第46話 潜入2
13.潜入 2
その日中にリリィのいる離れへメイドを追加で配置するのは困難かと思われたが、ちょうど空きが出ていて人事大臣が人を探しており、ブリジットの名前を偽名に変えて翌日から送り込むことになった。
もちろん大臣には口止めをしてあるのだが、宰相のメイソンは隣国近くの街道を整備する事と、鉱山の開発を早く進める事に躍起になっているらしい。
離れのメイドに空きが出た、と伝えたには伝えたが、適当に配置しろ、と言われただけだという。
(平民とは言え陛下が連れてきた方なのに…なんて雑なのかしら…)
ブリジットはそう思いつつ、知り合いの女性騎士の案内で離れへ向かった。
(これが、例の花)
池の周囲と、屋敷へ続く一本道の歩く場所以外にびっしりと植えられている。
自分が見ただけでは”白くて小さな花”にしか見えない。葉が柊よりもギザギザしているので可憐だとは思わないが。
「こちらが離れです。…ブリトニー、お気をつけて」
偽名はブリトニーとすることにした。あまり違い過ぎると反応できないためだ。
「はい、ありがとうございます」
女性騎士が扉を開いてくれるので中へと入る。
池に囲まれているせいか、エントランスは少々ひんやりとしているようだ。
(時間より少し前だけど…出迎えられる様子はなさそうね)
王の寵愛を受けている女性の住む場所だというのに、非常に静かだ。以前の宮中に似ている、と思いつつ物音を立てないように良い香りの漂う方面へ…厨房へと向かう。そこにいたのは初老の女性だ。
(やっと居た!)
ここに来るまで、誰とも会わなかった。
「おや?新しいメイドかい」
「はい。ブリトニーと申します。エーファ様はいらっしゃいますでしょうか」
「廊下出た所の2つ先の左の扉の部屋に居ると思うよ」
必要最低限の事を告げると、女性は昼食の仕込みを続ける。
お礼を言うと厨房から出て教えてもらった部屋の扉をノックした。
少ししてから、中から不機嫌そうな声で「誰?」と聞こえた。
「今日から配属になりましたブリトニーです」
「あー、ちょっと待って」
面倒くさいなぁ、とも聞こえてくる。
(…言葉遣いが酷いわ。エーファは貴族で男爵家出身だと聞いたのだけど)
コニーが見たら即刻クビにしそうだと考えていると、扉がバンッと開く。
現れた女性は、もう10時だというのにネグリジェ姿だ。
「!」
「エーファよ」
「あの、今起きたのでしょうか?」
「そうよ、なにか悪い?」
「いえ、こちらの主様の朝食や服の着替えなどは…」
エーファは長い金髪をかきあげて面倒くさそうに言う。
「あの人勝手に食堂に来るし、着替えも一人でやるから必要ないのよ。さすが平民よね」
嘲るような笑みだ。
「はぁ…」
ではエーファは何をしているのだろうか。
「私たちのお仕事は、何でしょうか」
「洗濯物を回収して新しいのを補充、あと掃除。わからないことは、厨房のタニアに聞いて」
「お茶の用意などは?」
「飲みたい時は、勝手に水を汲みに来るからいいのよ。この横の部屋があんたの部屋よ。何をしでかしてここへ流されてきたの?…ま、人は見かけによらないものね!」
王宮に務める貴族らしからぬ発言を無視してブリジットは澄まして答える。
「人が足りないと、一時的に配属されました」
「あんたクソ真面目ね?…そうだわ、あの色ボケの王様が来る時はきちんとして」
(学生より言葉が酷いわ)
不敬な言葉は聞かなかったことにして、質問をする。
「きちんと、とは?」
「言われなきゃわからないの?お茶と、持ってきたお菓子を皿に乗せて出すくらいよ。後は絶対覗かないこと。きっと見たくないもん見るわよ。まぁでも…最近はあの人もしょっちゅう来ないから、愛想つかされたんじゃないかしらね?お綺麗な本物のお嬢様が王妃様になったって聞くし。…まだ眠いから寝るわ」
