第二十三話 覚悟 -1
祈るような気持ちのまま目的地に着いた。すでに数台のパトカーが赤々と周りを照らしている。慌ただしく問題の家と行き来しているということはもう全てが終わっているということなのか。ジェロームは無事に見つかっているのか。
車を止めるなり、ドアも閉めず課長が飛び出し自分も続いた。走り寄る耳にゾッとするような言葉が飛び込んでくる。
「現行犯逮捕です!」
「被害者、意識があります!」
(意識あるって……いったいどんな目に遭ったんだよっ)
担架が見える。シーツに包まれたジェロームを収容した救急車は、サイレンを鳴らしながら走り去った。
「会社の者です!」
「同僚です!」
「これ以上立ち入らないでください」
「生きてるんですね? 無事なんですね?」
「今は何もお答え出来ません」
「どこの病院に運びますか!?」
「それもお答え出来ません」
「私は被害者の緊急連絡先になっています、教えてください!」
「でしたら改めてご連絡が行くと思います。それをお待ちください」
事件慣れしているのだろう、あくまでも冷静に答える職員に怒りがこみあげる。けれどとにかく今の状況を知りたい。焦る気持ちの中で見覚えのある姿が目に飛び込んだ。
「哲平さんっ!!」
パトカーに乗せられる寸前に哲平が振り返った。にやっと笑う顔が見えた。親指が立っている。
(大丈夫ってこと? 大丈夫ってことなんだよね?)
課長も華もいっぺんに力が抜けた。少なくとも哲平は笑っていた。
その後に見えたのは連行される相田。あっという間にパトカーに乗せられ、表情など何も分からなかった。
「華、救急車の後を追おう」
「はいっ!」
自分の頭の中を整理することも出来ないくらい、この状況でいっぱいいっぱいの花には課長の異常とも思える焦燥を感じることは出来なかった。
ノンストップの救急車の跡など終えるわけもなく、すぐに見失った。課長に言われて近隣の病院を探すけれど、どの病院を選んでいいか分からない。野瀬の携帯に電話をする。
「華です、今相田が捕まりました!」
『聞いた、今刑事さんが教えてくれた』
「聞いてもらえませんか? ジェロームが運ばれた病院」
電話の向こうの騒然とした様子が伝わり、会社でも大騒ぎになっているのが分かる。野瀬の声が聞こえた。
『本当はだめらしいが、逮捕にも協力したから分かったら教えると言ってもらえた。ちょっと待ってろ、連絡する』
無駄に走り回るのをやめた課長は車をとめた。互いに無言のまま20分ほどして、携帯が鳴った。
『スピーカーにしています。新川第一病院だそうです。でも行ったからって会えないだろうと』
「それでもいい、行ってみる。みんな、本当にありがとう! 遅い時間まで助けてくれた。おかげでジェロームは命に別状は無さそうだ。詳しいことは分からないが今日はもう引き上げてくれ。野瀬、池沢、後を頼む」
『大滝だ。こっちは任せておけ。何かあったら直接私に連絡しろ。ご苦労だったな』
『課長! 良かったです、本当に……本当に良かった……』
「池沢……みんな、ありがとう……」
夜の病院は静かだが、その分音が響いてほんの時折ざわつきが聞こえた。課長が夜間受付で聞くと、すでにジェロームの手当ては終わり病室に入ったという。
「会えるでしょうか」
「ちょっとお待ちください」
誰かに連絡を取っているのをイライラして待った。
「今は鎮静剤も打って眠っているようですよ。警察の方もいるし会うのは無理だと思います」
「それでもいいです、病室だけでも教えてください!」
課長の必死な様子に何かを感じたのだろう、粘りが勝って病室を聞くことが出来た。
「体……酷いんでしょうか」
「分からない……でも、華。ジェロームは生きてるんだ」
その意味が深く伝わる。華は頷いた。
(そうだ。生きてる。ジェローム、お前生きてるんだよ)
病室に向かう途中で立ち止まった課長が携帯を取り出す。話している様子で相手が部長だと分かった。課長の口から思いもよらぬ言葉が出る。
「……分かりません……初めて……どうしていいか分かりません。けれど顔を見たい。生きているとこの目で安心したいんです」
「分かっている……と思います、頭では。でも……分からないんです、優先順位が。俺はここにいたいです」
携帯を切った課長が動けずにいる。いきなりぽつりとその言葉が聞こえた。
「辞めるか」
(え? なんて……なんて言った?)
