第二十話 インターバル -2
今日で年内の仕事は終わり。
思ったよりジェロームも普通に過ごし、互いに正月は遊ぼうと約束した。けれど離れる時になって向こうを向く顔が寂しそうになるのが見える。
「そうだ! お前には土産買ってくるからな。楽しみにしてろよ」
「お土産? 俺に?」
「お前にだけ。じゃな、いい正月過ごせよ」
ちょっと明るくなった顔にほっとして別れた。
(俺だけホッとしてもなぁ……)
あのアパートの光景が不意に浮かんだ。
(今年は明るい正月になるよな。あそこは……寂しすぎた)
玄関を開けた途端にいい匂い。
「ただいまー、きんぴらだろっ!」
「おかえんなさぁい。そうだよ、華くん好きだから」
「ちょっと辛目ね」
「華くんのは辛目だよ」
辛党の華と同じものは食べられない。ビリビリするくらいの方が華は好きなのだ。
「あんまり辛いの食べると良くないって言うよ」
「血行が良くなるんだぞ」
「調べたんだから。唐辛子、大好きでしょ?」
「マリエの次に」
「あのね、まず胃腸にすごく負担がかかるの。それから味覚麻痺することもあるんだよ。後ね」
そこで真理恵がにこっと笑う。
「なんだよ、言えよ」
「痔って知ってるよね」
「知ってるよ、それくらい」
「なっちゃうよ、痔に。切れちゃってお尻から血が出ちゃうの」
「ならない、痔なんて。カッコ悪い」
「かっこ悪くったってなるんだから」
少し考える。確かに困る。
「俺に痔は似合わないよな」
「そうだね。でももしなったらドーナッツの座布団用意してあげる」
「ドーナッツ?」
「丸くって、真ん中が開いてるの。痛いお尻が直にくっつかないように穴にお尻を入れるんだよ」
想像してみた。
「それ、会社でもそうなるかな」
「なるね」
「……カッコ悪い」
「だから! 辛いのもほどほどにね。たまに辛くしてあげるから普段は我慢して」
「うーん……分かったよ、マリエがそう言うなら」
真面目な顔をして真理恵が寄ってきた。
「お願い。健康に悪いことして欲しくない。うんとうんと長生きして」
「マリエと一緒なら。それなら頑張るよ」
「よし! なら私も頑張る。ねぇ、明日は朝から道場に行くよ」
「久しぶりだな!」
「華くんはね。私はちゃんと行ってるもん」
「師範、相変わらず?」
「きっと10年経っても20年経ってもあのままだよ」
「師範、あのまま結婚しないんだろうなぁ」
真理恵がにやにや笑うから覗き込んだ。
「その顔、何か隠し事があるって顔だ」
「隠してなんかいないけど、華くんの知らないことがあるの」
「なに?」
「あのね、師範女の人と一緒に暮らしてるのよ」
「えぇ!? あの人、彼女と上手く行ったこと無いだろう! 世離れし過ぎてるからまたすぐ失恋だな」
「それって失礼だよ」
「そんな顔するな。皺が取れなくなるぞ」
慌ててしかめっ面をやめる。
「そう言えばジェロームくんって好き嫌いある?」
「なんで?」
「お正月遊びに行くんでしょ? お料理作るから持ってってあげてほしいの」
「あいつ、喜ぶよ!」
「何、作ろうか?」
「何でも! お前の作ったもんならなんだって喜ぶって!」
「もう! 華くんじゃないんだから。それじゃ何のヒントにもならない」
「あいつは俺と逆。甘いの好きだよ」
「じゃ、栗きんとんとか喜ぶかな」
「多分あっという間になくなる」
「じゃ、いっぱい作るね。他に何作ろうかな」
料理とゲームと飲み物と土産。華も楽しみだ。真理恵のことを抜けば、仕事とジェロームを笑顔にさせることが今の華の生きがいと言っていい。
翌日は夫婦揃って道場に行った。
「ご無沙汰してます!」
「今日は夫婦揃ってか。仕事忙しいんだって?」
「はい。でも朝の日課は欠かしてませんよ」
早起きの華は毎朝自分一人で合気道の稽古をしている。
「そうだろうな、お前のそういうところは心配してないよ。けど相変わらず茅平……真理恵には負ける一方だって聞いてるが?」
「……女性には華を持たせないと」
「ということにしておくか。じゃ、久しぶりにやろう」
「はい!」
身が引き締まる。礼をして立った。
(う!)
いつもすぐに動き出す華が動けない。
(こんな……だった?)
威圧感じゃない。迫力とも違う。全く別のものだ。
(いない? ばかな、目の前にいるじゃないか!)