それだけ言うと、エーファは扉を締めてしまった。
(なんなの…これじゃあ、メイドが辞めるはずだわ)
このような女性の元で働くのは嫌になるだろう。
タニアは恐らく無害だ。
こんな状態でリリィは一人で3年もここに住まわされていたのかと思うと、同じ女性としてやるせない。
(しかも平民よ…きついわ…)
昔通った学園では平民出身の友人がいて、一緒に居る自分も色々言われたこともあったから差別を受けた時の気持ちがよく分かる。
(まったく!…でも、あのような状態ならすぐに会えそうだわ)
もっと中は厳重で、メイドもコニーのような厳格な女性に管理されていると思っていたから拍子抜けだ。
それでも気を抜かないようにして、埃の積もる廊下の掃除をし、タニアに聞いて洗濯物を回収し洗い終わったものを所定の場所へ畳んで置いた。
昼になると、本当にリリィは一人で食堂へやって来た。
ミルクティーブロンドの少し癖のある長い髪に、落ち着いた緑色の瞳。肌は白すぎた。
(やつれてるわ…)
貴族女性で若い人は一般的に細い人が多いが、それ以上に細い。
どう見ても心労でやつれているようにしか見えなかった。
「…こんにちわ」
「リリィ様、こんにちわ」
両手を前で揃えて小さくお辞儀したリリィに、ニコリと笑って返すと少々驚かれた。
どうやらここへ配属されるメイドの質は最低のようだ。
(後でアメリア様とコニー様へ報告しなくては)
そう考えながら、食事を並べる。
「あ、あの…私は自分でできますから」
「いえいえ、私の仕事ですから」
ニコリと笑って言えば、拒否はしない。
(そうよね、私も貴族だから…)
チラチラとこちらを見ているが話しかけてこない。普通は主が話しかけないと、こちらが話せないのだが。
(気安く話しかけるなとエーファに言われたのかしら)
「私はブリトニーと申します。人手が足りないとのことで、一時的に参りました」
「そうなんですね。よろしくお願いします」
並べた食事に手を付けず、ペコリと頭を下げる。
(ひょっとして私が居たら食べにくいのかしら)
「私も、奥で頂いてきますね。ごゆっくりお食事をお楽しみ下さい」
「!…は、はい。ありがとうございます」
驚いたリリィはやっぱりお辞儀をしてブリジットを見送った。
完全に見えなくなると、食べだす。
(…可哀想になってきたわ…。心配なさる理由が分かりました、アメリア様…)
こんな状態で放置されては、息を殺して過ごすしかないだろう。ウィリアムが来た時だけが、息が出来る時間なのかもしれない。
(いえ、そうでもなさそう。洗濯物もエーファにチェックされてしまうし)
何が起きたかも知られてしまう。
メイドなら黙っていなければならない事を、エーファはずけずけと言ってしまいそうだ。
寵愛を受けるという事はそういう行為がもしかしたらあるかもしれないが、なんとなく、彼女は拒否していそうだとも思ってしまった。
「ごちそうさまでした」
(えっもう!?)
食堂へ入るともうリリィの姿はなく、丁寧に重ねられたお皿があるだけ。
皿を持って厨房へ戻ると、タニアが指差す場所へ置く。
「今日はあんたが持ってきたんだね。良かったよ」
「…いつもは、リリィ様が?」
「ああ。エーファが仕事しないんでね。…まったく、どっちがこの離れの主だか…」
どうやらタニアはリリィの味方のようだ。
そうしているとようやく起きたらしいエーファが、ドレスに近いワンピースを着てやってきた。
(メイド服でもない…)
完全に仕事をする気がないようだ。その様子に「だろう?」という顔をするタニアに真顔で頷いて、厨房から出て行く。
「あ、あの子の部屋の掃除、やっといて。やってないから」
「承知いたしました」
くるりと振り返ってお辞儀をすると「楽になるわー」と機嫌の良さそうな声が聞こえた。
(絶ッッッ対に、クビね!!!)
