第86話 待っていた

「う〜〜ん…今日は調子が出ないわね」

 アメリアは自宅にある鍛錬場で模造刀を握った腕を力なく落とす。

 壁際に控えて見守っていたスージーがすぐに近寄り、タオルを差し出した。

「ありがとう」

「今日はもう止めましょう」

 母親よりも上の世代になる彼女にそう言われると反論できない。もし亡くなった祖母が一般的な年齢だったら、同じことを言われたのかな、とも思う。

「素人の私でも、剣筋が乱れているように見えますよ」

「えっ」

 祖母ノーラのことを考えていただけに、スージーの言葉はアメリアを驚かせた。

「いつもは流れるような美しい軌跡が生まれますのに、今日はございませんから」

「!」

 どうやらほぼ毎日行われる鍛錬を見ている内に、アメリアの調子の善し悪しまで見抜けるようになったらしい。チラ、と護衛の女性騎士を見ると真剣な顔で頷いていた。

 どうやら本当に調子が悪いようだ。

「…わかったわ。切り上げて休憩するわ」

「承知いたしました」

 離れに建てられた鍛錬場から屋根続きの母屋へと入り、シャワーを浴びてさっぱりしてからくつろいでいると、イザベルが訪ねて来る。

 忙しい日々が終わり若干暇を持て余していたアメリアは喜んで招き入れた。

 白を基調とした室内に青い調度品が並べられたお気に入りの美しい応接室に入ってもらい、スージーにお茶を淹れてもらう。

 お茶菓子はイザベルが持ってきてくれていた。今流行りの果物やクリームがたっぷりと乗った見栄えの良いものではなく、アメリアが好きなサブレやジャムクッキーだ。

「今日はどうしたの?エリックさんは?」

 普段は領地で活動しているから、彼女が王都にいるのは珍しい。

「商談よ。エリックは鉱山に行っているの。…フローライトが人気過ぎて大変!優先順位なんて付けられないわ!」

 イザベルは両手をお手上げ状態にしてパッと広げる。女性公爵として、商会の会長としていつも精力的に活動している彼女が音を上げるのは珍しい。

 なお、以前はイザベルを片時も離さなかったエリックだったが、何事もなく5年が経過してようやく脅威が去ったと認識して落ち着き、別行動が増えている。

「でも、そんなにたくさん出てないのよね?」

「ええ。以前と変わりないわ」

 鉱脈は見つかったが、やはり産出量は他の宝石類と比べると驚くほど少ない。

 それに、かなり硬いフローライトを掘削する技術があり、更に信頼のおける顔見知りの鉱夫にしか掘らせていないから少しずつしか店に出せないと聞いている。

 売ればかなりの額になるのだが、鉱山の守衛、鉱夫とその家族の護衛、運搬用の護衛などなど、出費も多い。

「まったく!魔族はもちろん、人間の方もやっかいよ」

「そうねぇ」

 アメリアは苦笑するしかない。

 ルシーダ&メイソンの目に止まるのを恐れて暗躍を控えていた人たちは、今、その手を広げてきている。

 もちろん、正常に戻った王族や各大臣・貴族、騎士団が目を光らせているから表立っては行動しておらず…言い方はおかしいが、オーソドックスな悪事だけを働いていた。

 彼らもまたルシーダに「いくら消費しても湧いて出てくる生贄候補」と呼ばれるほど、搾取されていたからだ。「台頭しすぎると痛い目を見る」という恐怖観念のようなものが未だにあるとか。

「ま、そっちはどうでもいいのよ」

 イザベルは紅茶を一口飲んで喉を潤すと、アメリアの顔を見る。

 見るというより、観察している。

(ずっと張り付いていた緊張は抜けているわね。でもなにかしら、普段と違う感じがする…?)

 歪んだ世界を経験した”憂い”は完全に消えていないようだが、それは仕方ないだろう。

 時間とアルフレッドになんとかしてもらえばいい。

「ふーん…。あ、お菓子を食べてちょうだい。流行りではないけれど、ウチがご贔屓のお店のものよ」

「ええ、ありがとう!ジャムで作った渦巻き模様、とても可愛いわ」

 クッキーをつまみながら口元に持ってくると。

「それで夜の方はどうなの?」

「ふぁっ!?」

 アメリアは瞬時に真っ赤になり、狼狽えたが。

(嘘っ!?割れてないわ!!)

 なぜかイザベルがアメリアの手元を見て驚いている。そしてしたり、と微笑んだ。

「…なるほど、そういうことね」

「な、なにが?」

「食べていいわよ。…ふふ、じゃあちょうどいいかしら」

「???」

 顔が赤いままクッキーを言われた通りに食べていると、イザベルが傍らにおいてあった箱をローテーブルの上に置いた。

「貴女、体調悪いでしょう?」

「え?…ううん、そんなことないわ」

 朝の鍛錬でちょっと調子が悪かったくらい、というとイザベルは笑う。

「相変わらず自分の事となると鈍いわね…。それは、体調が悪いからよ!…スージー、今後は朝の鍛錬を短くしてちょうだい」

「ちょ、ちょっと、イザベル!」

 アメリアは楽しい時間が減らされると慌てたが、スージーは少しだけ目を見開いて考えた後、微笑みながら「承知いたしました」と頷いた。返事をした後も笑顔が崩れない彼女にアメリアは首を傾げ、イザベルは笑った。