だがどうやってかかっていけばいいか分からない。空気に戦いを挑むなど出来るわけが無い。それと同じだ。
ただ肘を上げて手を相手に向けているだけ。呼吸を落として目を背けず遠野を見つめ続けた。
(一歩でも動けば俺は倒れる)
疑問もなくそう思った。張り詰めた空気を持っているのは自分だけだ。
5分近くだろうか。華は姿勢を正し、そのまま礼をした。
「ありがとうございました」
遠野も姿勢を正し、礼をした。
「かかってくれば良かったのに」
「やですよ、無駄に飛ばされんの」
「勝ち負けが問題じゃないと言ったろう?」
「そうですけど。結果見えてます。何があったんですか?」
「そんなに私は変わって見えるか?」
「はい」
「私はあの言葉の答えを掴んだと思う」
[静水]
「答え? 最初から知ってたんじゃないんですか?」
「答えはいつも変わるよ。私はそれを教えられたんだ。今度こそ掴んだと思う」
「それって?」
「ああ、聞いてもダメだ。人それぞれ違うんだ、答えは。私は私の答えを見つけただけだよ」
ふっと気がついた。
「師範、それって今の師範の恋愛が影響してる?」
「……真理恵だな? 相変わらずお前は鋭いなぁ」
頭を掻きながら否定もせず笑っている。
「恋愛ごときでこういう精神論的なことがころっと変わるのかって言われそうだけどね。でも私は大きく変わったよ」
道場の端で中央で組み合っている真理恵の動きを見ながら師範と話をした。
「心の動きはこういう時にはっきり見て分かる。元々真理恵の動きはきれいだが、結婚してから拍車がかかったな。滑らかで舞のようだ」
「俺はマリエに追いつけそうに思えない……」
「お前はお前の動きを見つければいいんだ。お前も変わったよ」
「そうですか?」
「以前のお前なら構わず飛び込んできた。けれどお前はそうはしなかったな。なぜだ?」
「……だめだ。ただそう思ったんです。今の自分じゃだめだって」
「やっぱり家庭を持って変わったんだね」
「そうなのかなぁ……」
「いろんなことと向き合っていくといい。お前のいい点はいつも真っ直ぐなところだ。自分を誤魔化さない。出来そうで出来ないことだ」
「俺より真っ直ぐなヤツがいるんです。俺はそいつを守りたくて」
「華がねぇ。奥さんの他にも大事な相手が出来たのか。すごい進歩だな!」
「いいヤツです。後輩で相棒で友だちです」
師範が華に顔を向けた。
「いい顔をしている。お前はまだまだ伸びそうだな」
「荷物、これでいいよね」
「あまり持ちたくないからね。最小限にしとこう」
「うん!」
「嬉しそうだ」
「旅行雑誌で見た時から、ずっとあのホテル行きたかったの!」
「天気が良さそうで良かった! 俺もネットで見たけど天気悪いと何もすること無いって書いてあったからね」
「そうね。私の日頃の行いがいいお蔭だよー」
「俺じゃなくて?」
「それ、無い!」
金沢の洞窟の風呂で有名なホテルで年越しをする。ホテルがメインの新婚旅行なんて不思議だが、真理恵が行きたかったところだ。何よりも優先してやりたかった。
能登空港で車を借りて、40分走るとそのホテルに着く。
真理恵が心を奪われたのはその洞窟風呂だ。地下2階にある。肝心のその風呂は男女別になるからそれが残念でならない。だが貸し切り風呂は他にいくつもある。料理が美味い。九十九湾を展望できる。そして施設内の桟橋で無料の釣りが出来る。
洞窟は一人の老大工がつるはし一本で三年かけて掘ったのだという。
「海洋深層水洞窟風呂。すごい名前だよな!」
「釣り、華くん得意?」
「一度しかやったことない」
「じゃ、私の方が先輩ね。3回やって8匹釣ったもん」
「すぐにマリエを追い抜かしてやる」
「えっとね、今の時期だと釣れるのは、カレイ、メバル、マダイ、クロダイ、アジとか。すぐに調理してもらえるんだって」
「じゃ、クロダイだな! 絶対釣りあげてやる」
二人での初めての旅行だ。何もかもが新鮮で楽しい。飛行機も少しあった雨雲の上を突き抜けて真っ青な中を飛んでいく。
空港を出て冷たい空気で肺が満たされる。二人ともダウンコートに毛糸の帽子だ。
レンタカーで途中あちこちを周りながら楽しんだ。
古めかしい門をくぐってホテルに入ったのは4時前。
「ホテルっていうより、旅館だな」
入り口が洒落ている。少し引っ込んだような造りで、少々暗く感じたのに一歩入れば広々と明るい。
「いいなぁ、ゆったりするよ」
ウェルカムドリンクはあったかいお茶に和菓子。
「ね、私浴衣選んでくる!」
色とりどりの浴衣を手に取りながら、真理恵が『どっちがいい?』と華に見せてくる。迷わず明るい生地に小華が散りばめられている方を指差した。
部屋までの廊下にも落ち着いた調度がさりげなく飾られている。部屋はスイート。ベッドルーム、8畳の和室、客室露天風呂、広いテラス。
「新婚さんなんですね。どうぞゆっくり楽しんでくださいね」
優しい声の女性だった。
「はい、ありがとうございます」
「冷蔵庫、ドリンクもフルーツ盛り合わせも無料だって!」
「コーヒー、淹れるね。どのカップがいい?」
彩のいいカップが何種類もある。
テラスから九十九湾を眺めながらコーヒーを飲む。
「贅沢だ……マリエとの初めての旅行、ここにして良かったよ」
「ホント? 気に入ってくれた?」
「ここに住みたくなる」
「いつか金沢に住む?」
「それもいいかもしれないなぁ」
静かだ。もう外は暗くなり始めている。今夜は客室風呂で二人のんびり入るつもりだ。
料理が運ばれてくる。
「明日は海を見ながら食事しような」
「カモメがね、すぐそばに来るらしいよ」
「へぇ! それ、楽しみだ」
料理は豪華だった。真理恵は甘そうなイチゴの生絞りみるくとかいう変わった酒を楽しんでいる。
「失礼します。新婚旅行ということで、こちらはホテルからのサプライズです」
「わ! 鯛の塩釜焼!」
食べきれるか心配になるくらいにテーブルが料理でいっぱいだ。
ホテルだけを楽しむ新婚旅行で大丈夫かと思っていたが、そんな心配は要らなかったと思う。アルコールでほんのりしている真理恵を抱きながら夜は更けて行った。
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