第二十六話 お誕生日会 -1

 時間は8時25分。高速では反対車線の方が混んでいた。意外にも駐車場にはスムーズに入れた。

 入り口は一般客用と団体用の2つに分かれている。

「Welcome to Mother Farm  マザー牧場へようこそ、って書いてある!」

「あれ? お前英語出来たっけ?」

「それくらいの英語なら分かるよ!」

 からかわれて膨れている。

(今のところ大人しいけど……)

 多分絶対に騒ぎ出すと思っている。その証拠に絶え間なく動く視線、首、体。全身でこの場所を感じ取ろうとしている。

 パッと振り返って口を開こうとする直前に華が釘を刺した。

「キョロキョロするのは仕方ない、我慢してやる。でもこれくらいの声で喋れ。デカい声出すなら別行動するからな」

 真理恵が笑い出した。ジェロームがいっぺんに凹んだからだ。肩から力が抜け、大事なオモチャを取り上げられたような顔。

「いいじゃない、華くん! ジェロームくん、騒いだって構わないよ。遊びに来たんだもん。ね? そうでしょ、華くん」

(もう! ジェロームに甘すぎるんだよ、お前)

自分がいかにジェロームに甘いのか、そこの自覚は無い。

「じゃ、騒ぎ過ぎるなよ。別行動なんかしないから」

 途端に目が輝き出した。

「入ってすぐ牛に乗るの!?」

「はぁ? 乗らないよ、牛なんか」

「え、乗らないの?」

「お前、牧場に何しに来たと思ってるんだ?」

「……牛に乗りに」

「マジ?」

「あのね、馬に乗るんだよ」

「マリエ!」

「教えといた方がいいよ。いきなり馬を見せて興奮させたいの?」

 それもそうだ。興奮どころでは済まないかもしれない。

「馬? 馬に乗るの? 馬がいるの!? 『あの馬』!?」

「なに言ってんだか。『あの馬』も『この馬』も、馬は馬だよ」

「ね! 鹿っている?」

「鹿? いないよ、そんなの」

 何を言い出すのかと思う。

「ふぅん……セットなのかと思ってた……」

 頭の中に浮かんだのは『馬』と『鹿』の漢字。

「お前、ほんっとに、『馬鹿』」

 また顔が膨れた。


 入り口が開いてどんどん人が入っていった。乗馬の予約時間までまだ時間がある。当日予約の出来る『マザーファームツアー』に真っ先に向かった。

「ここで何するの?」

「中をずっと周るんだよ。最初にあれに乗るの」

 真理恵が指を差した。外側はヤギのフォト。

「『めぇめぇバス』って言うんだよ」

「え、めぇちゃん? じゃ猫バスもある?」

 華は話がどこに行っているのか分からない。

(深く詮索しない方がいいんだ、こういうのは)

「とにかくあれに乗る! その後、また別のに乗るから」

「分かった」

 またあちこちジェロームが見回している隙に真理恵に耳打ちする。

「さっきみたいな唐突な会話を広げるなよ」

「なんで? ジェロームくんってびっくり箱みたいで面白いよ! 今度はなに言うかなぁってわくわくする」

「じゃ、マリエが責任取れよ。俺はそういうのタッチしないからな」

 にこっとまたあの笑顔。

「混ざっちゃえばいいのに。今日ならジェロームくんしかいないんだし、楽しみにきたんでしょ?」

「それはそうだけど……」

 とにかく謎の会話についていく自信が無い。


 めぇめぇバスに乗っていたのは短時間だった。

「乗り換え?」

「今度はあっち」

「なに、あれ!」

 叫ぶのと飛び出すのがほぼ同時なその腕を寸でのところで掴んだ。

(よくやった、俺!)

「このファームステーションで『トラクタートレイン』に乗り換えなの。それがあれなんだよ」

 トラクターに牛の模様のバスが繋がっていた。目がキラキラしていて、傍に立っている子どもは乗り物よりジェロームの顔を見上げている。

(イヤな予感……)

 とにかくそれに乗り込んだ。さっきの7歳くらいの男の子がジェロームのすぐ近くに座っている。

(全行程で35分。まあ、大丈夫だろ)

「僕、これに乗るの5回目だよ!」

 声高にさっきの子どもが喋っている。どうやら友だちの家族と一緒に来たらしい。

「ここから牛のところにいって子牛を見るんだ。その後羊とかヤギとか」

「言うなよ、楽しみにしてるのに」

「アルパカとかいてね、餌を」

 友だちのイヤな顔を気にもせずに次々と喋ろうとする。

「ちょっと」

(ジェローム? なに言うつもりだ?)

