第48話 邂逅
「ようやく会えたわ…」
まだ嗚咽の残るリリィの頬を優しく撫でると、彼女はビクリと肩を震わせてソファの下へ飛び降りた。
「た…大変、申し訳ありません!…王妃様!!」
会えたら必ず言おうと、ずっとずっと考えていた。
ひれ伏したリリィにアメリアは苦笑をすると、軽々と抱き上げた。
「えっ…えっ??」
体重が落ちたとは言え、ウィリアムでさえ自分を抱えられないというのに。
「ふふ。魔法でね、こういう事が出来るのよ」
驚いて涙が若干落ち着いた様子のリリィに微笑みかけると、再びソファへ座らせた。
そして立ち上がり何かを引き出しから持ってくると、目元に塗ってくれる。
「普通のクリームよ。…ちょっと腫れてしまったから」
バラの良い香りのするクリームだ。彼女は普通と言うだろうけど、平民には手の届かない物のはず。
「ありがとうございます…」
暖かい手に触れられると、涙が溢れそうになる。
アメリアはクリームをしまうと、柔らかいタオルを持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「いいのよ。…それより、質問をしていいかしら?…もちろん、貴女からの質問をお受けするわ。良いかしら?」
そもそも自分から王妃へ意見を言うような状態でもないし、そのような身分でもないとわきまえているリリィは頷いた。
「…はい」
居住まいを正したリリィにアメリアは苦笑する。
「構えないでいいわ。…そうね、先にご家族の事を話しましょう」
リリィの家族とオークリーの家族がどのような状態になっていたかを、残酷かもしれないが伝える。
当然リリィは愕然とし、また涙が溢れてきた。
「ごめんなさい…」
「その言葉は、彼らに会う時に言ってね。私の実家の、クレイグ領にいるから」
「…はい」
(王妃様は…会えるって言ってくれる…)
ウィリアムに家族の事を訊いても、いつも「大丈夫だから」とお茶を濁されるだけだった。何がどう大丈夫なのか全く分からない。
オークリーの事をたずねようものなら非常に不機嫌になるので、二度と訊けなかった。
(この人と居ると、ホッとする…)
自分の中の”普通”と同じ気がするのだ。
王宮に来てからは現実味がなく足場がふわふわとした状態だった。
その後はどんどんと泥沼に嵌っていったように思う。ウィリアムは引き上げるどころか一緒に沈むだけ。
しかし、目の前の女性はそんな自分の手を引き地面へ引き上げてくれた気がした。
「その…」
「?」
首を傾げてみせると、リリィは言いづらそうにしていたが、意を決したように言う。
「いつも…おとなしくしていればいいって…そうすれば悪いようにはしないって言われていて…不安で…」
「まぁ」
(やっぱり陛下から見えない所で脅されていたのね)
王に囲われているだけなら、こんなに痩せないだろう。
それに気が付かないウィリアムは一体どういう目をしているのだろう。
「もう大丈夫よ!私が護るから」
「はい…ありがとうございます」
(強くてお綺麗で…この人こそ、王妃様だわ…)
先程も、エーファが作り出した風をものともせずに、自分を救い出してくれた。ウィリアムにはない、芯の強さみたいなものが感じられる。
リリィがホッとした表情をしたので、アメリアは切り出す。
「それでね、その…オークリーは、貴女をお嫁さんにしようと思っていたそうなの。…貴女はそのつもりだったのか聞きたくて」
リリィは気まずそうに顔を伏せたが、少しして告白する。
「彼は…昔からの、子供の頃からの付き合いで…。庭師として独立したら、そうなるのかなって思っていました。でも…」
言いよどんだ彼女にアメリアは苦笑した。
「居ないからハッキリ言ってしまっていいわよ」
リリィはその言葉にゆっくりと顔を上げる。
「オークリーからはたまに言い寄られていて、周囲からもいい相手じゃないかって言われてたんですけど、恋人というより…兄のような存在でした」
「あー…なるほど」
小さい頃から一緒に居た幼馴染という位置の弊害だろう。
親も了承しているしもう少ししたら結婚する事になるかもしれない、と悩んだそこへ美麗な男が飛び込んで来て熱心に口説くのだ。
タイミングが悪すぎたのかもしれない。
(いえ、この場合良かったのかしら?)
