第4話

 帰路に費やした30分は、ビール三杯分のアルコールで欠いた平然を取り戻すのに丁度よかった。

 

 ジーパンのポケットからキーケースを抜きとる。ヘッド部分を右手でつまんでぬるっと鍵穴に差し込んだとき、僕の中指が女の口内に挿入される感触が蘇る。


「…気持ち悪い」


 靴を脱いで、ベッドに身を投げる。これまでの失態の数々が、走馬灯のように駆け巡る。



 ピロン。


 突拍子もなく鳴ったハイピッチな音は、森閑としているこの部屋に少しの緊張感を持たせた。

 仰向けのまま左手を伸ばし、机上に置いたスマホを手探りで掴み取る。店のダウンライトに適応したままの液晶が眩しい。

 6月23日水曜日21:28。LINEの通知が一件。こんな時間に誰が、どんな要件で僕にメッセージを送るのか、皆目見当もつかなかった。

 しかし僕は画面に表示されている名前を見たとき、なんともいえぬ安堵の感を抱いたのであった。


『久しぶり。明日の夕方、空いてるかな』


 僕は、彼の名前を覚えていた。


『空いてるよ』


『ついて来てほしいところがある』


『どこ?』


『精神科』


『どうして?』


『また、文人あやとくんに見てもらいたくて』


 おぼろげだった感情の輪郭が、僅かな月光もない真っ暗闇に、じんわりと浮かびあがってくる。


『わかった』


 マナーモードに設定をして枕元に放る。右手の中指の先端を、天井に向かってもがくように確かめる。親指の腹に小さく触れた瘡蓋だけが、今の僕には確実に思えた。

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