第65話 過去と未来

 アルフレッドはワインを一口飲んだだけで”歪んだ世界”の話に聞き入り、アメリアが話し終える頃には拳で額を支えてため息をついた。

「そんな事が起きていたのですか…。確かに、歪んだ世界だ…」

 全てが宰相メイソンの手のひらの上だ。

「ええ。もうなんと言ったらいいか…全てが悪い方向へ言ってしまうの」

 アメリアは苦笑する。

(苦笑だけで済ませられるとは…)

「…本当に、アメリア様はお強い」

「とんでもないわ!…でも、自分は鈍感で良かったのかもって、今は思えますね」

 ふふ、と淋しげに笑う。

「アメリア様…」

 メイソンを老獪だとは思っていても、当たり前のように人間の範疇内での行動だと思っていた。

 いずれ権力を手にしてトゥーリアの王となりたいのか、と思っていたのだが。

(偽りとは言え王妃を務めた女性を断頭台で処刑など…正気の沙汰ではない)

 やはり魔族と関わり合いのあるルシーダと手を組んだ男だ。姉だから保護したのではない。

 姉とともに全てを壊して手に入れようとしているのだ。国の範疇を越えている。

(妹君を生贄に差し出す男か…)

 もはや彼も人間ではないのかもしれない、と執務室での出来事を思い出しつつ思う。

「あ、アルフレッド様、私に敬称は不要です」

「え?」

「結婚が無効のようでしたから、私は王妃でもなく、ただの侯爵令嬢ですから!」

「…嬉しそうですね?」

 ハッとしたアメリアは手で口を抑える。

「分かります?」

「それだけ笑顔で言えば分かりますよ!」

 二人で顔を見合わせて、ふふ、と笑う。

(疲れ切ってない笑顔…こちらが本当の笑顔なのね)

 母のパメラに似たサラリとした銀髪に、青灰色の瞳。正直に言えば、ウィリアムのキラキラした見た目よりはアルフレッドのような落ち着いた雰囲気の男性の方が好ましかった。

「で、では…アメリア、と呼ばせていただきます」

「はい!…敬語もいらないのですが…」

「それは性分です。王弟という、中途半端な立場で…自分を護るために誰にでも敬語を使っていたら、地になってしまいました」

「それなら、仕方ないですね」

「ありがとうございます」

 出来ないといえばすんなりと受け入れてくれる。

 自分の周囲にそのような者は今までいなかった。

(不思議と…心が素直になるな…)

 だからこそ兄も変われたのかも、と思う。

「ところで…一つ気になるのですが」

「何でしょう?」

「貴女が…時の遡りを実行できた原動力は」

 そこまで話しただけでアメリアの顔色が変わる。

「すみません、尋ねてはいけない事でしたか」

 アメリアは少々悲しそうに目を伏せて首を横に振った。

「…わからないのです」

 自分は牢に入れられてそのまま刑場へ連行された。そのため、宮中で起きた事も国外で起きた事も分からない。

「時の遡りは…あの時は白く輝く光りに包まれました。嫌な気配はしませんでしたし、ダイアナの悲鳴のような声も聞こえました。…そうだわ、蝶が見えました」

 アルフレッドはアメリアのフローライトを見る。

「その時に…同時にペンダントが託されたのなら、闇魔法とは異なるようですね」

「ええ」

 フローライトに触れる事のできるクララが闇魔法を行使できるはずがない。

「気になるのは…年数で…」

 そう言って顔を伏せてしまう。

(先程41歳と話していたから、20年か)

「20年に心当たりが?」

 アメリアは顔を上げて首を横に振る。

「19年なら。…エリザやクロエ、ルイスたちは皆、その年齢です」

(なるほど)

「彼らの誰かが、自分の命を差出したと…?」

 アメリアは目を伏せて頷いた。

「ルイスは違います。…クロエも私と接点がなさそうで…」

「しかし、アメリアが予想している少女は、魔法を使えましたか?」

「いいえ。よく神殿へ行ってお祈りはすると話していましたが…」

 だからこそエリザはダイアナに手出しされなかったのでは、と思う。

「隣国へ脱出して…神殿で祈ったのではないかと」

 彼女なら確実にそうするだろう。

 母イザベルから託されたフローライトと同じ名前の神に、アメリアの無事を祈ったはずだ。

 やるせない表情のアメリアを見てアルフレッドは思う。

(まるで自分の娘のように、大事に思っておられるのか)

 そのような愛情深い人をルイスという名の王子はよく拒絶したものだと思う。

(いや、メイソンたちがそうなるように…兄上のように裏から手を回していたのだろう)

 ルイスはクロエという聖女候補を離れへ閉じ込めたという。

(歪んだ世界では兄上が壊れたから…次のルイスを傀儡にしようとした…)

 そのための餌兼人質がクロエだ。

「私は聖女候補のクロエという少女のほうが気になります。離れに居たという話ですし、もしかしたらクララ殿とコンタクトを取ったのでは?」

 二人共、聖女と呼ばれるほどに光魔法が強い。

 離れの地下に施された結界は、あまりに強すぎて掛けられた扉のほうが劣化していたとマーカスに聞いた。

 歪んだ世界では、アメリアが王妃となり20年の月日を経て扉が壊れたのかもしれない。そこでクララは外へ出て”誰を遡らせたら良いか”を見て決めたのだろう。

 魔法の力はあるが平民のクロエでは無理だ。かといってエリザを遡らせても母の居ない赤子になるだけ。

(だから魔剣を持つ…アメリアを選んだのではないだろうか)