少々プンプンしつつ、新品に近い掃除道具を持ってリリィの部屋へと向かう。
(テラスにはいないわね)
サロンはもう掃除をしたので、寝室と応接間と執務室のどこかにいるだろう。
まずは使っていなさそうな執務室へと入ると、誰も居ないしカーテンが開けられてもいない。
「まったくもう、何もしてないじゃない」
ブツブツ言いつつ、カーテンを開け光を入れ、いつもより速度を早めて掃除を行う。
棚には何も入っていないので掃除は楽だが、本当に何もさせてもらえてないのだ、と悲しくなる。
(何もしないでダラダラ過ごせるのは、エーファのような娘だけよ…)
言葉遣いも悪く進んで仕事をしようとしないから、貴人のいない離れへ配属されたのだろう。
「次は、寝室ね」
念の為ノックをすると中からは「はい」という返事があった。
(体調が悪いのかしら)
そう思いつつ「失礼します」と告げて中へ入ると、リリィはベッドにいた。
「どうされましたか?ご気分が優れないですか?」
「い、いえ。大丈夫です」
(どこがなの)
ブリジットはつかつかと閉められたカーテンを開き、光を入れる。
リリィは眩しそうに目を細めた。
「陽の光を浴びないと駄目ですよ!さぁさぁ、起きましょう!」
母親のように言い、クローゼットに入っていた質素なワンピースへ着替えさせると応接間へ追い出し、室内をさっさと掃除する。自分でやっているのか、あまり埃がない。
「次は応接間ね」
リリィを再び寝室へ戻すと、応接間を大急ぎで掃除する。
こちらは流石にウィリアムがくるせいか、一番綺麗なようだ。
「よし、終わり!…ええと、次はお茶ね」
近くの給湯室へ行くと棚には未開封の、高価な紅茶や蜂蜜、酒がある。
一部、酒の在庫が減っているので、もしかしたらエーファが飲んでいるのかもしれない。
お茶菓子は常備していないようだ。仕方なくお茶だけを淹れて明るいガラス張りのテラスへ用意し、リリィを招き入れておどおどする彼女をソファへ座らせた。
「対面に失礼致しますね」
「…は、はい」
やはり拒否をしない。メイドが対面に座っても特に気にしていない。
(教育もされていないのね…)
彼女はエーファの言いなりになっているような気がしてきたブリジットだ。
「少し話をしませんか」
「はい。…でも、何を話してよいか…」
うっかり”何か”を話してウィリアムの立場を悪化させたくないのだろう。
ブリジットは池の方へ目を向ける。北西側のエントランスとは違い、南東に向いているので日が射していて池にある睡蓮の花がいくつか咲いていた。
「私、あの睡蓮の花が好きなんです」
「そうなんですね」
「リリィ様はどのような花がお好みでしょうか?」
「私は…白いスミレや、たんぽぽとか…」
言葉に上げる花は野草が多い。
(しまったわ。街の人は高価なお花なんて買わないものね)
「春になると川の土手に咲いてとても綺麗ですよね」
領地を思い出して言うと、リリィは少しホッとしたようだ。
「はい。…白いたんぽぽを見つけた時は、とても嬉しいです」
「白いたんぽぽ!見たことがないですわ。見逃してしまっていたのかしら…」
「そうかもしれません。あまり目立たない場所に咲くので」
小川の土手で転んでしまい、ビシャビシャになって親に怒られたとブリジットが言えばリリィは直ぐに自分も!と言う。そのまま幼い頃の話に突入した。
「うちはパン屋なのですが、焼き窯をうっかり触ってしまって」
「レンガは見た目じゃわからないですよねぇ」
「たぶん、おいしそうだなって思ってしまったの」
「ああ、とってもいい匂いだものね!パン屋さんの香りってとてもあったかい感じでホッとするの」
「ふふっ、ありがとうございます」
学生時代を思い出しながら、なるべく固い口調にならないように会話をしていると、リリィの表情がほぐれてきたようだ。
(良かった…きっと、寂しかったのね)
リリィの目尻に薄っすらと涙が浮かんでいる。
学園へ通っていない、あまり外にもでない世間知らずの王に、このような雑談ができるとも思えない。
(パン屋の娘って…普通は接客で忙しくて、おしゃべり上手だろうに…)
ブリジットはアメリアがこの女性を非常に心配していた事がよく分かり、やはりこの檻のような場所から出さねばならない、と考えた。
(出来るなら…親元へ帰してあげたいわ…)
しかし彼女に依存しているウィリアムがそれを許さないだろう。
「どうしました?」
「!」
うっかり涙ぐんでしまったのだが、彼女は機微に敏いようだ。
だからウィリアムは何も言わなくても気付いて労ってくれる彼女を手放せないのかもしれない。
「そうですね…どこから話していいのか…」
リリィには「何でも話していい」「彼女には知る権利がある」とアメリアから言われているのだが、順序が難しい。下手に話して心労を追加するのも可哀想だ。
「先にこれをお渡ししておきますね」
「?」
ブリジットはポケットから小さなポーチを取り出した。
それを机の上に置いた途端、テラスに通じる扉が乱暴に開けられた。
「!?」
立っていたのはエーファだ。勝ち誇ったような顔をしている。
「あははは!!油断したわね?…これで、ボーナス上乗せだわ!!」
暴風が吹き抜け、ポーチが舞い上がった。
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