第68話 会えた二人

 アメリアはピクリと肩を動かした。

「始まりました」

「はい」

 外から人の放つ声とはおよそ思えない声が聞こえてくる。

 バルコニーのある窓越しに見れば、関節を無視した動きをしている者たちが騎士へと襲いかかっている。

「…動きがバラバラですね」

「皆、兵士ではありませんから」

 アメリアは悲しそうに言う。死者たちはおそらくほとんどが平民だ。もし騎士が混じっていたとしても、生前の記憶は無いに等しいのだから、剣は振るえないだろう。

「押されてはいませんね」

「ええ」

 事前にどういう者たちが来るのかが分かっていたのが大きい。

 祝福を与えられた剣が斬りつければ、斬り捨てられた部分はもう動かない。

 頭や足を狙えば良いのだ。

(そう思っても…斬り難いわね…)

 死者たちの服装は騎士の服だけではなく、老若男女混じっている事が剣先を鈍らせている。

 かくいうアメリアも人は斬ったことがない。

 しかしそれらの感情を押し殺して、騎士たちは善戦していた。

「!…離れて!!」

 アメリアが何かを感じ取り、ガラス戸の前に居たアルフレッドを突き飛ばしつつ自分も背後へ飛んだ。

 その瞬間に、けたたましい音を立ててガラス戸を突き破り何かが室内に侵入してくる。

 粘りのある結界のおかげで、ガラスは必要以上に飛び散らずに外へ押し戻された。

「アメリア!」

「仕留めます!」

 室内でびたんびたんと暴れる、小型のワイバーン越しに見るとアメリアはもちろん立ってワイバーンへと剣を振りかざしていた。

 ゴギュリと嫌な音がして頭部が切り離される。すぐに羽ばたきはなくなった。

「これは…これも、死体ですか」

「そうですわね。建物に…こんな変な突っ込み方はしませんもの」

 …と、濁った目がぎょろりと動いてアメリアを見た。

「!」

(彼女が目的か)

 アルフレッドは慌てて祝福を掛けた剣で目を突き刺すと、ワイバーンは動かなくなった。

「アメリア、窓から離れ…」

「もう、遅いようです」

 油断なくバルコニーの外を見ていた彼女は、駆け出した。

「アメリア!」

(何か…とても強い者が居る)

 ダンジョンの下層で感じる、肌がチリチリする感覚だ。夜会でも感じたことがある。

(絶対に、ここで止める)

 部屋に侵入されると廊下の先の部屋に居る二人が危ない。

 バルコニーの中程まで出ると、赤い光が彼女の銀髪を照らした。

(赤色しか、ない?)

 双方が満月なら、混じって紫色になるはずなのに。

「…雲が!」

「意図的ですね」

 アルフレッドが駆け寄り、アメリアがあまり前へ出ないように腕で押さえ、空から襲いかかってきた鳥たちを斬り捨てる。

 腐肉が撒き散らされ、酷い匂いがした。

「数が増えてるような…」

「そう見えるだけでしょう」

 アルフレッドは楽観的に言うようにした。

(どこからか、調達しているのか)

 死体は街へ行かなくても墓地へ行けば山ほどある。

 二人で背中を合わせて這い上がってくる小さな動物を斬りながらアルフレッドが言った。

「人が上ってこなくて良かった」

「…そうですわね。騎士団の方たちに感謝です」

 このような状況下でも、死者とはいえ人がやってきて躊躇なく斬れるかというと、そうでもない。

 小さな女の子が目の前に来たら困ると思いながら、剣を振るう。

(うう、ごめんね…)

 動物好きなアメリアは心で謝罪しながら剣を振るう。

 しばらくの間そうしていると進軍がパタリと止んだ。

「…無限ではないようですね」

「ええ」

 アルフレッドは剣についた血油を振り捨てながら考える。

「騎士がどなたかを押さえたのであればよいのですが。…アメリア」

「少しだけ」

 アメリアがそうっとバルコニーの手すりから下を覗き込むと、誰かに押されたように、思ったよりも体が前に出た。


『やっと、会えた』


(…え?)

