第18話 新たな日々の始まり

(どうしましょう…。いえ、どうしてくれよう、かしら)

 再現劇でもなんでもない、本当にあの日そのものだ。

 来賓が一切ない、しかし監視された小さな神殿の構内で床に撒かれた花、歩く先には見覚えのある神官がため息を付きそうな顔で自分たちではなく床を見ている。

 神官長の目の前の台には、花で飾られた婚姻の誓約書が置かれていた。

(あれは…)

 ゴクリとつばを飲み込む。

 同じであればウィリアムの方には”離れの君”の名が、自分の方にはアルフレッドの名があるはずだ。

 花を取っ払って確認したいが、あの日と違って書類が一枚だとすると王の不興を買ってしまう。

(そうすると家族に迷惑が…)

 しかし先程までの自分は、結局のところ、家族に迷惑をかけてしまっていた。

 腕を組まされていない方の手で、ぐっと拳を握る。


(…あんな結末を迎えるのは、ぜっっったいに嫌だわ!!)


 メイソンとダイアナ…いや、ルシーダしか輝かない未来だ。

 全世界で戦争が起きれば最も被害を被るのは平民だし、国々も疲弊する。

 そんなところへ邪神を顕現させたらば、世界は本当に滅びるだろう。

(どうしよう…)

 焦る心に妙案など思いつかない。

(イザベルの真似をして王妃を演じてたつもりだけど、そもそも頭の出来が違うわ)

 方や頭脳明晰、自分は脳筋だ。

 自分を完璧に…というより、隙を見せないように保身していたから、何も出来なかった。

(間違ったらその時はその時で…)

 しずしずと歩きながら頭の中で悩み奮起する。


(私は、騎士団の、副団長ジャックの娘。お転婆なメリーよ!)


 アメリアは、悩むのを止めた。

 あと一歩で契約書のサイン台の前、というところで足をもつれさせた。

「きゃっ!!」

「!?」

 我ながらわざとらしい声だと思いつつ、記帳台ヘバンと手を付いて体を支えた。

 花が飛び散りその下へ目を走らせれば、やはり自分がサインする紙の隠された場所にはアルフレッドの名前がある。


「あら!これは、どういう事でしょう!!」


 背後で誰かが動いた気配がするが、驚く神官長とウィリアムの前で素早く動いて紙を手にとり大げさに言った。

「大変!!もうお名前が書いてあるわ。アルフレッド・トゥーリア…王弟殿下ですのね!」

「なっ!?」

 ウィリアムがギョッとする。

(えっ…知らなかったの??)

 もしかしたら、別の男性の名前が書かれている予定だったのかもしれない。

 そして侍従が駆け寄る前に、ウィリアムの方へ手を伸ばして花に隠された紙をひっ掴む。

「紙が二枚になってるわ!陛下の方も別のお名前があるかもしれません!…ええと、リリィ…。ファミリーネームがないわね?」

 構内にいる一部の侍従が訝しげな顔をしている。彼らは自分と同じく、何も知らなかったようだ。

「平民の方かしら?…陛下はご存じですの?」

 駆け寄ろうとしていた侍従は諦めて立ち止まり、青い顔をしてウィリアムを見ている。

 当のウィリアムは舌打ちしそうな顔で紙を奪い取ろうとしたが、アメリアはさりげない動作で二枚の紙を裂いた。


「!!…なにをっ…!」


 怒気と驚愕で歪んだ顔を、真っ向から見つめる。

「危ないですわ…どなたかが、陛下を貶めようとしているかもしれません」

 真剣な顔で伝えると、驚いたまま呆けている神官長へと告げる。

「新しい紙はありますか?」

「えっ…は、はい。こちらに…ございます」

 神官長は知っていてギリギリまで悩んでいたのだろうか、台の背面から新しい誓約書を取り出した。もちろん王族専用の印が透かし彫りで大きく入っている。

「はいどうぞ、陛下」

 ニコリと微笑みペンを差し出すと、ウィリアムは睨みつけるようにペンを奪い取りサインをする。

(うーん、陛下の性格は変わってないわ…やっぱりあの日と同じなのね…)

