第二十話 インターバル -1
「ジェロームくん、元気なの?」
「仕事ではね。あいつさ、すごいよ、本当に! 俺がカッカしてるとたいがいみんな引いちゃうんだけどさ、あいつはなんてことない顔して俺を落ち着かせてくれるんだ。不思議なヤツだけど、とても大事な相棒だよ」
そこまで話して、華は何か忘れているような気がした。
「何かあいつに言うことがあったんだけどな……」
「なに? 大事なこと?」
「……だめだ、思い出せない」
「忙しすぎるんだよ。体壊すんじゃないかっておっかないくらいだもん」
「それは大丈夫。もう少しで年内終わるし。そしたら新婚旅行だな!」
「そうだねぇ。準備もしなくちゃだよね」
海外を考えていた。せっかくだからと。けれど真理恵はそれを渋った。
「慣れない土地で気を張るのはいやだなぁ。どこかでのんびりしたい」
そう言う真理恵に場所は任せた。12月30日の夜に出発して、1月4日に帰って来る。
次の日は一日ジェロームの顔を見ていた。
「なに? 俺の顔に何か付いてますか?」
「……なんだっけなぁ……お前に言うことがあったんだけどな」
「え、大事なこと?」
「そうだったような、そうでもないような……」
「なんですか、それ。すごく気になる」
「だよなぁ……なんだっけなぁ」
そんな言葉に、ジェロームも落ち着かなくなってきたようだ。
「ごめん! きっとたいしたことじゃないよ。さ、続き頑張ろう!」
裁判所には1月14日に弁護士と華とジェロームの3人で行く。気もそぞろな様子が伝わってくる時が増えてきた。
午後も気がつくとボーっとパソコンの画面を見ているジェロームに、なんと声を掛けようかと迷った。そして思い出した。
「ジェローム、忘年会のこと考えたか?」
「忘年会?」
「まだ聞いてないんだな。新人は忘年会で余興をしなきゃならないんだ」
「よ、余興?」
「そう。俺は面倒だったから哲平さんに前に出て来てもらって、いきなり投げた。結構受けたよ、哲平さんは本気で怒ってたけど」
思い出すと笑ってしまう。あの頃は自分と職場との関係を良くしようと、哲平は心を砕いてくれていた。それなのに呼ばれて嬉しそうに前に出てきた哲平を投げ飛ばし、そのまま放ったらかしにしたのだ。
「華っ! てめぇ!」
「なに? また投げられたいの?」
ピタッとそこで止まった哲平が可笑しかった。
「俺もなんかやんなきゃならないんですか!?」
思わず立ち上がるジェロームに、背もたれに背中を預けてにやついた。
「もちろん。今から考えといた方がいいぞ、お前は特にそういうの苦手だろ?」
すっかり裁判のことも忘れてしまったらしい。違う意味で今度は泡を食っているようだ。どうやら自分はいいことを言ったらしいと、自画自賛した。
久しぶりに事件以外のことで悩み込むジェロームを見る。ちょっと意地悪かもしれないがこの件については高みの見物をしようと思った。
(こんなことだって必要なんだ。悩め、くっだらないことで悩むのもたまにはいいもんだぞ)
一生懸命ヒントを得ようとするジェロームをにやにやと見る。
「華さん、助けて。俺、どうしたらいい?」
「さあな、困ったなぁ。時間あるから考えたら?」
「さっき今から考えた方がいいって言ったじゃないですか!」
「だから、俺は考えたら?って言っただけだろ?」
「……なんか、華さん意地悪してる」
「は? 俺、そう見えるってこと?」
「え、いや、あの……」
もう噴き出したくて堪らない!