 誰かの声が…聞き覚えのある声がする。

 胸元がほのかに光った。

 時の流れがゆっくりになったような感覚がして…目の前を、生まれたばかりのようにゆっくりと羽を広げながら光る何かが舞い上がった。

(…蝶?)

「アメリア!」

 自分の体が勝手に動き、片手で手すりを掴んで乗り越えようとした所をアルフレッドが叫んで抱き止め、引き戻した。

「あっ!!」

 するり、と首に喪失感が走った。

 フローライトが空中へと躍り出ている。

 あれほど取れなかった鎖ごと、宙を舞っていた。

 周囲には見覚えのある蝶が大量に舞っていて。


「「!!!」」


 次の瞬間、アメリアとアルフレッドが目を見開く。

 フローライトを核に蝶が集合して人の姿を形取り、銀髪に琥珀の瞳をした小柄な女性と変化して両手を差し伸べながら下へ落ちていく。

 その姿は白いネグリジェのような衣服を身にまとっていて…透き通っていた。

「クララ!!」

 アメリアは瞬間的に誰かを悟り、アルフレッドの手を振り切ってバルコニーから身を乗り出すが、下に佇んでいた者を見て息を呑む。

「デュラハン!?」

 こんな地表に居る魔物ではない。廃墟や遺跡などにいるはずの高位の魔物だ。

 しかし、それが両手を差し出している。


『ジョセフ』


 クララの声が聞こえる。

 デュラハンの傍らには剣を下段から上段へ振り抜こうとしている、マーカス。

「待って!!」

 その声にデュラハンと対峙していたマーカスは上を見上げ、目を見開いた。

 更に、木立から飛び出してくる者がいる。


「よせ!!手を取るな!命令だ!!」


 黒いローブにフードを目深に被っていたが、アルフレッドはメイソンの声だ、と気がつく。

 数秒後、クララはデュラハンに辿り着いた。

 デュラハンは彼女を抱き留めると、無かったはずの頭部が光とともに現れて、微笑む。


『クララ』


「ジョセフ殿…!?」

 マーカスが驚いたように呟く。

 妻を失い発狂して親族と使用人全てを殺害したとされたメンデル家の当主だ。

 マーカスが剣を下ろすと、気付いたように彼に頷いた。

『ありがとう。…君はマルクか?…手間を掛けさせた』

 マルクとはマーカスの父だ。魔剣で判断したらしい。

 しかしマーカスは特にそのことには触れずに、首を振った。

「いいえ…貴方が戻ってこれて良かった」

 メンデル家の惨殺現場でかろうじて息のあった使用人が最期に伝えた言葉。

 …頭部のない騎士が来た、と。

 おそらくジョセフは攫われたクララを救出しに行き、離れの地下へと引き込まれて…魔物へと転嫁させられたのだろう。

 完全な解読は出来ないが、解読を依頼した研究者は非常に険しい顔をしつつ報告をした。

(私を父と勘違いするという事は…魔物になった後の記憶がないのが幸いか)

 しかし彼は周囲を見回し、動かなくなった躯へ悲しげな目を向ける。

『皆に罪はない。弔ってやってくれ』

 もしかしたら”なりたて”の時は記憶があったのかもしれない。

(…くそっ)

 ルシーダの陰湿な気質に、彼女の邪法に吐き気がした。

「承知した」

 父のような堅苦しい言葉遣いで伝えると、ジョセフは泣く妻の頭を撫でて空を見上げる。


『空は任せてくれ』


 そう言った瞬間、首のない馬が空気に溶けて消える。

 そして二人は抱き合ったまま空へと燐光を放ちながら、浮かび上がってゆく。

「!」

 アメリアはクララと目が合うが、お互いに微笑んだだけだ。


『…変えてくれて、ありがとう』


 そんな言葉が頭の中に響く。


「いいえ…私こそ…ありがとう!」


 次第に人の姿は霞のように消え、二つの光る球体がフローライトの月へと昇っていく。

 その姿をアメリアとアルフレッド、そして背後にいつの間にか来ていたウィリアムと、リリィが手を組みながら祈り見ていた。

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