王がまともな王だったら、の話だが。
「じゃあ…ズバリ訊くわよ。ウィリアムのことは愛しているの?」
「!」
白かったリリィの顔がさっと赤くなる。
「そ、その…」
やっぱり言いよどんだリリィへアメリアはハッキリと告げた。
「私は好みじゃないわ」
「!?」
ギョッとするリリィ。
「本当のことなの。あの人も私が好みじゃないわ、断言できる」
「ええと…」
野にある草花のような自分と、白バラのような王妃とは傾向が違うように思えるが。
「だから、夜もないのよ。安心してね」
「えっ」
声に出してから、リリィは慌ててタオルで口を塞ぐ。
大変なことを聞いてしまった、という顔だ。
「ね、そうなのよ。王様は本来の婚約者に逃げられたものだから、急遽、私が連れて来られて…逃げないうちにと結婚させられたのよ。半年過ぎても未だに…私より年上なのに出来の悪い弟みたいな感じよ!」
アメリアが大げさに肩をすくめて言うので、思わずリリィはくすりと笑う。
ウィリアムが離れへ来る時は、必ずと言っていいほど甘えてきたからだ。
(やっと笑ってくれたわ。適正体重になればきっと、エクボが可愛らしい女性なのだわ)
貴族らしいツンと澄ました自分のような顔とは真逆だ。
歪んだ世界で産まれたルイスの、幼い頃の愛らしい笑顔はリリィに似たのね、と思う。
そしてとうとうリリィは白状した。
「私は、ウィリアム様を、愛しています…」
ウィリアムは「やっと嫌な婚約者から開放された」と嬉しそうに、しばらくして「王妃が来てしまった」と落ち込んだ様子で言っていたが…代理で目の前のアメリアが連れてこられて強引に結婚させられたとは教えてくれなかった。
自分の事を想ってくれた結果なのかもしれないが、心の中のもう一人の自分は、それほど信用がないのか、と落ち込む。
「…そうよね、愚問だったわ」
(愛しているからこそ、辛い目に遭っても、生きていたんだわ)
歪んだ世界のリリィはあのまま離れで20年生きたのだ。
自分には到底真似出来そうもない。きっとエーファを張り倒して離れどころか王宮を飛び出した事だろう。
「…耐えるような場所なのに、ずっと頑張って、居たものね…」
「…いいえ…私は、ただ居ただけです…」
労るように言われて涙が浮かんでしまう。
「我慢しなくていいのよ。私も、我慢はやめたから」
どこか遠くを見て淋しげに言うアメリア。
「……?」
「”今”は、変えたくて…突っ走っている途中なのよ。行き先はわからないけれど」
ニコリと笑った顔も、どこか憂いを感じる。
「…王妃様?」
「…アメリアでいいわ。堅苦しいから。あ、チョコがあるのね。コニー様が用意したのかしら?」
流石だわ、と言いつつチョコレートをつまむアメリア。
一つ取って、リリィの口元に寄せると彼女はおどおどしつつもパクリと食べてくれた。
ちょっとだけ、リスを思い出してしまう。
(かわいい。陛下の心を鷲掴みしたのは、こういう自然な所作なのかしらね?)
関心しつつ自分もチョコレートを食べる。
「美味しいわよねぇ。甘い物って疲れが飛ぶわよね」
「は、はい」
リリィの実家はパン屋だったので、ドーナツなどの甘いパンも売っていたが形が悪いものをつまみ食いしたものだ。また、チョコレートは高価なので一日限定30個だったが、チョココーティングしたドーナツはあっという間に売り切れていたことを思い出す。
(懐かしい…)
ウィリアムが持ってきてくれる王都の流行りの高級店の菓子を食べても、そんな事は思わなかった。
いつも何かに見られている気がして、緊張していた気がする。
しばらく二人で甘いお菓子を堪能していると、アメリアが話しだした。
「では次の質問ね。…王妃になるつもりはない?」
「!…コフッ」
「あら」
喉に詰まらせたリリィへ、水の入ったコップを差し出す。
コニーやイザベルが居たら「直球すぎる」と苦言を言われたかもしれない。
(ごめんなさいねリリィさん。でももう…)
「訊かずに後悔することが多くって」
そう言ってやはり淋しげな笑みを浮かべるアメリアにリリィは惹きつけられる。
(この方も…私以上に苦労されているのだわ…)
自分は何もしていなくてただ怯えて過ごすだけだった。
しかしウィリアムの話に王妃の事も上がるようになってきて、色々と仕事をしていて、自分はなぜ何も出来ずにここにいるのだろう、と悩んでいた。
「でも…私に王妃がつとまるとは、思えません」
貴族が当たり前に幼少期から受けて持っている知識やマナー、所作や心構えなどが自分には何もない。
ウィリアムの愛情を失って放逐されても「仕方ないと思えるだろうな」と思える自分もいる。
「……」