「ま、俺から意地悪取ったら何が残るかって話だけど」
「華さん! さっきから俺に冷たい気がします!」
「悩め、悩め。お前の余興、楽しみにしとくよ」
それから数日の間、ジェロームがあちこちで必死に手探りをしている様子が見えた。
「ジェローム、どうしちゃったの?」
三途川が聞いてくる。
「俺、ばらしたんですよ、忘年会で新人がやる余興のこと」
「なんで! あれは不意打ちでやるから楽しいんじゃない」
「三途さんも人が悪いよな。ジェロームですよ、そんなことしたらあいつパニクっちゃいますよ」
「それで? 今パニクってないようには見えないけど」
「何やったらいいのか探すのに必死なんです」
「……あんたの気配りもだいぶ質悪いわね。確かに裁判どころじゃなさそうだわ」
三途にデコピンされて、それが思いのほか痛くて額を強く抑えた。
「三途さん! 俺、ただのか弱い男性なんですよっ!」
「よく言うわぁ」
後ろ姿でひらひら手を振っていく。華はまだ額を擦っていた。
「どうだ? いい余興見つかったか?」
ジェロームの顔に余裕が出てきたから聞いてみた。
「はい! もう決まりました」
「どんなことやるんだ?」
「内緒です」
「へぇ! じゃ、うんと楽しみにしてるよ」
「任せてください!」
(何やるんだ? 自信ありそうだけど)
ちょっとだけ不安が出てくる。
(俺がけしかけたんだけど、凄く心配! 聞いた方がいいかな……)
我ながら過保護だ。されたことはあっても、人を過保護に扱ったことが無い。
(これはこれで楽しい! いいや、当日助けてやれば)
そう思うことにしたが、後で自分が甘かったと思うことになるのだ。
仕事が乗っている。自分でも分かった。迷路のようにいろんな業務が重なっていく中を、一筋の光が見える。そこを追いかけていくと障害も無くスケジュールをこなせて行ける。
(楽しい!)
そこには身震いするような緊張感があった。一つタイミングを外すと時間も労力も無駄になる。けれど今はノリに乗っていた。
「華くん、楽しそう!」
「仕事がさ、思った通りに回っていくんだ。自分で先頭で切り開いてくって充実感が堪んない!」
「いいけど。無理はしないでね」
「マリエは? 職場、上手く行ってる?」
「うーん……多分」
その言い方が気になった。
「どうしたの? 何かあるの?」
「たいしたことじゃないの。大丈夫。今はジェロームくんのこと、気にかけてあげてね。あんまり意地悪しちゃダメだよ」
余興のことを話してある。真理恵はジェロームに肩入れしているからつい華をたしなめる。
「忘年会の余興なんてたいしたことないさ。分かってる、いざとなったら助けるって」
本当にそのつもりだった。ゲームの話にすると聞いた時、いいテーマだと褒めた。プライベートを人前で話すなんてことはジェロームには初めてのことだろう。それが嵌ってるゲームのことだという。そのこと自体に驚いた。
「お前がゲームやってるとは知らなかったよ」
「ヒマつぶしにと思って。結構俺、上手いんです」
嬉しそうな顔。その顔に安心してしまった。
いよいよ忘年会だ。みんな、年内の仕事をあらかた片付けたせいもあって浮かれ気分だ。いつも端の方で酒を飲みながら眺めている華も、今回は心から楽しんでいた。仕事との繋がりがみんなとの会話に繋がっている。
時間と共に不安な顔をし始めたジェロームにワインを持って行った。
「飲んどけ、それくらいならどうってこと無いから。前に行ったら上がるぞ。アルコールの力、借りとけ」
言われるままに飲んで喋っているジェロームの表情にゆとりが出始める。その時にジェロームは呼ばれた。
「ジェローム、前に来い!」
司会の澤田だ。前に出て喋ろうとしたとたんに野次が飛んだ。
「どうした! 声が聞こえないぞ!」
(げ! 課長?)
