第43話 気付き

 銀の髪が横をすうっと通り過ぎるのを、ウィリアムは混乱した頭で見ていた。

 二人の姿がすっかり見えなくなった所で、マーカスはウィリアムの腕をそっと叩いた。

「私たちも戻りましょう」

 しかしウィリアムは動かない。リリィのいる屋敷を見たまま。

「そちらへ行かれますか?」

「!…いや、行かない」

 それでも動かない。

「どうされましたか?」

「その…先程は、どうかしていた」

 おそらく防護結界があるからアルフレッドが行った、とマーカスに言われたにも関わらず、木立の影から屋敷を見つつ二人がコソコソと話しているのを見て頭に血が登ってしまった。

「そのようですね。…後で、アルフレッド様に謝りましょう」

「ああ」

(今なら聞く耳を持つな)

 先程の怒気はどこかに消え失せ、しょんぼりしている彼に話しかける。

「ウィリアム様」

「ん?」

「アルフレッド様は幼い頃から…王にはならないと、何度も周囲に仰っていますよ」

「…そうか」

 ”アルフレッドが王位を狙っている”、という嘘の噂をずっと信じていたウィリアムは、最近その認識を改めていた。

 話をしていても、自分を出し抜こうなど微塵も考えていないのだ。

 考えているのは国をどう良くしていくか、だけ。

 自分が公務に戻ることにより、以前より仕事がしやすくなったと、笑顔で教えてくれたのに。

「それに、ずっと公務を一人でこなしておられたから、王のようなものでしたからねぇ」

「!…それもそうだ」

 そうさせていたのは自分だ。

 色々なものから逃げて、ここへやって来てはリリィを膝に置いて愛でる毎日。

 彼女も自分が来ると嬉しそうな顔をするから、てっきり歓迎してくれていると思っていた。

「違うのか…?」

 ”嬉しい”の裏にも様々な感情がある事を、最近になってようやく知りつつある。

 リリィはいつも先触れを出すと、危険だから迎えはいらないと言ってあるのにエントランスで必ず待っていてくれた。

 王が愛している者、離れの主だというのに、その周囲には絶対にメイドが居なかった。

(どうしてだ…)

 ゆるゆると不安が上がってくる。

 その時、左耳に嵌めたフローライトのピアスが仄かに光ると彼の脳裏に、アメリアの「訊けばいい」という言葉がリフレインした。

「マーカス」

「なんでしょうか」

「その…平民が…いや、貴族は、平民を…”王の大切な人”と伝えても、大事に扱わないものなのか…?」

 マーカスは少々考えた後、ウィリアムに伝える。

「人によりますが、そうですね」

「どうしてだ?」

「身分が違いますから」

「身分…。そもそも…貴族とは、なんだ?」

 マーカスは内心、「そこからか」と思いつつ答える。

「王は国の主ですが、一人しか居ません。全ての土地を見るのは不可能です。そこで、王は抜き出た能力のある者に爵位と領地を与えた」

 土地をならし道を作り、土地に見合った農業や産業を興す。

「それが、貴族」

「簡単に言うと、ですがね。平民たちはその場所で働き、日々を暮らします。小さな範囲で変化をもたらしますが、事業を行うのは基本的に貴族です。権力と、財力がありますから」

「なるほど…」

「決定的に違うのは、責務です」

 貴族は領地経営を放り出すことは出来ないし、転職もできない。

 生涯、自分の領地を国のために見ることになる。

「ですから貴族は…仕事と爵位に対して誇りを持ちます」

 高位貴族ほど広い領地を任されていたり、他の人には簡単に真似できない職に就いていたりする。

「もちろん平民もそうでしょうけどね。人の命を預かる規模が異なりますから」

「人の命を、預かる…。その貴族たちを束ねるのが、国王…」

 今まで自分はそこまで考えていただろうか。

 いや、国にすむ平民たちの命のことまでは、考えていなかった。

(だから、メイソンの言葉のアヤにも気が付かない…)

 国民の命を簡単に脅かす、この国の宰相。そんなメイソンに全てを任せた王。

「何もしないから皆は…貴族たちは、アルフレッドを王へと推していたのか…」

「そうなりますね」

 マーカスはアメリアを見習い、すぐに肯定を伝えた。

 正直に言えば「ここまで何も考えていなかったのか」と思うくらいだが、そうさせたのはメイソンだろう。

「平民は、日々、仕事をするのか?」

「ええ、休日以外は。…貴族は余暇でも仕事に縛られますがね」

「そう言えば…マーカスは休んでいるのか?」

「いいえ」

 返事を聞いてからウィリアムは「馬鹿な事を訊いた、すまない」と謝った。

 王族も生涯国に縛り付けられる。その王族を警護する騎士団にも余暇はない。交代はするだろうが、騎士団長は一人しか居ない。代替わりしても有事には駆り出されるだろう。

(しかし)