「映画だってね、途中を知らない方が面白いんだよ。そういうの『ネタバレ』って言うの。知ってても黙ってて」

 慌てて脇にいた大人がその子を抱き寄せた。

「すみません、ほら、静かにしててね」


「おい」

「なに?」

 男の子はジェロームから一番離れたところに移動させられている。

「ああいうのやめろって」

「どういうの?」

「子どもにケンカ吹っ掛けるな」

「ケンカじゃないよ、注意したんだよ」

「そうだよねぇ、聞きたくないよ、あんなの」

「マリエ!」

「ほら、それより外を見て。いい景色だね!」

 確かにせっかくの自然一杯の中のムードを壊したくない。

(我慢! 将来俺だって子どもを持つんだ。その予行演習だと思えばいいんだ。とにかく我慢!)

「あ、華さん! あそこに止まるんでしょ!?」

(う! 我慢、我慢!)


 確かに男の子が言った通り、牛の厩舎だ。スタッフたちが子牛にミルクをやるところを見せてくれる。

「うわっ、俺も牛乳好きだけど、牛も自分のお乳が好きなんだね!」

「そうか、そう考えると面白いね!」

(早くトレインに戻りたい)

 仕草を見ては喋る。目が合ったと言っては喋る。やっとトレインに乗って次へ。

 羊やヤギ、ロバ、アルパカがいる広場だ。ここで、餌やり体験。ひと握りの草食動物用の餌が配られて口元に持っていくのだ。こっちから行かなくても向こうからどんどん寄ってくる。

「わっ、わっ」

「ジェロームくん、こうやって上げるの」

 真理恵が餌を手のひらに載せて差し出すと羊がそれを舐めとる。恐る恐るジェロームが手を出すのをチラッと見たが、実は華も恐る恐るだ。動物と直に接したことが無い。手の平に舌がつく寸前につい引っ込めてしまい、2匹のヤギに詰め寄られる。

(うあっ!)

声には出さないが、内心ではジェロームと同じに慌てふためいている。

「華くん、手出したまま動いちゃだめだよ」

 どうやら真理恵は全部食べさせ終わったらしく、華の手を掴んで下ろした。

「マ、マリエ、ざらざらしてる!」

「うん、ヤギの舌ってざらっとしてるんだね! あ、ジェロームくん、上手!」

「ほんと!?」

 褒められて、餌を舐めとられながらそっと頭を撫でている様子に(来て良かった)と思う。ジェロームの顔はまるで少年だ。

 やっと餌やりが終わり、手を洗いに行く。

「きちんと洗ってくださいねー」

 そんな声がかかる。


 走り出したトラクタートレインから広い景色の中にぽつぽつといろんな動物が見えた。いい天気だから風が気持ちいい。自然の匂い。草原の匂い。ちょっとロマンチックじゃないけれど動物の匂い。

 羊にもいろんな種類があるのだと知った。角がやたらに長いもの。見えたのはほんのちょっとの間だったが、角が4本の羊もいた。その度にジェロームが腰を浮かせたり真理恵に口早に話しかけたりする。

 さっきの家族はどうやら違う車両に乗ったらしい。取り敢えずここで一番騒いでいるのはジェロ―ムだ。

「ね! あれ、テレビで見た! この間見たばかりだよ!」

「わぁ、ダチョウだ! すごいねぇ、早いねぇ」

「大きい! 走ってるよ、華さん、見てる!? ほら、あっちだってば!! ねえ、見てる!?」

(男の子が生まれたらこんな感じか……じゃ、女の子の方がいいのかな)

 なるべく現実から目を背けようとそんなことを考える。課長が親の気持ちになるのが分かるような気もする。


 ツアーが終わり、次は乳搾りに向かった。

「牛? やっぱり乗るんでしょ!」

「そんなにロデオがやりたいのか?」

「あのね、乳絞りやるんだよ。ジェロームくん、牛乳大好きでしょ? あれ」

 ジェロームだって牛乳が何かくらいは知っている。けれど降って湧いたような乳搾り。二人の後を大人しくついていった。

 結構人がいるが時間は15分だ。順番が回ってくるのは早かった。スタッフの人が説明をしている。

「親指と人差し指でこう掴みます。それから中指、薬指、小指と握ってこうやって搾ります」

 大きな乳からシューッと乳が容器に迸った。

「爪を立てちゃだめですよ。そうそう、上手です」

 前の人たちがしていたのを見ていたからちゃんと搾れる。温かい乳を握りながらちょうど真理恵と目が合ってにこっと笑ってくるから、急にドキンとする。今やっていることがちょっと恥ずかしくなってジェロームを見ると、スタッフに手を横に振っている。

「俺、見てるだけでいいです」

「なんで? せっかくだからやってみろよ」

「なんだかおっかない。触れないよ」

 無理にやらせることじゃないのだからそれ以上は言わなかった。

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