味かった、ご馳走さま!」

「ご馳走さまです! すっごく美味しかったです」

「良かった、喜んでもらえて」

「この後も動き回るからきっと腹減るな。焼肉も食えるぞ、新鮮な肉」

 ぽろり とジェロームの目から涙が落ちた。

「わっ! なんだよ、俺変なこと言ったか?」

「華さん……ひどいよ……あの子たち、食べるの?」

(う! そうか……いや、そうなんだけど)

「ごめんね、そういう意味じゃなかったんだよ、華くんは。あそこの看板に書いてあるのを読んだだけなの」

 確かに看板に書いてある。『ジンギスカン 新鮮な肉!』

「俺、あの子たち食べるのいやだ」

「俺も食べないよ! 今餌やってきたばっかりだし。ごめんな、悪かった。お前の好きそうなものもあるみたいだしそういうのを食べよう。マリエ、この後どこに行く?」

「私、トマト狩りしたい!」

 話が移ってほっとする。

(ジェロームの言う通りだ……勝手なもんだよな、可愛い可愛いって餌やっておいて『新鮮な肉』ってそばに書いてあるなんてイヤに決まってる)

もし子どもが女の子だったらこんな風に繊細なんだろうか……


 トマト狩りは純粋に楽しかった。食べ放題じゃない、取った分だけ料金を払う。けれど採れたてのフルーツトマトは新鮮で甘くて、つい幾つも食べてしまった。

「結構食ったな! 止まんまかったよ」

「美味しかったね、私満足!」

 ジェロームもよほど美味しかったのかうっとりとした顔になっている。

「そうだ、お前薬飲んだか? 昼は飲まなくていいのか?」

「うん、朝と夜だけ」

「なら良かった。薬だけは……」

「華さん、あれ! あれに乗りたい!」

 振り向くとそこにあったのは……

「だめ! 絶対にイヤだ、乗らないからな!」

 ホームページに載っていた『とんとんバス』。豚の姿のバスだ。ジェロームと華の必死の攻防が始まる。

「乗る! いい、一人で乗ってくる!」

「あれね、他のとこに行っちゃうんだよ」

「他のとこ?」

「わくわくランドってとこと、まきばゲート。これから別のとこに行くけどやめる?」

「……どこに行くの?」

「『うさモルハウス』。うさぎとモルモットに餌をあげるの。私そこに行きたくてすごく楽しみにしてたんだよね」

「分かった! 行く、そこに。あれに乗るのは今度にする」

「そうしよう! 一緒に乗ろうね」

(二人とも来る気満々だ……)

どうやら真理恵はしっかりとジェロームの扱い方が分かったらしい。


 ジェロームがトイレに行っている間、二人で喋った。

「さっきは焦ったな、柵から頭突き出してたヤギ!」

「しょうがないよ、ジェロームくんは優しいから。きっとヤギが苦しがってると思ったんだよ」

 通りがかった柵の向こうからヤギが餌を目当てに顔を突き出していたのだ。それを見て慌てたジェロームがあっという間に走って行ってスタッフを呼んできてしまった。

『ああ、これ心配無いですよ。通る人から餌をもらいたくてこうやって頭を突っ込んじゃうんです。いつものことですから。わざわざありがとうございました』

 泡食った華はスタッフに頭を下げた。

『お騒がせしました!』

『いえ、いいんですよ。優しい人ですね』

「いい人で良かったよ! ホントに焦った!」

「いいねぇ、ジェロームくんは。素直で一生懸命で」

「まあな……」

 やっぱり可愛い弟だ。

(あ、哲平さんいないだけマシか。ここにいたら倍くらい大騒ぎになりそうだ)

 その後も、ジェロームは高いところを歩いているヤギを見て騒いだ。

「下りれないんだよ、誰か呼んでこなきゃ! きっと迷子なんだ」

 ジェロームの中で『迷子』がどれほどの重みを持っているかを華はまだ知らない。

「大丈夫だ、そのためにあれは作られてるんだよ。ヤギは崖だって登っていくんだぞ」

 それでやっと納得した。


『うさモルハウス』

 そこでは初めて3人が共通意識で楽しめた。

「なんだ、これ! やわらかっ」

「華くん、もう少し小さな声」

「わかった」

 そう言えば動物を触ったことが無い。自分の手の平に納まりそうな子うさぎから目が離せない。

「魂持ってかれそう……」

 物騒な言葉が隣から聞こえて慌ててみると蕩けたようなジェロームの顔。

(お前の今の顔も誰かの魂持って行きそうだぞ)

 華から見てもどっちが可愛いのか分からないほど大人の男性には見えない。

その手が離れた。

「震えてる……触っていいの、お母さんだけなんだ、きっと」

 その言葉に華も真理恵も手を離した。

「そうだね……きっと疲れてるんだよ、みんなに毎日撫でられて」

「小さい時なんだから……お母さんが守ってあげないといけないのに……」

 そのかがんでいる肩に手を載せた。

「行こうか。遊園地周ってみよう」

「遊園地? あるの?」

 そんなに大きな遊園地じゃない。けれどちゃんと観覧車がある。ジェロームの足が速くなる。

「おい、待てって」

「乗ろうね、観覧車! 今度は絶対に乗るから!」

「観覧車のどこが面白いんだよ、ただぐるっと回るだけだぞ」

「いい。乗るんだ」

「私も乗るー。どうするの? 下で待ってるの?」

「……一緒に行くよ」


 ドアが閉まってゆっくり上がり始めた。ジェロームはもう窓に額をくっつけている。

「なんか見えるか?」

「だんだん見えるところが広がってく……」

 ここでならいくら騒いでもいいのにジェロームは静かだ。

「どうした? なに考えてる?」

「……観覧車は一人で乗りたくない。一緒がいいんだ……」

「ほら、こうやって一緒に乗ってるだろ?」

 ジェロームの様子が急に変わった。さっき自分が観覧車に乗ることにいい顔をしなかったせいなのか。

「……でも一緒には乗れないんだ……」

 現実から遠のいてぼんやりと呟いているように聞こえる。

「誰か一緒に乗りたい人がいるのか?」

 振り向いた顔にさっきまでの生気が無い。

「ジェローム、おい、俺が分かるか?」

 腕を掴んでなるべく落ち着いた声を出した。

「マリエ、水。お茶でもいい」

「はい」

 渡された蓋の開いた水筒を持たせた。

「ほら、飲んで。疲れちゃったんだろ、あんまりはしゃいだから」

「はな、さん?」

「ああ、俺だよ。先にそれを飲め」

 言われるままに素直にごくごくっと飲んだから真理恵もホッとした顔になる。

「俺、どうかした?」

「いや、疲れたように見えただけだ。そろそろ帰りたくなってきたか?」

「そんなことないよ……ごめん、ぼんやりしてたみたい」

 さっきのことを聞いてみようかと思った。

「誰か一緒に」

「華くん、水筒持つよ」

 真理恵が首を小さく横に振って出した手に水筒を渡した。そうだ、追及しない方がいいのかもしれない。

「なに?」

「いや、なんでもないんだ。下見ろよ、あんなにみんなが小さく見える」

「ほんとだね! 真理恵さん、乗せてくれてありがとう! ずっと乗りたかったんだ、観覧車」

『どこでもいい、遊園地に連れて行ってやってくれないか?』

 不意にあの言葉が浮かんだ。

(一緒に誰と乗りたかったんだ? 課長?)

 それでも華にはぴんと来なかった。二人に深い繋がりを感じはしたけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る