 ウィリアムは離れを見た。

「リリィは…」

(王妃でもない、側室でもない)

 メイソンに提案されてこっそりと…婚姻届とは説明しないでリリィにその名を書かせたが、特に「王妃にしよう」と思ったわけではない。

 が、自分は王だ。自分と婚姻すれば必然と王妃という特別な”役職”となる。

 しかし彼女は学園にも通っていないし、貴族としてのマナーも何も知らない。王妃の仕事など出来ないだろう。

 何もせず、望んではいない貴族のような生活をする日々。だから彼女は自分から何も言えないのだ。

 せめて自分を癒そうと、微笑んでくれる。

(…アメリアが式で暴いてくれて…よかったのか…)

 今更ながらに、とんでもないことをしようとしていた事に気がつく。イザベルに婚約破棄を突きつけられて当たり前だ。

 アメリアは「筋を通せば認める」と言っていたが、その言葉が信じられないほどの譲歩の言葉だと、ようやく思い至った。

 そして。

(リリィが、俺が来て喜んでいたのは…味方が来たからか)

 当たり前だ。

 突然、家族と引き離されて連れてこられて、周囲は知らない人ばかり。しかも貴族だ。

 よくよく思い出せば、いつも自分を見て安堵したような表情だった。

 身を案じてくれているのか、と思っていたのだが。

「俺は…自分の事しか考えていないな…」

「そうなるように仕組まれたのでしょう」

「はは…」

 乾いた笑いが出てくる。

 つい少し前まで、ようやく順風が来たと思っていた。

 しかしそれはアメリアやアルフレッド、マーカスたちが風を起こしてくれただけ。

「自立しないとな」

 ようやく聞こえた言葉に、マーカスはニコリと笑う。

「…ほどほどで良いですよ」

「なぜ?」

「王は一人では何も出来ません」

「えっ??」

「だから、我々が居るのです。言うならば、専門職ですか」

「…専門…なるほど」

 自分はマーカスのように剣技が得意ではない。アルフレッドのように数字も得意ではないし、アメリアのように行動的でもない。

「む…俺には何が残るんだ?」

 色々と自分に足りない物を考えてしまったのだろう、マーカスは苦笑した。

「それはおいおいですよ。…強いて言えば、血、ですか」

「血?」

「ウィリアム様は先王と、正妃の間に産まれたお子です。だからこそ、皆は従うのです」

「なるほど…」

 王族は過去に国を興した者の末裔だ。だからこそ、敬われる。

「それもそうだ。血が関係ないのなら、別の者が王になっているものな」

 それこそ、メイソンがあっさりと王位についているだろう。

「ええ。隣国では、民主政に変わり選挙というもので平民が次の指導者を決めるそうですよ」

「それは…大変そうだな」

「今はクーデターを起こしたカーター氏が居ますが、交代の時に荒れるでしょうね」

 王や貴族などの位が関係ないのなら、誰でも手を挙げられる。

 特に財力がある者は、台頭しやすいだろう。

「…だから、メイソンは隣国近辺の道を整備しろと煩いのか?」

「いえ、あれは違います。単に…毛嫌いしているだけだと思われます」

 権力を使って勝手に隣国と緊張状態にしようとしている彼に、非常に迷惑をしている。

「なぜだ?」

「彼の姉上が、隣国のクーデターのキッカケですから」

「え!?」

 マーカスは片眉を上げる。国民の、平民すらも知っている出来事を知らないのか。

「悪女ルシーダはご存知で?」

「いや」

「…そうでしたか…」

 はぁ、とマーカスは額に手をやりため息をついた。

「歴史を、再度習いましょう」

 その真剣な顔に、自分はよっぽどの事を知らないのか、と思ったウィリアムは頷く。

「他も、色々…もう一度、やり直す」

「その意気です。体作りと、剣技もやりましょうね」

「えっ」

「なんですか?」

「い、いや、分かった!」

「良い返事です」

 ニコリと良い笑顔を返してきたマーカスに、ウィリアムは少しだけ「早まった」と思うのだった。

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