第69話 末路
『ちょっと!!!何をぼさっと見ているの!?』
放心している黒いローブの男の近くから、懐かしい声が聞こえる。
(えっっ!ダイアナ!!??)
ぎょっとして下を見るが、怪しい姿の者は一人しか居ない。
しかしクララとジョセフが月へ到達し、暗雲が去ったフローライトの強い光に照らされたメイソンの影から、何かが飛び出してきた。
『ぎゃあっ!』
黒く粘ついた光沢のあるスレンダーなドレスを身に纏った、青白い肌の女だ。
黒髪にやたらと光る暗い琥珀色の目。
「ダイアナ!」
(あれがルシーダか…)
(ドロシー!?)
皆がそう思い、構えを取る。マーカスは自らも間合いを取り、騎士を下がらせた。
自分や部下が妙な邪法の生贄にされたらたまらない。
だがしかし、黒いローブの男が掠れた声で呟く。
「もう…終わった」
心の奥底、どこかに引っかかっていた釣り針の先のような小さな棘が抜けた感覚。
自分にも欠片ほどの良心があったらしい。
(クララは、天へ還った。我々は…)
メイソンは自虐的に微笑んだ。
ルシーダはその顔を見て激昂する。
『まだよ!!まだ、いっぱい餌があるじゃない!!!』
「もう、ローダークは力を貸さない」
どう見ても負けだ。
(そうか。今は、7回目か…)
頭が足りないはずの小娘がうまくやり仰せたのは、それまでの自分たちのように”知っているから”だ。
ルシーダが使う邪法は他に使える者がいないと、過信していた。
邪神に頼って使えるなら、聖神に使えないはずがない。
(クララと…今代の聖女か)
6回目の事は覚えてはいないが、聖女を取り込むまではおそらく出来たのだろう。
二人が命を掛けて祈ればフローライトも重い腰を上げるかもしれない。
『御託はいいのよ、アンタがやらないのならアタシがやるわよ!!』
『まったく、どいつもこいつも使えない!!』
素が出てきたルシーダは両手を広げて大袈裟に叫ぶと、メイソンの首に手をかける。
「…っ!?」
『その体、寄越せ!!』
メイソンは抵抗し、ルシーダを振り落とした。しかし彼女は平手で弟を殴りながら叫ぶ。
『邪魔をするやつはこうよ!』
フードが外れて、年老いたメイソンの顔が現れた。
瞳が琥珀色ではなく、片方が赤黒くなっている。
ルシーダは味方を思い出した。
『ローダーク!!ここに居る奴ら全部喰いなさいよ!!さっさと遡らせて!!』
メイソンはその言葉に焦り叫ぶ。
「呼ぶな!!!それこそ…人の世が終わってしまう!!」
『いいじゃないそれで!全てを手に入れられるのよ!?』
「大地に人がいなくては、財も、揺るぎない権力も、意味がない!』
自分たちは強い魔族にさっさと殺されて、この世は魔族が闊歩する第二の魔界になるだろう。
それでは国境というくだらない線を消した、理想郷が築けない。唯一の王がいる、世界が。
『…姉上はただの下級魔族なのですよ!?本当の魔族には、勝てない!」
『下級って言うんじゃない!アンタなんてタダの爺のくせに!』
姉弟で繰り広げられる醜い争いを、周囲は後ずさりながら油断なく見つめる。
(…影から出れないのか?)
マーカスは騎士を静かに退避させながら観察し、メイソンの影とルシーダが繋がっている事に気がつく。
それ以上は出てこれないようだ。
おそらくアメリアに…クララが託したフローライトに触れて邪法に染まった体が壊れたのだろう。
(だが、嫌な気配がする)
屋敷の手前まで下がると、その音は聞こえた。
「なに…これは…」
「嫌な音だな」
「怖い、ウィル」
弦を搔きむしるような耳障りなざわめきが聞こえる。
アメリアとアルフレッドは背後の二人を護りつつ周囲を見回し、ウィリアムはリリィを抱き寄せて彼女の耳を塞いだ。
【対価を】
ざわめきに被さるように、低く心に重く伸し掛かる声が響いた。
『げっっ!?』
(そら、見たことか)
メイソンは胸ぐらを締められたまま呻き、ルシーダは身震いする。
下級とは言え魔族となった今、その言葉は絶対であり、抗えない。
『…こちらを食べて下さいませ!!そうすればワタクシが自由に動けます!!』
「姉上…」
妹のみならず、弟を捧げようとするその性根に、メイソンはため息をつく。
しかし返答はない。
そもそも、なりたての魔族から声をかけるのも不敬なのだ。
その事を悟りルシーダは方向転換をした。
『まずい…まずい、怒らせた。さっさと歩け、この老いぼれ!逃げるのよ!!』
「その貴女は私よりも年上でしょう。70歳のお婆さんですよ」
『!!』
喚くルシーダにメイソンは冷たい言葉を投げかける。
弟が動かないと見たのか、ルシーダは影から必死に地面へ爪を立てて出ようとする。
何かが迫っている気配がした。
『嫌よ!!こんな終わり方は!!!』
ルシーダに引っ張られてメイソンが体勢を崩した時、何かが銀の斜線を描いて空から地面へと突き刺さった。
「ぁぐっ……」
『っぎぃあぁぁぁぁあああああああ!!!!』
断末魔の叫びに皆が顔を顰める。
細い、しかし巨大な赤黒い槍が、メイソンと影を…ルシーダを貫いていた。
その強大な魔力に、アメリアは身震いする。
(赤黒い…ローダーク?)