 そう説明してみるが、しかしアメリアは悲しそうに微笑む。

「…どちらにしろ、誰かの命を犠牲にしてしまった…」

「それは違います!…最終的な判断はその方の意思でしょうし…何より、たとえ命を差し出さずに生きていたとしても、普通には生きられない」

 アルフレッドがそう諭すと、アメリアは気が付いたようだ。

「確かに、そうですね…」

 エリザは隣国ペルゼンへと脱出したが、トゥーリアがメイソンの手に落ちた場合は戦争となるだろう。

 トゥーリア起因の戦は二度目。事情を知らず逆恨みした人々に命を狙われたかも知れない。

 クロエは…壊れたウィリアムの代わりとして直ぐにルイスが王位を継ぐだろうから王妃となり、しかしリリィのように離れへ幽閉される。子供ができても、やはりリリィのように、取り上げられてしまう。

 二人の行く末に平穏はないのだ。

 アメリアは苦いものを食べたような顔になる。

「酷い未来だわ」

「そうでしょう?…それに、ルイスという王子も…いずれメイソンの毒牙に掛かったはずです」

 メイソンに意のままに操られた状態が”生きている”という状態なのかどうかは別として、いずれペルゼンのように圧政を敷くようになり…全ての罪をなすりつけられて処刑されるだろう。

(きっとその前にクロエを始末し、アメリアが正しかった事を伝えて奈落へ突き落とし…嘲笑う)

 アルフレッドは敵のやり口が分かってきた気がした。

「ですから、アメリアがここに居ることは、良識ある者の総意だと思うのです」

「…そうだと、いいです…」

 イザベルの子供は無事に産まれ、イザベル自身も健康状態は良好とのことだ。屋敷の守備も騎士団が協力をして完璧にしているから、おそらく歪んだ世界のようにはならない。これからその子供は両親の愛を受けてすくすくと育つのだ。

「イザベル殿が無事なのも、貴女のお陰なのでしょう?」

「…ただの、自己満足ですけれど」

 我慢しないように、あのような未来はまた体験したくないと思っただけ。 

「貴女にとっては自分の我儘なのかもしれないが、私達はそのお陰で…こうなったら良いのに、とずっと思っていたことが現実になっているのです」

 兄と話せるように、なおかつ公務も一緒にできるようになった。

 そして父と母とも会えた。

「だから…もう、背負わなくていいのです。私も、未来について出来得る限り考えて行動しましょう」

「アルフレッド様…」

 優しい笑顔がじんわりと胸に染み渡る。

「!」

「…あら?」

 スルスルと両目から何かが流れてきている。

 アルフレッドはグラスをアメリアから受け取り卓に置き、懐からハンカチを取り出して涙に当てた。

「これからは私に頼って下さい」

 その言葉にアメリアが微笑むと、目尻にたまった涙が溢れた。

「…アルフレッド様は…いつも味方をしてくれますね」

「歪んだ世界でも?」

「ええ」

 乱心したウィリアムに殺されてしまったが、それまでは共に仕事をしていて…中々会えないでいたが、アメリアは勝手に同志だと思っていた。

「…だとしたら、アメリアを一人残して死んだことが悔やまれますね」

「でも、今は生きておられます。…そのような未来にはさせません」

 もう毒草はないしウィリアムも随分と変わったが、リリィという彼の心臓はまだ生きている。

 まだまだ、最悪な未来の可能性は消えてないのだ。メイソンとルシーダが居る限り…。

 アメリアの強い眼差しを受けて、アルフレッドは微笑む。

「ありがとうございます。…でしたら、お互い、護り合いましょう」

「護り合い?」

「ええ。公務に余裕が出来たので、騎士団に混じって鍛錬をしていたのですよ」

「まぁ!」

 だから歪んだ世界のアルフレッドよりも体格が少し良いらしい。

(気のせいじゃなかったのね)

 ついつい、服の上から筋肉を見てしまうアメリアはこっそりと思った。

「それと内密にしていたのですが、光魔法の適性もあります。少しの癒やしの魔法と、自分の剣に祝福を与えられるのですよ」

「!」

 これは母パメラからの遺伝だ。そのためパメラはルシーダに魔の手に落ちなかったし、呪いに侵された父に付き添いここへ来たのも納得が出来た。そして自分も、魔の手から逃げられた。

「羨ましい…」

「私としては身体強化の出来るアメリアのほうが羨ましいのですがね」

 できれば逆で、自分の剣に祝福を与えてほしかった。勇者と聖女のように。

(だが、アメリアは双方の素質を兼ね備えている)

 光の魔剣に選ばれたという事はそういう事です、とマーカスも言っていた。

 歪んだ世界では、魔剣さえ側にあればルシーダなぞには取り込まれなかっただろう。

「…では、勇者アメリア」

「えっ!?…は、はい…?」

 自分の両手を取って厳かに伝えるアルフレッドに戸惑いつつ、返事をする。

 外からはザワザワとした音が聞こえてくる。おそらくもうすぐだ。

「この戦況をひっくり返しましょう」

「!…そうですね。勇者ノーラのように!」

 二人は立ち上がり、抜刀をするのだった。

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