第34話 夏の章(9)

「そんなことないよ。大丈夫」


 彼の気持ちを少しでも軽くしたくて、私は何でもないというようにサラリと流す。しかし、彼は首を振った。


「大丈夫なわけない。白野のあんな顔、俺、初めて見た。絶対、何かあっただろ?」

「顔?」


 青島くんの言葉に、私は思わず汚れた手を頬に当てる。


「あ! お前、泥が」


 私の行動に、青島くんが慌てた声をあげる。しかし、彼の制止は間に合わず、私の頬には、しっかりと泥がついてしまった。泥を付けたまま、彼の声に驚き固まっている私を見て、青島くんはプッ噴き出す。


「そうそう。その顔。それでこそ白野だ。あんな顔は、やっぱりお前には似合わないよ」


 そう言って、クククと笑いを堪えているような声に、私はプクリと頬を膨らませる。


「ちょっと。さっきから、顔顔って。私の顔、そんなにおかしいの?」


 私の言葉に、青島くんは目をパチクリとさせる。


「そりゃ、顔に泥付けてれば普通はおかしいけどな。まぁ、でも、お前に限っては、それはいつも通りなんだけどさ」


 そこで言葉を切った青島くんは、深い青のような緑のようなその瞳を心配そうに私に向ける。


「さっきは、木本に対して、めちゃめちゃ目吊り上げて怒ってただろ? あんな、敵意剥き出しで怒っている白野の顔、見たことなかったからさ。何かあったんだろ?」


 青島くんの言葉に、私はハッとした。彼が言ったことは、私がつい先ほど、フリューゲルが木本さんを睨みつけていた時に思ったことと同じだった。私も、あの時のフリューゲルと同じような顔をしていたというのか。


 私は、ふと、近くにフリューゲルの姿を探す。今、フリューゲルがどんな顔をしているのか、それが知りたかった。


 しかし、近くにフリューゲルの姿は見えない。青島くんと一緒にいると、いつも双子の片割れはどこかへ姿を隠してしまう。青島くんに、フリューゲルの姿は見えないというのに、私が不自然な態度を取らないように、念のために姿を隠しているのだろうか。


 Noelノエルである自分たちが感情を剥き出しにしたことに、内心驚き戸惑っていると、少し先から、大きな声が聞こえてきた。


「つばさちゃーーん! そんなところで何しているのー?」


 声がした方へ視線を向けると、カントリーログハウス風の建物の中から、緑がぶんぶんと手を振っていた。


 私たちは、いつの間にか、中庭にある図書館の付近まで歩いて来ていたようだった。私たちは、緑のいる図書館へ駆け寄る。緑も図書館から外へ出てきた。

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