「なにをですか?」
「仕事……」
「え、仕事を辞めるって言ってるんですか!? なんで!」
「華……俺、疲れた。仕事は楽しかった。やりがいもあっていい部下に恵まれて。みんなに助けられてここまでやってこられた。けどな……」
そこで言葉が途切れる。
「俺は普段偉そうなことを言っておいてたった一人さえ救えない。守れなかった。何もかも予想できる範囲だったんだ。後悔じゃ済まない、起きたことは消えない」
(こんな課長、初めてだ……)
どんな時でも諦めるということを知らない、先頭で岩を切り崩して進む男。それが河野蓮司という男のイメージだ。それ以外の姿が浮かんだことがない。
今の言葉を聞いて、自分の中でどれほど河野課長の存在が大きいのかを知った。
「課長……誰にもどうにも出来なかったです……そう思います。仕方なかった……」
本当はそんなことを思っちゃいない。ただ気が休まる言葉を連ねただけだ。そこを突かれた。
「お前、そう思ってるか? 思ってないだろう。お前も自分を責めてる。俺が『お前じゃない、俺が悪いんだ』って言ったとしてもその気持ちは消えないだろう?」
(同じだ、課長と。防げると思ってた。だから合気道も教えて……俺のやってたことは俺の自己満足だった? 何もかも、茶番じゃないか!!)
そう思う中で自然に言葉が出ていた。
「でも、俺たち、進まなきゃ……」
突き動かされるように課長を掴んでその体を揺さぶった。自分の手の動きのまま揺れる課長が辛い。
「課長! これ以上あいつに精神的にも負担を負わせたくない! 課長が辞めたらあいつ、自分を責める。絶対責める、そういうヤツだって課長だって知ってるじゃないですか!」
涙が止まらない、体が震える。ただ課長を揺さぶり続けた。
「だめ、なんです、俺たちが折れちゃ……あいつを……あいつをあのオフィスで待っててやらなくちゃ。あそこでジェロームの帰る場所を守ってなくちゃ。あいつ、帰るところがなくなっちまう……」
「華……帰ってきてくれるだろうか……」
不意に浮かんだ。
(二人とも……失うかもしれない……)
華の中に恐怖が生まれた。
「じゃ、どこに帰るって言うんですか! あいつに帰るとこなんて無いんだ…迎えてやるヤツだっていない。俺たちが家族だ、課長! 課長はずっと必死に守ってきたじゃないですか! 最初っからだ、課長は最初っから守ってきた。あの歓迎会の時も。入社の時だってそうだったんでしょ? 最初にあいつを見つけたのは、人として認識してやったのは課長なんだ! 課長には守り続ける責任があるじゃないですか!!」
涙の零れる課長が華の体を抱きしめてきた。華もその体にしがみついた。
「あいつを……見捨てないで……課長がいなかったらあいつ……きっと帰ってこない。俺、ジェロームに帰ってきてほしいんだ……」
「これからが……きっと大変だ」
「分かってます」
「今度こそ俺たちは失敗出来ない」
「はい」
「覚悟しなきゃならない。あいつが俺たちを拒むかもしれない。頑張れるか?」
「課長は?」
「俺はあいつの最後の砦になる」
「俺、あいつを離す気ありません。あいつは俺の初めての部下です。そして親友です」
いつもの課長が戻ってきたのを感じた。目に生気が宿っている。部長にかけ直す電話の言葉に希望を感じた。
(いつもの……戦う課長だ。戻ってきてくれた……)
「華、ありがとう。お前のおかげだ、俺は間違うところだった」
「俺もです……課長にああ言ったから俺の中で気持ちの整理がついた。そうじゃなかったら……俺も間違ったままだった」
長いこと、ジェロームの病室の近くに立っていた。けれど立ち続ける辛さも感じない。その様子を見ていた若い刑事がそばにくる。多分華と同じくらいの年齢だ。
課長と頭を何度も下げて、一目様子を見たいのだと訴えた。
「内緒にしてくれますか? 俺、失点になるの嫌なんです、まだ新米なんで」
今日一番の嬉しい答えだった。
いざ病室に入ろうとして足が止まりがちになる。見るのが怖い、後悔と恐怖が現実のものになってしまう。躊躇うことのない課長の歩く音がその思いを押さえつけてくれた。
点滴が繋がって眠っている呼吸は穏やかだった。見えている範囲、所狭しとガーゼで覆われている。顔にさえ何か所も。
その手を課長が握った。
「華。温かい。生きてるよ。生きてるんだ」
その手を自分も触らずにはいられなかった。
「ほんとだ、あったかい」
(無事を喜び合う家族もこいつにはいないんだ……)
あんな姿を見た後だと言うのに、驚くほど気持ちが落ち着いていた。これからが本当に大変なのだ、身をもってそれを知っている。しかも体にはその凶行の痕が刻み込まれていて……
