第33話 苛立ち

「なぜだ…なぜ姉上がいない…」

 宰相であるメイソンは、自らの執務室で頭痛のする頭を抱えていた。

 ここ数日、ずっと体が重い。

 無敵の姉の身に何か起きたのではないかと思う。

 そこへ、ノックの音が聞こえた。

「!」

(誰だ、このような時に)

 人払いは済ませているし、いいと言うまで人を通すなと言ってある。

(という事は…)

 自分の身分でも、通さざるを得ない人物しかいない。

「メイソン、私だ。ウィリアムだ」

(…?)

 何か、違和感がある。しかし拒否する理由はないしどうせ彼は手の内にある。

「…どうぞ、お入り下さい」

 ガチャリと扉が開き現れたのは、騎士の服を身に着けたウィリアム。

(騎士の服?)

 彼の背後にいつも文官の服を着ているアルフレッドも続いて入室をしてきた。

 より、頭痛がする。

(なんだと、言うのだ)

 とうとう耐えきれなくなり、額を片手で支えるとウィリアムがすぐに切り出す。

「お前を見損なった」

「ほう。…どうしてですか」

(この姿を見て話しかけるのか。さすがは無慈悲の王)

 その称号は以前の逆行の際にメイソン以下、宰相派とフォックス一族を全て権力で粛清したウィリアムが得たものだが、今の彼はその道を辿っていないし、辿らせない。

「リリィの家族や友人を巻き込んだ事だ」

「何かと思ったら、その事ですか」

 わざと煽るように言うが、乗ってこない。ギッと睨みつけるだけだ。

 仕方なく言葉を続ける。

「…”適当に、金を使って国外へ出しましょう”と言ったはずですが」

 騎士ではなく良く似た衣装を身に着けさせた私兵を使うため金を使ったし、”国の外へ”彼らを出そうとしていた。

「牢屋が国外か」

「いえ、あの世も…”国外”でしょう。人の口に戸は立てられない。居なくなったほうがスッキリしますよ」

「…それは、”適当”とは言わない」

「そうでしたか?」

 なおもすっとぼけてみるが、彼は入室した位置から動かない。

「あなたの玩具を守ろうとしたまでです。何かを言われる筋合いはございませんな」

 そこまで言ってようやく、ウィリアムが怒気をはらみ一歩踏み出したがアルフレッドがそっと背中に手を当てると推し留まる。

(…?)

 メイソンは内心怪訝に思いながら、鉄面皮へ薄い笑顔を張り付かせる。

「お前と私とでは、解釈が違うようだ。…常識が違うのだな」

「そうでございましょうな。若者とは世代が違いますゆえ」

「いや、人として、だ」

「……ほう」

 メイソンの笑みが少し深くなる。

 ウィリアムはその暗い琥珀色の目を突き刺すように見て告げた。

「次はない」

「…承知いたしました」

 なおも笑みをたたえたまま、メイソンは黙礼をした。

 そのまま踵を返し二人は退室すると、急ぎ足で執務室を離れる。

 しばらく無言で歩き王族の住まうエリアまで到達すると、焦るように王と王妃の部屋の間にある応接間へ入る。

 扉を閉めると二人同時に長い息を吐き、顔を見合わせて微笑んだ。

 二人ともぎこちない微笑みだ。

「…マーカスの言う通りだ」

「なんでしょう、あの部屋の、重たさは…」

 用がある時は呼ぶので執務室に入ったのは初めてかもしれない。

 マーカスは足が重くなると言っていたが、二人は全身が鉛のように重くなっていた。

「ここは…安全だと思えるな」

「ええ、さっきの部屋と違って息が吸えます」

「ああ」

 実を言うと室内のランプが真っ先に取り替えられた部屋で、ランプにはもちろん月光石がわからないように内蔵されている。

 二人は深呼吸を数回すると、ソファへ座った。

「あんなに、メイソンが恐ろしいと感じたのは初めてだ」

「…私に対してはいつもそっけないですが、何かそれとは違う…底しれなさを感じましたね」

「アメリアが…魔物と言ったのが、分かる気がする」

「魔物!?」

「いや、メイソンではなくて…夜会に出るとそう雰囲気を感じると言っていたんだ」

 しかし次の瞬間、ウィリアムはしまった、という顔になる。

「すまん、今の話は内緒だ。アメリアと約束したんだ」

「…わかりました。貴族の令嬢がそんな事を言ったとは、噂になると大変です」

 苦笑しつつアルフレッドは言ったが、あながち間違っていないのでは?と考える。

「あのように不機嫌な…焦っているメイソンは初めて見ますね」

「あれでか!?」

「はい。普段は何を考えているかも分かりませんから」

 体調が悪いようにも見えたし、柄にもなく煽りウィリアムがそれに乗らなかったせいか少々戸惑っているようにも感じた。

 それらが全て、普段の彼にはないものだ。

「しかし…”金を使って国外へ逃がす”が、あんな事になるのだな…」

「あれは極端過ぎます。メイソンだけですよ」

 言葉のアヤどころではない。曲解を利用した詐欺、犯罪だ。

「本当に、アメリアの言うとおりだ…」

 はぁ、と額に手をやるウィリアムにアルフレッドは呟く。

「彼女は不思議な人ですね…」

 その言葉に顔を上げたウィリアムは、少々おかしそうに笑っているようだった。

「最初は変な令嬢だと思ったんだが…異色な経歴を持つ令嬢、だな」

「異色な経歴」

 冒険者云々のことだろうか。

「祖母が冒険者だそうだ」

「冒険者!」

「祖父は騎士で…スタンピード対応の時に出会ったとか言っていたな」

「…なるほど」

 という事は、祖母も相当強いのかもしれない。

 それがアメリアの血に流れているのだ。

「たまに気配を感じないのは、そのせいでしたか…」

「そうなのか?」

「はい。足音がないとは別の意味で。…夜会では特にそうでしたねぇ」

 だから記憶に残っている。

「お前はよく見ているな」

「いえ、少し気になっただけです。凛とした美しい女性ですし」

 太陽のようなイザベルとは違った、長いストレートの銀の髪に青い瞳で、とても静かな早朝の湖畔のような美しさがあると思ったのだが。

(ふーん…?)

 アルフレッドが少し考えている様子に、アメリアの事を考えているのか?と気が付いたウィリアムは言う。

「なぁ、お前とアメリアが」

 しかし言葉は遮られた。

「へ・い・か。…その事は今は考えるべきではありません」

「…わかった、すまん」

 つい先日に夫婦の契約書へサインしたばかりなのにそんな事では不実だろう。

 アメリアは"筋を通すのなら"リリィを認めるとも言っていた。

(あせらずに、一歩ずつ…着実に行こう)

 そして思い出す。その言葉は元気だった頃の父によく言われた言葉だ。

 課題がアルフレッドのようにうまく出来ずに泣いてしまい、父が膝の上に自分を乗せてくれて背中を撫でながら言った言葉。

(なぜ…忘れていた…?)

 最近、よく昔のことを思い出すのだ。それはアメリアと会ってから…かもしれない。

「そうだ、兄上」

「…なんだ?」

「アメリア様はフローライトのペンダントをしていましたよね」

「…そうだったか?」

 アルフレッドは呆れた。

「そうです。…もう少し”離れの君”以外の女性の事も見てあげて下さい。…ともかく、フローライトのペンダントをしていたのです。それを、我々も取り寄せませんか?」

 宰相の執務室で感じた薄暗さは、今思い出しても寒気がする。

 フローライトは強力な魔除けだ。腕輪など、普段付けられるような形にすればいい。

「母上のようだな」

「ああ、そうですね!シルファ様が付けていましたね。…そう言えば、あれは?」

 形見分けの中になかったように思える。

「たしか、イザベルが…」

 嬉しそうに「王妃様から頂いた」と見せてくれた。羨ましいと思ったのだが。

「…ん?」

「…ちょっと待って下さい、兄上」

 二人とも同時に、”その事”に気がつく。

「シルファ様が亡くなられたのは…」

「そのあと、すぐかもしれない…」

 ウィリアムの母はもちろん王妃で、特に持病もなく元気だったのだがある日突然、倒れた。

 医者によると心臓発作ということだった。

 その後すぐに父も体調を崩し、数年後にウィリアムへ玉座を明け渡すと静養地へ逃げるように去って行った。

 少しの静寂のあと、ウィリアムがおそるおそる言う。

「まさか、本当に魔物の仕業なのか…?」

「そうかもしれません。…ここのところ、毒物も多いです」

 庭園へ撒かれた毒は、数種類の毒草や薬草を調合したのちに魔法で仕上げる強力なものだった。

 よって現在、ただれた庭は魔法使いたちによって解呪が進められている。

「…取り寄せよう」

「そうですね、今すぐにでも」

 月光石を宰相の執務室の周りの部屋へ仕込もう、ともアルフレッドは考えた。

 使っていない部屋も再調査が必要だ。

「奴は、一体何者なんだ?」

「分かりません。…ですが、良くない者と手を結んでいる事は確実になりました」

 メイソンが何かを調合しているという話は聞いたことがないし、研究棟へも足を向けていない。

 協力者が居るのだ。それも、危険な毒物と魔法を使うような者が。

「今後も、気を引き締めて参りましょう」

「ああ。危険なことは、やるなよ?」

「!…ご心配ありがとうございます。兄上もですよ」

「わかった。必ず、相談しよう」

 兄弟はようやく…過去そうであったように、心が繋がったのであった。

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