第十九話 苦悩 -2
課長のところに行き、ジェロームのことで時間を作ってもらった。少しでも早く話をしておきたい。
「分かった。今日空いてるがどうする?」
「早い方がいいんです、お願いします」
場所は駅向こうの居酒屋。話しやすいブースに入った。簡単なものを注文してすぐに話し出した。今日の弁護士との面談のこと、ジェロームが悩んでいること。
「訴えたらいろんなことを証言しなくちゃならなくなる。俺も弁護士との打ち合わせで聞かれそうなことを予備練習させられたんです。……感じたか、感じたならその時点で合意になるだろうとか」
「そんなことまで聞かれるのか!」
「はい。酷かったですよ。俺、こんな風だから自分から誘ったんじゃないかとか、これまで男とセックスしたことは無いのかとか。だから俺、訴えるのをやめました」
課長の顔が蒼褪めていく。
「で? 多分ジェロームはその件は訴えないと言ったんだろう?」
「そうです。だから傷害罪だけになる。けど弁護士の話じゃ、それだけなら執行猶予がついて釈放だろうって言われたみたいです」
「なら、これからもジェロームは怯えて生活するってことか?」
「ええ。あんな逆恨みして街中で襲ってきたくらいだからこの先どうなるか……思い切ってレイプされかけたこと、訴えてみないかって言ったんですけど。こんなにいろんな目に遭って、あいつ、このままじゃ潰れます」
料理が来たが、ほとんど手をつけられなかった。話していて胸が苦しくなってくる。
けれど課長と話したことで少しほっとした。あの様子を思い出すと不安で堪らない。ジェロームはあまりにも脆いからどこかに消えてしまってもおかしくないような……
結局何も食べずに帰った花に、真理恵が軽いものを出してくれた。
「花くんが潰れちゃだめだからね。お兄さんなんでしょ?」
「……そうだよな。俺がしっかりしなくっちゃ」
それでも布団の中であれこれ考えてしまい、悶々として朝を迎えた。
朝は早めにオフィスに着いた。
(こんなに早く来るはずないのに)
そう思っても、誰かが入ってくるたびにドアに目が行く。時計を見ていつもよりちょっと遅いと思った。
(来ない? 来ないかも……じゃ、いつになったら来る? 電話……)
そう思っているところに入って来たのがジェロームだった。思わず両手を握った。
「来ないかと……来ないんじゃないかって思ってたんだ」
「花さん……」
「よく来たな。頑張ったんだな」
泣きそうな顔に、頭をくしゃくしゃと撫で回した。
離れた途端に三途川の声が飛んだ。
「ジェローム! プリンターが調子悪いの。見てちょうだい」
「たまには『自分でやれば?』って三途さんに言っちゃいなさい」
「言わ……ないです、千枝さん。三途さん、怖……いから……」
そこに野瀬の声が被さる。
「プリンター終わったら西側の壁のポスター、みんな剥がしてくれ」
さらに中山の声。
「それが済んだらここの段ボール、始末しちゃってくれよ」
「みんな……みんな、酷いですよ……俺、俺、仕事したいです……」
「生意気言ってるな、朝から。新米は先輩にこき使われるためにいるんだ」
「無茶苦茶だ、広岡さん……」
花は、もう一度頭をくしゃりと撫でてやった。
「俺が手伝うよ。一緒にやるから少し休憩しよう」
ジェロームは花にしがみついて泣き出していた。花はジェロームの肩を抱いて4階に連れて行った。
「時間、まだあるから慌てずに考えよう。みんなも助けてくれるから。自由に決めろよ、どっちに転んでもリスクあるんだし。俺、課長といろいろ調べてみる。いい道が探せるって約束できない。けどお前、独りじゃないんだからな。それ忘れるなよ」
「うん……ありがとう、花さん……」
「俺、お前の兄貴だからさ。言ってくれたろ? マリエに。兄を頼みますって。哲平さんは長男。俺が次男でお前は三男だ。三途さんと千枝さんが姉ちゃん。チーフは……叔父さんにでもしとくか?」
泣きながらジェイは吹き出した。
「そうだ、その意気だ。笑っとけ、お前の笑顔みんな好きなんだから。お前が明るい顔してると俺たちホッとするんだ。だから独りで悩むな。あのオフィスのみんながお前の兄ちゃん、姉ちゃんなんだから」
涙が零れる笑顔が切なかった。
片っ端から法科にいた顔見知りに電話をかけた。たいして仲が良かったわけじゃない、そういう人間関係を構築してこなかった。けれどそれを気にする花じゃない。
『それ、難しいな。実際はレイプされそうになって、拒んで、襲われてケガだよな。でもその話の元を言いたくない。そうなると街中で急に刺されそうになったけど大した傷も負わずに済んだ。その事実だけが残る。お前の方が傷が深いったって、入院するほどじゃなかったんだからやっぱり軽傷だ。クビになった腹いせに襲われた、つまりその彼が狙われたんじゃないってことになるんだろう? それじゃすぐ釈放だよ』
自分が襲われた時に世話になった弁護士にも連絡をして話を聞いてもらったが、結論は同じだった。
『君の時もそうだが、根本を表に出さないならたいした罪は問えないんだよ』
「どう?」
「だめだ……あいつをどう助ければいいのか分からない……」
真理恵を抱き締めた。
「悔しい……俺とおんなじだ、助けてやれない……悔しい、マリエ」