メイソンの体は中ほどで折れてグッタリとしている。
槍は音もなくひとりでに引き抜かれ、メイソンの体は地面にドサリと落ちるが、返しに何かが引っかかっている。
「…黒い球体?」
「魂でしょう」
アメリアの呟きにアルフレッドが答える。
先程のクララとジョセフの魂も球体だったが、薄い水色をしていた。
(罪深さの色かもしれない)
そして更に。
血溜まりの中からズルリと黒いドレス姿の青白い女が引き出される。
フローライトの光に照らされたその体からは、赤黒いうっすら燐光を放つ血のようなものが滴っていた。
「あれが…邪法を使った者の末路か」
マーカスは呟く。
人間の魂ではなくそのものの姿だ。本当に魔族と成り果てていたらしい。
『痛い!!離せ!!!』
貫かれているというのに、ぎゃあぎゃあと喚いている。
【活きが良い…魔族にした甲斐があるというもの】
『離しなさい!ワタクシは王妃なのよ!?』
低い声は、可笑しそうに喉の奥で笑うような声を上げた。
【滅びた国の位がなんの役にたつ…?…お前はもう、負けた】
『負けていない!!アンタが力をケチるからよ!!??』
【影へ潜る力や、過去に遡る力まで与えたというのに…この体たらくだ】
『神から横槍が入るなんて聞いてないわよ!』
ルシーダは空へと上がっていく槍をベシベシと叩く。
【相反する力という事はお前も知っているだろう】
『うるさい!!』
彼女は強く叫ぶと、両手を広げる。
『ワタクシはペルゼンの、いいえ、すべての大地を使ってワタクシだけの国を、再建しなければならないのよ!!…こんなところで、終われないのよ!!』
自分で散々痛めつけ、一度は滅ぼしかけた国の再建を叫ぶ。
いや、王族は誰も生き残っていないから滅ぼしたも同然か。
「どういうことだ?」
ウィリアムは眉を潜めて、アルフレッドは呆れた。
「…玩具か箱庭だと思っているのでは」
その言葉にルシーダが反応してギンッ!とその目をバルコニーへ向ける。
すぐにアメリアを見つけて空から片手を伸ばした。
『その体、寄越せ!!』
滴った赤黒いしずくを祝福された剣で払い、アルフレッドはアメリアの前へ立つ。
「アルフレッド様!」
更にその前にはウィリアムとリリィが立った。
「兄上!?」
『そんな、ちっぽけな力で…私に楯突くなんて…許せない!!』
喚くルシーダを貫いたまま槍はローダークの月の側まで上昇する。
(なに、あの線は…?)
赤黒い月だと思っていたモノは真横に線が入る。ふつり、とほつれるような音がしたかと思うと上下に開いた。
「「「!!??」」」
ローダークの月は大きな口となり、槍ごと一人の魂と一匹の魔族は口の中に放り込まれた。
舌の代わりに大小様々な融けかけた手が魔族を、魂を絡め取る。
歪で所々が欠けたまるで古い刃のような歯が、断頭台の刃のようにガチンと閉じられた。
「!!」
「…ひっ」
そう呟いたのは誰だったか。
アルフレッドは月から目を離さずに、アメリアを引き寄せて目と耳を塞ぐ。
バキン、ギャリギャリと金属が折れ擦れるような音がした後、歪な歯が見えなくなり…巨大な口は元通りの遠い赤黒い月となり沈黙する。
「終わった…のか?」
ウィリアムがリリィから手を離しながら青い顔で赤黒い月を見ていると、リリィが水色の月を指さした。
「あれを!!」
フローライトの月から優しい光が伸びてきて、アメリアを包む。
(暖かい…)
それはアルフレッドの胸に抱かれているからなのか、フローライトの力なのか。
暖かい柔らかい毛布のようなものに包まれている感覚に、アメリアは緊張を解いた。
そうして、心地よい…丘に吹く風のような柔らかな女性の声が響く。
【時が、正常に戻りました。…ありがとう】
(時が…?)