しまったと思った。忘年会の時に新人が余興をやらされるのは恒例だが、もう一つ恒例がある。くじで当たった者が、新人を野次り倒す野次将軍となるのだ。それをジェロームに伝えていなかった。
日頃あれだけ慕っている課長が野次を飛ばしたらきっと焦ってしまう。
「あああの、」
ジェロームがいっぺんに舞い上がってしまったのが分かる。
「なんだ? 何が言いたいんだ?」
その時、ジェロームが反撃に出た。
「課長! 話させてください!」
澤田が吹き出した。
「あいつ、野次将軍に言い返したぞ」
「そんなヤツ、初めてだな」
みんなが笑う中をジェロームが話し始めた。
「えと、これから今俺が嵌っているゲームについて話します」
言い返されて調子が狂ったのか、ジェロームのテーマのせいなのか、課長からの野次が飛ばない。
「すごく楽しいから皆さんにも是非やってほしくて。『テトリス』っていうんですが」
(しまった! 何のゲームか聞いとけば良かった!)
静まり返った会場で慌てた華はジェロームのそばに行こうとして三途川に止められた。
「聞いてなさい、一生懸命話してるでしょ?」
「でも! あいつ……」
「いいじゃないの、ほら、生き生きとしてる。ホントに話したいことを話してるのよ。ちゃんと聞いたげなさい」
身振り手振りでジェロームがテトリスのやり方を説明しているのをみんな静かに……違う、呆気に取られて聞いている。
「で、上から落ちてくるブロックがどんどん早く落ちてくるんです。それを素早く回転させたりして下に積んでいくんですけど、天井が近づくとハラハラして。そこがすごく楽しいんですが、慣れないとドキドキします。それでも落ち着いてやることが大事なんです」
明らかに会場の様子が分かっていないのだと思う。熱心に話すのを静かに聞いてくれているものだと思っているようだ。
「何がいいかというと、全部をクリアした時の達成感が堪らないんです! 皆さんも是非、やってみてください!」
終わった! と言う顔をしたジェロームがやっと周りの様子が違うのに気づいた。
「えっと、以上、ジェローム・シェパードの余興でした……」
澤田の微妙な言い方にさっきまでの笑顔が消えている。けれど柏木がそれを救ってくれた。
「いや、お前だから通用するよ、今の余興! あんまり驚いたから笑うタイミングが分からなかった! 最高だ、みんな、ゲームの原点に戻れたか!?」
会場から爆笑が起こった。
「あの、良かったんですよね? あれで」
そっと柏木に聞く声がマイクを通して会場に響いている。
「いいことにしてやるよ!」
「もう、堪んない!」
「テトリスと来たか!」
「やめて、また笑っちゃう……」
笑いが出たことに華の方がほっとした。
「どうなるかってハラハラしたよ! 良かったな、笑ってもらえて。あのままシラケるんじゃないかって心配した!」
「華さん……みんな、何で笑ってるんですか?」
池沢と三途川も笑いながら寄ってきた。
「アレ話したのがお前だからウケたのさ。哲平がここにいたら引っ繰り返って笑うよ、きっと」
「だめだめ、そんな言い方してもこの子、全然分かってないわ。あのね、ジェローム。テトリスって、みんな小学校の低学年くらいでやってるの。それを堂々と遊び方の説明から始めたからみんな呆気に取られたのよ」
「小学校の……低学年……?」
呆然としているジェロームの肩を叩いた。小学校でやるようなゲームを嬉々として説明していたジェロームが、不意に切なくなった。
「正月遊びに行く。俺も何かゲーム持って行くからさ、テトリス、対戦しようぜ。ま、俺が勝つけどな」
わざとバカにしたように言うと、さっきのことを忘れたようにムキになって突っかかってきた。
「俺、小学生かも知んないけどテトリスでは負けませんから!」
「ゲーマーを舐めるなよ。お前が俺に勝つなんて10年早いって」
その内話はどんどん流れてジェロームも周りに返事をするのに忙しくなり、楽しいままのお開きとなった。みんな若いから年末は個人的に忙しい。二次会も無くそのまま解散となった。
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