次の日、課長も暗い顔をしていた。いい成果は出なかったようだ。
「花、ジェローム。ミーティングルームに来てくれ。仕事の話だ」
ジェロームの背中を押しながら「ほら行け、仕事だ!」とおどけて見せた。中に入ると薄いファイルを渡される。
「新規の仕事を渡す。これが営業から回ってきたばかりの案件だ」
ぺらぺら見たが、大した仕事には感じない。
「花、片手間にやれるような仕事だと思っているだろう」
「だって、これただの管理システムでしょ?」
しかし、違った。実際は大きな仕事だ。GPSを組み込んだチップを社員証に入れる。データを経理に飛ばし、外出先での仕事状況も把握する。
「どれだけ金をかけずに独自のシステムを作るか。これが今回の課題だ。余所にも依頼をかけているから言ってみれば戦争だ。実際の提案は6月初旬に行う」
「これ、6月に提案ってことは試作を3月中に上げて4月には試験開始しないとなりませんよね。相手先の配線図も調べなきゃならないし、どうせ配線工事は無しでやれってんでしょ? 時間的に無理です」
「そういう言葉を聞くためにお前を呼んだわけじゃない」
「けど、どうやったって圧倒的に時間が足りないですよ!」
脇でジェロームがハラハラし始めたのが分かる。けれど仕事では譲れないものは譲れない。上司が相手だろうがこれは話が別だ。
「で? 俺に仕事が出来ない言い訳は終わったか?」
「さすがに今回は無理言い過ぎですよ! ウチのチームだけじゃ出来ません」
「誰がそんなことを言った? 営業と野瀬、中山のところと連携してやっていく。先方の図面は田中が仕切ってくれる。性能試験にも田中が加わる。もちろん、俺は全部に入る」
背筋がしゃんと伸びる。
「これ、どうして俺とジェロームに話を持って来たんですか?」
「池沢には通してある。お前はこれを昇進の足掛かりにするんだ」
「え?」
「池沢は3月でチームを抜ける。お前のところは2つに分ける。三途のチームとお前のチームだ。三途は充分功績を上げているからすぐにでもチーフになれるが、問題はお前だ。これで名を売れ」
「待ってください! チーフは!? 池沢さんは?」
「正式に俺の補佐になる。R&Dの所帯を4月にデカくする。その布石だ」
鼓動がドクンと大きく打った。ファイルが急に重くなったように感じる。
「これ、俺の仕事ってことですね?」
「そうだ。お前が全体を仕切る。4月にチームの在り方をかなり変える。特にお前のところはな。自分のチームを持つんだという意識で取り組んでくれ。以上だ」
頭の中がボーっとしたまま自席に戻った。
「参った、頭が追いつかない」
「花さん、なんか、凄いです」
「なんだ、その『なんか』って」
「そんな気がするから」
「……お前はあまり頼りにならなさそうだな」
不貞腐れた顔を見て笑った。自分もそうだが、ジェロームもすっかり仕事のことに頭が行っている。
(課長も考えたよなぁ……)
もちろん、ジェロームのことがあるからこうなったわけじゃないだろう。これは自分が試されているのだ、一段階上に上がれるかどうかを。
早速企画書の下書きを作り始める。ジェロームには資料作りを頼んだ。
「花、聞いたのか?」
「あ、はい。チーフ、俺ちょっとパニくってます」
「冷静な顔で言うな。こっちも片が付く。相談には乗るから」
「はい! お願いします!」
周りに助けられながらになるが、自分が中心になるということに興奮する。そして相棒はジェロームだ。
二人で食事、二人で休憩。そんな日が続く。仕事の面では二人はしっかりと充実していた。
恐ろしい勢いで12月が過ぎていった。仕事はそこにしか居場所がないような顔のジェロームがどんどん勢いをつけてくれた。
どちらかというと考えることがノンストップで浮かんでいくタイプの花は、思いつくままにジェロームに話す。するとさして時間を置かずにそれが形にまとまって返って来るのだ。
「俺、本当にお前とやってると楽だ。課長がそう言ってたよな、歓迎会の時に」
その言葉に嬉しそうな顔が浮かぶ。
(子どもみたいだ……褒められるの、嬉しいのか? 誰も褒めてもくれなかったのか?)
いや、『お母さん』はきっと褒めてくれていただろう。けれどそれよりもジェロームが母を思う気持ちの方が強かったに違いない。
「チクショウ! やり直しだっ! これじゃだめだ、客を掴めない!」
「花さん、落ち着きましょう。全部がやり直しってこと、無いでしょう? どこから引っかかったんですか?」
「んーー、ここ……かな。これは俺の中のイメージと違う」
「イメージと違ってたらどんな支障が出そうなんですか?」
「その後が続かなくなる。行き止まりになるんだ、その方向で考えると」
「じゃ、今日はここやめときましょう。それより営業と話をしに行きませんか?」
インスピレーションが武器の花は、一度つっかえるとそこからの脱出に手こずる。そこから救い出すのではなく、別の角度に視線を変えてくれるのがジェロームだ。
「お前たち、まるで本当の兄弟みたいだな」
そんな声が増えた。プライベートでも仕事でも、花にとってジェロームは欠かせない存在になっている。
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