その言葉にアルフレッドの胸からバッと出てくるアメリア。
バルコニーの手すりに手をかけ、フローライトの月へ問う。
「力を…私を、過去に遡らせたのは誰なの!?」
ずっとずっと、気になっていた事。
【一人の少女の命と、一人の少女の願いと、一人の女性の対価】
「その子は!?」
【…もう、あの未来は存在しません。その少女は貴女が知っている子と、同一の魂を持ちます】
やはりエリザなのか。
「そうかもしれないけれど…」
確かに同じ時を生きて、苦労を分かち合ったというのに。
自分だけ助かった気がしてならない。
「もう二度と、会えないの…?」
ギュッと手すりを握り締めるアメリアにアルフレッドが寄り添う。
【…同じ過ちが、起こらないように】
再度、フローライトの月からアメリアへと光が伸びる。同時にローダークの月からも赤い光が伸びた。
「!?」
光は混じり合い、紫色に発光している。
手すりにある右手の甲に、何かの紋章が浮き出る。
「これは…紋章?」
聖女の体に現れるというフローライトの紋章によく似ているものだ。
アメリアはハッとする。
「祈った少女…命を犠牲にして私を、時の遡りをさせた少女というのはまさか、クロエ…?」
呆然としたアメリアに気遣わしい声が響く。
【…あの子を遣わした頃には何もかもが遅く…大変申し訳ありませんでした】
(遣わす?)
それではまるで、造られたような命ではないか。
「待って、あの子は平民の…普通の少女ではないの?」
しかし声は答えない。
【その印がある者が居る限り、邪術による…時を遡る力を得る者は居なくなります。…それが貴女が”勝利”した事への、ローダークからの褒美の提案】
「えっ…」
アメリアは少々青くなり、紫に光る聖女の紋章を見る。
声はくすくす笑う。
【おかしな効果はありません。…その印は受け継がれるでしょう。大事になさって下さい。では】
すう、と周辺に存在していた暖かい気配が消える。
フローライトが去ったのだ。
「今度こそ、終わったのか…?」
ウィリアムは呆然とし、アルフレッドはフローライトを見上げるアメリアを見ながら言う。
「おそらく。なんという…人智を超えた事をしでかしていたのか…」
彼女は涙を流して手を組み祈っていた。
(クロエという少女にか…)
”時の遡り”の対価はイザベルの娘であるエリザかもしれないと話していたが、あまり面識がないという聖女候補の少女だったようだ。
フローライトの口調からして、神に造られた存在のように思える。
その聖女にアメリアがなってしまったのだ。
(聖女のことも、調べなければ)
どう受け継がれるかは分からないが、聖女の印を持つ者が途絶えると”邪法による時の遡りが出来るようになる”というのはローダークの嫌がらせに思えるが、抗う術はない。
周辺の国も合わせて、これから聖女を護らなければ、と考える。
(この世は神の戯れの場か…全く厄介な)
アルフレッドと同じことを考えていたマーカスだが、背後の部下たちを振り返った。
全員がやりきったような、疲れ切ったような表情を浮かべて微笑んでいる。
一人の欠けもなく乗り切ったのは、臨時で集めた部隊ながら健闘したといえよう。
「疲れているところ済まないが、もう一仕事だ。躯を集めるぞ」
「はい!」
しかし脅威が去ったという事実にやる気は残っているようだ。
「オズの部隊が来るまでだ」
「はい!」
死者たちはもう動かない。
彼らを統率していたデュラハンが消え、フローライトの光によって浄化されたからだろう。
騎士たちは黙々と作業を始める。
そこへジャックがやって来た。
「終わったか」
「ああ。…陛下は?」
元凶が居なくなったという事は、当然の結果が出たはずだ。
ジャックはニヤリと笑う。
「陛下の痣が全て消えた」
今はずっと取れていなかった睡眠を取っているという。
パメラもまた結界を張り続けていたため、傍らで休んでいると伝える。
「そうか…」
呪いはやはり宮中へメイドとして潜入していたルシーダが掛けたのだ。
ここ十数年で発生していた良くない現象は何もかも、たった二人の持つ火種が燃え上がって起きた事らしい。
惜しくむらくは、先代の王妃が亡くなったことか。
(しかし…もう時の遡りは出来ない)
出来たとしても遡った先にはメイソンとルシーダが居るのだ。二度と顔を見たくない、と思ってしまった。
「隣国へも遣いを出さねばなりませんね」
「私が行こう」
そう告げるとジャックは二階を見上げる。
アメリアがフローライトの月を受けて光っているように見えた。
「聖女となったようです」
「…なるほど、どうやっても領地に帰らせないつもりか」
舌打ちしそうな顔で言うジャックに、マーカスは苦笑する。
「仕方ありません。…まぁ、覚悟を決めておいて下さい」
マーカスが視線をずらした先にいたのはアルフレッド。
「昔の私に良く似た好青年ですから、文句は無いでしょう?」
「どこがだ。…チッ」
今度こそ本当に舌打ちをしたジャックは厩へと去っていった。
「…見た目はこちらのほうがよほど魔王らしいのですが」
苦笑しつつマーカスは下からじいっとアルフレッドを見上げた。
視線を感じたアルフレッドは下を見て頷くと、アメリアを促し室内へと戻る。
「さて。一世一代のプロポーズは成功しますかねぇ」
色恋に非常に鈍そうなアメリアに唯一、恋心を向けられたことのあるマーカスは微笑む。
(アルフレッド様になら…アメリア嬢を任せても良いでしょう)
第二の父親のようにそう思い、成功を祈るのだった。
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