 隣にサインをするのは嫌だったが、ここまできたら仕方ない。

 続けてアメリアがサインをすると誓約書はあの日と同じようにほのかに光り、光を納めた。


(あーあ、また結婚しちゃったわね)


 しかも今度は、本物の誓約書で自分は正式な王妃である。

 そのままパーティーも何もなく以前と同じように、王族の住まうエリアの部屋へと案内された。


◇◇◇


(ここで、色々な事があったわ…)

 あの日の惨劇など何事もなかったように──いや、事実今の時点では何事もないのだ。綺麗なのは当たり前。

 捕縛されて幽閉塔にいたからか、懐かしいように思える。

 アメリアは見慣れた部屋を見回しつつ、内心、とても戦々恐々としていた。

(このあと来るのは…あの人よね)

 ノックとともにメイドたちを引き連れて登場したのは…当然のごとく、ダイアナだ。

(出た〜〜〜!!当たり前だけれど、本当に来てしまったわ!)

 刑場で断末魔のような叫び声が聞こえたので死んだかと思ったのだが、普通に存在している。

(……あら?)

 だが表情が以前とは違っていた。

 初対面の時はあまり表情を崩さず冷たい印象で、表情が変化してもせいぜいが薄ら笑いだったはずだ。

(なぜかは知らないけれど、怒っているわね)

 以前の、王宮へ来たばかりの自分なら分からなかっただろう。

 口元が微かに引きつっているから、あれは怒りの表情だ。物事が自分の思い通りにならない時の。

 こんな顔をしてよくメイドを泣いて謝るまで叱責していた。

「…どうしたのかしら?」

(今は…彼女と、メイソンが皆を貶めようとしている状態で、私は初めましてよね…?)

 初対面の自分に向ける顔ではないと思うのだが。

「……」

 王妃の質問に答えない筆頭メイドに、疑問を張り付かせた表情のメイドたちはダイアナを見た。

 彼女たちはすでに教育されているようで、声は出さない。

「着替えをしたいのだけれど」

 しかし全く近寄ってこない。まるで壁があるようだ。こんなことは初めてだ。

 ダイアナの顔が更に苦しげに歪められた。

(えっ?)

「具合でも」

 悪いのと聞きつつ手を伸ばしたらば、手を払われた。バシッとなかなかいい音がする。

「!」

(いえ、バチって…小さな雷のような感じがした)

 例えるなら強い静電気だろうか。

 全員が驚きすぎて、一瞬の静寂が訪れたあと。

「王妃様!」

「ダイアナ様、何を!?」

 驚いて手を引っ込めたアメリアを庇うように一人のメイドが飛び出し、年かさのメイドがダイアナへ注意をしようとしようとしたが、彼女は深くお辞儀をした。


(うそっ!?)


「大変、も、うしわけ…ござ…い、ま、せん…っ」


 言葉の最後は絞り出すように言い放つと、そのまま顔を見せないように、扉を乱暴に開けて逃げるように走り去って行く。


(えっえっ???)


 ポカンと口が開いてしまった。

 あの、自分以外の人間を下等生物のように扱う不遜な態度の塊であるダイアナが自分に手をあげるのも、謝罪するのも初めてのことだったからだ。

 周囲を見ると、同じように呆気にとられていたメイドたちだったが、ハッと我に返るとアメリアへ謝罪する。

「大変申し訳ございません!」

「王妃様、お怪我はございませんか」

「いいのよ。ご不浄に行きたくなったのかもしれないし…手はなんともないわ」

 むしろダメージがあったのはダイアナのように思える。

 存在自体がよくないが、今はここに居ないほうが嬉しい。

 アメリアはそう思うことにして、むしろ戻ってこないようにと願いを込めて自ら扉を閉めたのだった。

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