『俺はあいつの最後の砦になる』
課長の言葉が自分の中に生きていた。そして思い返した、自分のことを。
『しってるの? なにが、あったのか』
『華はきれいだよ。何があってもきみの美しさに変わりはないから』
あの言葉……父は物事の真髄を語ってくれたのだ。両親に愛されているのだと、初めて自覚した。
(今頃になって父さんの気持ちが分かるよ……母さんも。二人とも俺を見て何より生きていることを喜んだんだね)
そしてそれに対して自分が放った答え。
『おれがうつくしい? なに、いってんの? おれ、よごれたんだよ』
あれはこれからのジェロームの姿かもしれない。
(負けないからな。父さんと母さんがそれを見せてくれたんだ、俺は負けない。お前を取り戻す)
「腹は? 俺は急に腹が減ってきた」
課長の言葉に現実に戻り、華は笑った。
「俺もです! 何でも食えそうです、今なら」
一緒にラーメンを啜りながら、哲平の笑顔と親指が浮かんだ。
「そう言えば哲平さんってどうなるんでしょうね?」
「……忘れてた」
「あ! それ、可哀そうですよ! 言ってやろ!」
「バカ、言うな! そうだった、あいつどうなるんだ? まさか傷害にならないよな?」
「そんな! だって正当防衛……」
「いや、違うだろう。多分あいつは自分から飛び掛かっていったはずだ。なら正当防衛とは違う」
「俺、何も考えずに頼んじゃった……」
「そうなるとお前は教唆か?」
「勘弁! それ、シャレにならないですよ! マリエに殺される」
「ちゃんと頭下げるよ、真理恵さんに」
「だからって事態変わんないじゃないですか!」
「そうだな」
その後の言葉を待った。だが課長は話が終わったかのようにラーメンの汁を飲み干した。
「え、それで終わり?」
家に入ると味噌汁の匂いが漂っていた。
「お帰りなさい、華くん」
いつもの笑顔だ。何も無かったかのように。
「ジェロームは」
「華くん、何か食べた?」
「え? あ、ラーメン食べた」
「良かった! お腹空いたままかなって心配してたの。でも味噌汁だけ飲まない?」
「うん」
話す間もなく真理恵は台所に立って行く。その後を追いかけた。
「マリエ! ジェロームのこと」
こっちを振り返ってしっかりと向き合う。
「良かったね、見つかって」
「誰かに聞いたの?」
「ううん」
「じゃなんで……」
「そうじゃなかったら帰って来るわけ無い。華くんはそういう人だよ。電話とかメールとか、そんな邪魔したくなかったの。けど華くんは帰ってきた。ラーメンなんか食べちゃって。それだけで全部分かってるよ」
真理恵に抱きついた。涙が……
「覚悟、しなくちゃね。これからが花くんの戦いだよ。負けるな! 今はジェロームくんのことだけ考えてればいいの。あの時の華くんになってほしくないから」
「マリエを……マリエを愛せて良かった……マリエがいてくれて良かった」
まるで子どもの相手をするように背中をぽんぽんと叩いてくれる。その手に両親を感じ、あの時心配してくれていた人たちを感じ、そして真理恵の心を感じた。
いつまでも華はしがみついていた。
翌日は課長が午後病院に行った。業務は変わりなく続く。本当は自分も行きたかったが。何人もオフィスを空けるわけには行かない。交代で病院に行こうと課長と話がついていた。
心が決まった課長の行動には確固たるものが見えた。業務には一切支障を来たさない、その気構えが伝わってくる。
(見倣わないといけない。でも俺にそんな真似、できるんだろうか……)
オフィスのメンバーはまるで一つの家族のようだった。誰もが他人の出来事にしていない。仲間意識などという軽いものではなかった。
(明日は俺が行く)
華は早くに布団に入った。そして朝5時前には起きた。台所から音がする。
「マリエ?」
「やっぱり早く起きたね。おはよ!」
もう朝食の用意が出来ていた。
「行くんでしょ? ちゃんと朝ご飯食べないとだめだからね」
ただ頷いた。今の自分には真理恵がいる。だからジェロームには自分がいてやりたい。
「帰り、遅くなるかもしれない」
「了解!」
「俺に合わせて無理するな。マリエにも仕事があるんだから」
「うん……」
「どうかした?」
「え、なにもないよ」
真剣に真理恵の顔を見た。
「俺、こんな状態だけどさ、何かあったら必ず言えよ。俺にはマリエがいるし、マリエには俺がいるんだから」
「……ありがと! さ、急がないと」
気にはかかるが、いつもと変わらない笑顔がある。
「行って来ます」
「いってらっしゃーい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます