第二十四話 現実 -1

「明後日だが、ジェロームを連れて出勤する」

 課長の言葉に即座に『無理だ』という声が上がる。みんなが反感を持った。

「一日ここに置いておくってことですか? 確かに一人でマンションにいさせるわけにはいかないけど」

 尾高の言葉。一人でマンションに放置などできないことは分かる。ここに置いておけば誰かの目があるから確かに安心だろうけれど。

「いや、仕事をさせる。もう充分に休んだ。華、お前にジェロームを任せる」

「華だって忙しいですよ! そんなことさせてる場合じゃないですよ!」

「浜田さん! 言い過ぎです、出来なかったら俺、自分で課長に言います!」

「一つだけ頼む。事件の話は一切しないでほしい。タブーだと思ってくれ。ここであいつを壊したくない」

 浜田にはああ言ったが、正直言っても自分も不安だ。

(課長、ホントにいいの? あんな状態でここに?)

二人になるのを待って課長に詰め寄った。

「ホントにジェロ―ムを連れてくる気ですか?」

「お前も反対か?」

「ええ。今は大事にしてやらなきゃ。仕事なら俺、頑張りますから」

「間違えるな。お前の仕事じゃない、お前たちの仕事だ。ジェロームにも責任を果たしてもらう」

「課長の考えてることが分かりません!」

「今は分からなくていい。お前は笑って迎えてくれればそれだけでいい」

(いくら鬼課長だからって……これじゃホントに鬼だ……) 

 日常に帰ればジェイの治りが早いだろうということは理解できている。悶々と考える。思い出させたくないという気持ちもあった。

 けれど……

(……俺はあの時自分の中に籠った。そして……逃げたんだった……)

 自分に起きたことはいつか誰かに暴かれるだろう。警察、思わず誰かが出した言葉で。それくらいなら自分で思い出した方がはるかにいいのかもしれない。

 後で課長から全員にメールが来た。

『時々子どもになるかもしれない。狼狽えずに受け入れてほしい』

 あの姿を見ればきっとみんな反応できなくなるだろう。自分が盾にならなければ。



 朝は早くにオフィスに入ったつもりだが、もう池沢チームは揃っていたし、他にも何人も来ていた。みんながジェロームを心配しているのが分かる。

(そうだよな、俺だけじゃないんだ)

周りの力がある。それは華の背中も押してくれている。

「おはようございます! しばらくお休みして申し訳無かったです!」

 華を見つけてそばに飛んできた。

「華さん、俺、来たよ!!」

「ジェローム、ここは会社だ」

 課長の一声で華から離れた。

「はい! 華さん、企画どこまで進んだんですか?」

(こういうことなのか……)

みんなから笑顔がこぼれる。ジェロームは朝礼できちんと挨拶も出来た。

「お願いがあります、これは提案です」

 三途川だ。

「池沢チーフ、坂井病院の件は野瀬さんのところにもう回せますね?」

 池沢には三途川の言いたいことが分かった。

「じゃ、頼む」

「ありがとうございます。華、ジェローム、一緒にお願いね」

 これで華チームには強力な助っ人ができた。


 ジェロームが自席に着いた。驚くほど休んでいた間に溜っていた業務をスピーディーに片付けていく。華のメールの処理までやった。

「華さん! もう11時20分だけど」

「そうだな」

「廊下、走って!」

(ん?)

「受付!」

 怒鳴られて思い出した。

「あ!」

 今日は資料を渡しに行くと、4日前に先方からメールが来ていた。11時半にただ封筒を一つ受け取るだけ。けれどこういうことが印象に繋がる。飛び出しながら振り返らずに手を振った。

(すごいな、お前)


 だが、オフィスに戻ると様子が一変していた。

「何かあったの?」

 小さな声で千枝に聞いた。

「隣のフロアの子が駐車場のことを直接ジェロームに聞いちゃって……みんなどうしていいか分からないの……」

 落ち着いた足取りでジェロームのそばに行く。

「ジェローム、戻ってきたよ」

「華さん、どこ行ってたの?」

「お前が教えてくれたろ? 受付で資料受け取ってきたんだ、ほら。ありがとうな」

「俺、座りたい」

「いいよ。自分の席なんだ、座れよ。俺さ、来るときにジョーグルとプリン、買ってきたんだ。要るか?」

「ジョーグル!」

「午前中、頑張ってくれたな。助かったよ。昼飯どうしようか」

 ジョーグルを飲む手が止まった。

「俺……今、何か迷惑かけた?」

「何も。お前がいないと俺はだめだな」

 笑って答えた。

「俺、仕事頑張る。だからここに置いてくれる? まだいてもいい?」

 ぎゅっと抱きしめた。仕事だけなら大丈夫なのだ、仕事だけなら。

「いいよ。俺を助けてくれ。お前がいない間にいろいろ溜っちゃったんだ」


 昼食にはチームで行った。心配する尾高も一緒だ。自閉症の自分の息子に重なるらしい。

「カレーとチョコパフェ!」

 三途川が笑う。

「しょうがない! 今日は私があんたの分奢ってあげるわ」


 午後は、課長が4時に業務から上がらせろと指示が出ている。ジェロームはごねたが最後には納得してくれた。

 その時素っ頓狂な浜田の声が聞こえた。ジョーグルが24本ある。みんながてんでに買ってきたのだ。

「わ、たくさんのジョーグル!」

 全部自分のものだと聞いて喜ぶ姿は子どもだった。

 けれど『欲しいものがあったら買いに行ってもいい』という言葉に一瞬で怯えた顔になった。

「一人じゃ……いやだ、行かない、行きたくない、一人はいやだよ……」

「ちゃんと誰か一緒に行くから」

 池沢がフォローを入れた。

「買ってきてあげるわ。参っちゃうわね、なんで私、あんたに甘いんだろ」

 また三途川が助けてくれた。


 新しい業務の指示がジェロームに出て、また仕事モードに入った。4時に仕事を終わらせろと言った課長に『後10分』と強請ったがそれは却下される。

 時間になると課長もジェロームと一緒に上がった。

(課長もすごいな。業務が止まって無いんだから)

課長の姿には感嘆しか無い。


 翌日、部長室に呼ばれたジェロームと課長が青い顔で戻ってきた。

「午後、警察が来る。ジェイは事情聴取をされることになった。弁護士の西崎さんが同席する」

「無理だよ!」

 華は思わず叫んだ。

「その後、駐車場での検証。警察署で事件当時の状況を再現する」

 みんなが固まった。

「俺も行く!」

「ジェロームが混乱するだけだ、お前に甘える」

 みんなから怒りの声が上がった。

「ズタボロになって帰ってくる、被害者なのに」

「ジョーグル、飲んでいい?」

 ジェロームの声に華はすぐ取ってきた。開けて渡したが飲まない。頬に涙が伝ってる。

「俺のことでしょ? ケンカしないで……俺の……ことだから」

「ジェローム、分かってるのか?」

「嫌なことを……されるんでしょ? でも頑張んなきゃいけないって。俺だけで」

『俺たちもジェロームのそばにいく』そんな言葉を課長が跳ねのけた。

「この状態で仕事しろって言うんですか!」

「仕事しよう、野瀬さん。ジェローム。俺たちケンカしてるんじゃないんだ。ここでお前が帰ってくるのを待ってる。だからちゃんと帰ってくるんだぞ」

 池沢の答えにジェロームは頷いた。

「ジョーグルを持って行っていい?」

 その問いに答えた。

「お前んだよ」

「違うよ、華さん。みんながくれたんだよ。だからあれはみんななんだ」

 その言葉に女性の何人かの泣き声が漏れた。


 午後になって『部長室に来るように』という連絡が入った。午前中には『頑張る』と言っていたジェロームの顔が萎れていく。

「行き……たく……ない……やっぱりいやだ俺ここにいる! 行かせないで、ここにいさせ」

 ジェロームの頬が鳴った。課長が叩いたのだ。

「課長っ!」

「今からそれでどうするんだ! いつかはこれを越えなきゃならないんだぞ! そばにいてやれない、声をかけられない。だがみんな待っている、お前は一人じゃない!」

 涙のジェロームがみんなに謝る。

「みんな、頑張れなかったらごめんなさい。課長は悪くないから。行ってきます」

 誰も返事が出来ない。ドアに近づくジェロームの足が止まる。けれど振り向くことはなく課長について出て行った。


 警察から帰ってきたジェロームは『今日』を忘れたらしい。

「おはようございます!」

 元気な声。ジェロームは検証も証言もなにもかも忘れてしまっていた。

「結局どうなったんですか?」

 課長に聞きに行った。

「調査にならなかった。当分解放されるはずだ。ただ……こいつが元に戻れるのかどうかはもう分からない……」

「なんでジェロームがこんな目に遭わなきゃならない? なんで……」

 自席に戻ると急にジェロームが傍に立ってきた。

いつもと変わらない声。

「なにかやることありますか?」

「お……おぅ! ちょっと一緒にスケジュール見てくれないか?」

「4月にチーム編成ですよね? それまでには一区切りつけておきたいですね」

「そうだな……一緒に頑張ろうな。俺とお前の新しいチームを作るんだ」


 仕事から上がることに抵抗するジェイ。

「お前さ、気を抜くって覚えた方がいいぞ」

「でも華さんだって全然気を抜かない」

「気を抜けばやられる! って思っちゃうんだよ」

「だって強いのに」

「マリエには負けんの。分かるだろ? あいつ強いからさ」

 くすくす笑うのが聞こえる。

「お前、感じ悪い」

「真理恵さんに投げられる華さんが見たい!」

 ぶすっとした顔を見せると、声を上げて笑われた。

「あ、俺がいるうちにトイレ、行こう!」

 華はそれをはっきり言うことにした。トイレに行きたくても一人で行けずにもじもじしているのを見たくない。恥ずかしい思いをしているのだと、見ていて辛い。だからトイレに連れていく。

「サボり!?」

 三途川から飛ぶ声に大きな声で答えた。

「つれなんちゃら! 三途さん、一緒する?」

 三途川が嫌な顔をする。トイレで聞かれた。

「『つれなんちゃら』って、なに?」

「つれション。一緒にトイレに来ることさ」

「つれション……不思議な言葉」

「おい、そこで妙な感心するなよ」


 それが翌日に尾を引いた。昼寝から起きたジェイが大声で華に呼びかけた。

「華さん! 連れションしたい!」

「勘弁しろよー、誰だよ、そんなの教えたの!」

「華っ!」

 三途川が睨むが華は涼しい顔でジェイに答えた。

「OK、行こう」

 一応トイレで注意した。

「俺にだけ言うのはいいけど、みんながいるところ、特に女性がいたら言っちゃだめだぞ。エチケットってもんを考えないと」

「言っちゃいけないことだったの?」

「まぁな。俺とお前の合言葉。いいな?」

「うん、分かった」

(焦った! これは俺のミスだ)

それでもみんなの反応が面白かったから(まぁいいや)なんて思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る