「本人が分からないっていうのも不思議よねぇ」

「一体何なの〜??」

「その箱を開けば分かるわよ」

 両手で抱えられるくらいの大きさの箱だ。帽子を入れる箱に似ている。

「じゃあ、開けるわね」

 封もされていない蓋を持ち上げると、中を見たアメリアは目を丸くした。

「これって…赤ちゃんの、服???」

 淡い色の柔らかそうな布地で作られた、前合わせの小さな小さな衣服だ。青いリボンが可愛らしい。

「そうよ。ちゃんと新しく作っているわよ?ウチはあと2人の予定だから、お下がりはあげられないし」

「え、ちょっと待って。まだ赤ちゃんなんて…」

「夜の営みがないなんて、馬鹿なことは言わないわよね?」

「っ!?」

 アメリアは再び真っ赤になった。

 持ったままの蓋は無事だ。いつもならひしゃげていただろうに。

(これはいよいよ確定ね!ようやくだわ…)

 歪んだ世界の詳細をアメリアから聞いたアルフレッドは、生まれてくる子供を2人で育てるのだと周囲に熱意を込めて話していた。

(…2年間、自分の仕事が落ち着くまで避妊していたのねきっと。エリックに見習わせたいところだけれど、アルフレッド様にはエリックを見習ってほしいわね)

 母子ともに無事である出産には年齢が関係してくるから、イザベルはずっとヤキモキしていたのだ。

「おめでとう、きっと数日以内につわりがくるわよ」

「えっ!本当に?…ええ…アレが来るの?」

 イザベルからつわりの辛さを散々聞いていたアメリアは青くなる。

「個人差があるからあまり気にしないのよ。…ふふっ、6歳差なんてあってもないようなものよね?」

「まだわからないのに、早いわよ!それに男の子かどうかも…」

 政略結婚させる気満々のイザベルに苦笑すると、彼女は微笑みながら自信満々に言った。

「いいえ、きっと男の子よ」


 その数日後に本当につわりがおとずれて、アメリアの主治医は妊娠を告げた。

 アルフレッドはもちろん、ウィリアムやリリィたちも…様々な人が喜び、贈り物をしたのだった。


◇◇◇


 ───10ヶ月後。

 アメリアは無事に、よく肥えた見るからに健康そうな男児を出産した。

 控えめに泣き声を上げる赤子に、出産に立ち会っていたアルフレッドがアメリアを労いつつ心配する。

「随分と大人しいね」

 その言葉にアメリアは微笑む。

「きっと…照れているの」

 産湯を使い清められた赤子はすぐにアメリアの胸元へと帰されたが、その際に小さな声が聞こえたのだ。


「ははうえ」


 聞き間違いかもしれないけれど、アメリアにはそう聞こえた。

(私のところに来てくれたのね、ルイス…)

 ふっくりした頬に頬ずりすると「んぶー!」と小さな口から声が漏れる。

「君の髪色だ」

「目はアルの色よ」

 さらりとした銀髪がもう生えている。目はアルフレッドによく似た青灰色だ。

 アルフレッドは赤子を覗き込みながら言う。

「…口元は父上に似ているような?」

「きっと喜んでくれるわね」

 先王ウォルスはやんちゃな孫に登られて喜ぶ、甘い祖父になりつつある。

 この子の誕生も心待ちにしていたから、祝福してくれるだろう。

「名前は…そうだな…男の子か」

 イザベルの夫エリックなどは生まれる前から名前を用意していたと聞いたが、アルフレッドは生まれた後に顔を見て決めようか、と話していた。

 アメリアはモジモジしながら言う。

「その…アルがよければ…」

「ルイス、だろう?」

「!」

 アルフレッドは驚く妻の髪を優しい手付きでかき上げた。

「僕にも、聞こえたんだよ」

「えっ」

「”母上”と…その言葉で君を呼ぶのは、ルイスしかいないだろう?」

 それに、とアルフレッドは続ける。

「もしかしたらって思っていたんだ。…あの食堂の子もクロエという名前だし。違うかな?」

 よく気がつくアルフレッドにアメリアは脱帽した。

「気が付いていたのね」

「名前が一緒の上に、光魔法の適性があるから」

 1年前に弟が無事に生まれたクロエは母の育児を手伝いつつ、冒険者登録をした。

(それにあの子は…おそらく記憶がある…)

 アメリアの講習会にも出ているし、二人は旧知の仲のように話が合う。

 歪んだ世界の話を事細かに聞いていたアルフレッドはすぐに気が付いたのだ。

「君がとても気にかけているメリベルも」

「!」

 妻の驚いた顔で、もう確定のようだ。

(やっぱり、あの子が”エリザ”なんだな。…いや、正確には同じ魂、か)

 メリベルには全く記憶がないようだからだ。おそらく、アメリアの胸に抱かれている赤子もルイスとしての記憶は全くないのだろう。

「大丈夫、他の人には言わないから」

 クロエをフローライトが遣わした意味も理解出来る。

 アメリアの聖女の印は”紫色”だから。

 きっとクロエの聖女の印は、フローライトと同じ水色なのだろう。

「ええ、お願い。…クロエには自由に過ごしてもらいたいの」

「わかっているよ。でも、緊急時には頼み事をするかもしれないけれど」

 アメリアは頷いた。そこは”国民”としてちゃんと義務を果たすとクロエが既に言ってくれていたからだ。

「この子は…どんな子になるのかな」

「わからないけれど、アルも居るからきっと愛情深い子になるわ」

「そうだといいな」

 照れながら二人へ頬ずりするアルフレッドにアメリアは感謝する。

(今度こそ…たくさんの愛をこの子に…)


 しかしアメリアは勘違いしていた。

 歪んだ世界でも、彼女はきちんとルイスに愛情を注いでいたのだ。

 それ以上の悪意をダイアナに吹き込まれていただけ。

 数年後、イザベルに指摘されるまで彼女はそのことに気が付かずに子育てをしたのだった。

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