その揺れる目を見てアメリアは、わきまえているな、と思った。
(リリィさんはしっかり考えている)
わきまえていないのはウィリアムと、それを利用しようとしたメイソンだ。
「では、やっぱり…側室の線ね」
「いいえ…やはりウィリアム様を説得して、アメリア様との子供を…未来の王様に」
「いやいや、お互い愛がないのよ。ていうか、子供がかわいそうよ」
「ですが…」
「貴族って普通は…そういう事は考えずに政略結婚するものだけど、流石にね。この状況で立場をひっくり返すのは難しいわ」
ここまで愛している女性を目の前にして、ウィリアムが自分と子供を作るとは思えない。
というか自分が嫌だ。
「だからね、やっぱり貴女の子を…そうね、2人で育てましょう。そうすれば、きっと…」
自分は公務で時間が取れないかもしれないが、リリィは堂々とルイスを育てられる。
(変に心が曲がった子にならないと思うのよ。そうすれば、エリザも幸せに…)
「きっと?」
「…!」
ハッとしたアメリアは取り繕うように笑う。
「ええと、きっと愛情たっぷりでとっても良い子に育つと思うのよね。私は貴族としての心構えを教えて、貴女は平民の暮らしや街のことを教えるの。一緒にお出かけしましょう?」
「それなら…できそうですが…」
「では決まりね!」
「ですが、私は平民で」
「そう、次はそこなの」
「??」
(王へ嫁がせるなら、どこかの貴族に養子縁組みしてから入れればいいのに、それを宰相はあえてやらなかった)
捨て駒に使うつもりで、他家との関わり合いを極力無くしたのだろう。
「…貴女はおいくつ?」
「23歳です」
ほぼウィリアムと変わらない。誕生日を聞けば数ヶ月、彼が年上なだけ。
「あら、私より二つ上なのね。じゃあお姉様ということで」
「????」
「もしくは、騎士団長のお家でもいいかしら…」
マーカスは公爵だ。もう一つのエリオット公爵家は親友がいて未来の妻になる(かもしれない)子供もいるから駄目だ。フォックス公爵家は論外である。
(…家格が釣り合う家が他にないものね。というか、知らない場所に彼女を預けたくないわ)
再び不遇な目にあえば彼女は完全に”王妃”の道を諦めてしまう。
そう、アメリアはまだリリィを王妃にする気でいるのだ。
「あの…何をするのですか?」
貴族の流儀を知らないリリィは質問をする。
「…貴族の家に養子縁組しましょうね、という事よ。そうしたら堂々と…離れに押し込まれずに、メイドたちにも一線を引いてもらえるわ」
エーファのような素行と学歴の両方に難のあるメイドは宰相が引き入れただけで、王宮に居ないはずだ。
「そういうものなんでしょうか?」
「そうよ。王宮に務めるメイドといったら、貴族が多いの。平民もいるけど…よっぽど頭がいいとか、腕が立つとか特殊技能があるとかなのよ。エーファはメイドにすらなれないような素行の悪い人。あんなんじゃ、結婚もできないんじゃないかしら」
「そ、そうなんですね…」
だから離れにいてウィリアムが居ない間は、当たりが強かったのか、と思う。
「では、そうしましょうね。…正式には王様と王弟様に考えてもらいましょう」
特にウィリアムには納得してもらわないといけない。
「それと」
「はい、なんでしょうか」
「あなたは太りましょうね。それでは、陛下の重たい愛に潰されてしまうわ」
「えっ」
「私の代わりになってもらわないといけないのだし…あ、大丈夫よ。公務は私がやるから。王様の心を癒やす係というか…何かできそうな事も探しておくわ」
その言葉にリリィはハッとなる。
(今しか、チャンスがない)
ウィリアムにも伝えたが、曖昧に笑いながら「そういうのはいいよ」と言われてきた。
アメリアなら、自分の意見も聞いてくれるかもしれない。
「あの、でしたら…」
「なにかしら?」
「私にも、学園へ行って教えてもらうような…教育というのでしょうか、それをして頂けないでしょうか」
真剣な深い緑色の目を見てアメリアは頷く。
「もちろんよ!貴族の家に養子となると、確実にそれもついてくるから。ちょっと厳しいかもしれないけど…」
幼い頃の自分を思い出しながら言うが、リリィはぱぁっと笑顔になる。
「わかりました。私、頑張ります!」
「!」
(やっと前向きになってくれた)
「その意気よ!」
思わずリリィの頭を撫でると、彼女は照れくさそうに笑った。
「さて、と。話も纏まったし、そろそろお外の方を入れましょうか」
苦笑するアメリアにリリィは首を傾げる。
「すぐに分かるわよ」
アメリはいたずらっぽく笑うと、ソファから立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます