第四章 二



 阿嵐は一気に、祓魔二十四家の注目の的となった。賑やかだった空気は一変し、不穏な囁き声が会場に行き交う。

 帝の側近に花枝を渡して席に座ると、さっそく楽々浦家当主は彼に詰め寄った。

「なんとまぁ大胆な登場をしたものよ!さすが東浪見といったところか、堂々と外から現れても罰せられないとは、陛下がお気に召されているだけあるな」

「惟仁殿。酒好きなのは本当のようだな。飲みすぎて体を壊さないよう気をつけてくれ」

 名前を呼ばれた惟仁は意外そうに鼻を鳴らす。わざわざ覚えているということはただの代理で来たのではないらしい。やはり数年間、怯えて逃げ回っていただけのうつけ者ではないようだ。

「なぜ急にここに来る気になったのだ?身を隠した意味がなくなるだろうに」

「心配してくれるのは有難いが、いつまでもそうしていてはやるべきこともやれないだろう。最近は落ち着いてきているし、朝廷では刃傷沙汰は起こせないだろうから、これを機にお前たちに挨拶しておこうと思ったのだ」

「ほぅ……勇気のあることよ」

 双柳家当主は皮肉を込めて口端を上げた。

「挨拶がてら殺されても構わんというのか。家督を継いでいないとなるとまだ阿黎殿はご健在であるということ。今の時期こそ大事であるというのになぜ軽率な行動に出ようとしたのか……」

「矩直殿。血腥い話はよそう。宴の席に相応しくない。お前たちが俺をどうしたいかはよくわかっているが、残念だがもう目を瞑ることはできなくなってしまった」

 嘉藝はぎょっとして阿嵐の視線の先を見た。これまで眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた縁覚が、さらにその表情に険を浮き上がらせていた。恨みのこもった黒黒とした炎が背後で揺らいでいるかのようだ。冷静だった瞳が、仇を食らいつかんとばかりに狙っている。

 これでも縁覚は理性的で厳格な人間だ。この場で感情に任せて阿嵐を攻撃することはないだろうが、彼らの視線が交差した途端、火花が見えた気がして、嘉藝はおっかなさに食事どころではなくなった。

 それはどういう意味か、と矩直は問う。

「この通り、お前たちに比べまだ未熟者ではあるが、ようやく地盤も整い正式に父上の跡を継ぐことが決まった。これまで周りで色々と策を巡らせていたようだが、相手ができなかったのは俺にその権利がなかったからだ」

 泉を連想させる透明な瞳が、悠々と縁覚を見返している。そこに彼の嫌悪など、微塵も映していなかった。

「だが、あまり東浪見を舐めてもらっては困るのでな。名誉挽回も兼ねて、これからは与えられた分、相応の報復をさせてもらうぞ」

「若僧が……この椚平に宣戦布告とは、大きく出たな!」

 狼のごとく縁覚が吠える。聞き耳を立てていた野次馬も、三家も一斉に縮こまった。まったく、といった調子で阿嵐は肩を竦める。

「血の気の多い人だ……。そうではない。次に俺に刃を向ける時があれば、戦わざるをえないということだ。俺から何か仕掛ける気は無い。無駄に人が死ぬだけだからな」

 どうして彼はこうも肝が据わってるのか。惟仁は自分より一回りも二回りも年の離れた阿嵐を恐ろしく感じた。まだ地位も確立されていない青二才の若者だというのに、まるで自分たちと対等であるかのように振る舞い、堂々とした構えで椚平と向き合っている。口調がなっていないと誰かが叱ってもよかったものを、そういう空気すらも生ませない彼の圧倒的な存在感は、全盛期の阿黎か、はたまたそれ以上の何かを持っているように感じさせた。

「ふん。なんだ、お父上の二の舞を演ずると公言するために来たのか。嘆かわしい。それでよく我々の前に現れたものだ」

 矩直はすかさず彼に調子を合わせた。

「そう簡単に争いを避けられるとは思わない方がよいぞ、小僧。本格的に動き出すというならば今のうちに戦の覚悟でもしておくのだな」

「ああ、誤解を招く言い方をしてすまないが、お前たちの領地争いにも再び参加させてもらうぞ。守らねばならない霊地はいくらでもあるからな。東浪見の方向性は今も昔も変わっていない」

 何?と矩直は訝しむ。

「人の世で争いは絶えることはない。承知しているとも。だからこそ大義を掲げて挑むのだ。民を物怪から救済するためにな」

「そのためなら剣を交える、というのか?」

「ああ」

 四家は言葉を失った。

 東浪見は土地の支配こそ積極的であったが、長らく守りに徹していたため自ら戦を仕向けたことはほとんどなかった。

 四家から攻撃を受けることはあれど、防衛戦という体を崩すことなく己の領地で血を流すことは決して許さなかった。誰よりも穢れに敏感なのが東浪見なのである。強力な霊地を初期の頃から所有し、浄めることに力を注いできた一家は、そうして二十四家の頂点に君臨し続けたが、どうやら阿嵐の代から風向きが変わるようだった。

 彼は大義のためならばお前たちの領地を奪うことも厭わないと言ったのだ。やはり宣戦布告ではないか、と殺伐とした空気がにわかに立ち込める。

「貴様がその気であれば、我々は容赦せんぞ」

 高坏が運ばれると、阿嵐は断ってすぐに下げさせた。このように注目された中で食事が喉を通るわけがない。

 当主たちの闘志が、静かに火を灯し阿嵐へと注がれている。

「いいとも。しかし事を始める前に片付けねばならない蟠りがいくつかある。戦はそれからでも遅くはない」

 縁覚殿、と呼ばれた彼は片眉をぴくりと上げる。

「お前が送り込んだ間者や刺客が、七年前から一人も返って来なくなったのは何故かわかるか」

 眉間の皺を深くする。

「おかげでお前を追うのに手間がかかったわ」

「消息を絶ったつもりがいつまでも掴まれては適わんからな。俺もできる限り誰にも邪魔されず生きたかったがために、然るべき措置をさせてもらった。すまなかったな」

「すまなかっただと?善人面しおって。結局お前も刀を血で染めておるではないか。この化け物め。私が何のためにそこまでしたと思っている!」

 前のめりになって縁覚は鋭い犬歯を覗かせた。

「予言は当たっていたのだ。どんな毒でも死なず、刃先に肌が当たろうとも血は流れず再生する。戻ってきた刺客はみな言っておった。お前は人間ではない。災いをもたらす忌むべき存在なのだ。死力を尽くして国を守ってきた阿黎殿が、お前のような忌み子を授かってしまうとは世も末だ。私は諦める気はないぞ。必ずやお前を祓ってやる!」

「縁覚殿、なりませんぞ!」

 掴みかかろうとした彼を惟仁や矩直が慌てて押さえた。騒ぎになってしまえばいくら五大御祓家でもお咎めは免れないだろう。ここで止めなければ自分たちも巻き添えを食らうことになる。それだけは避けたかった。

 ひどい言われようだな、と阿嵐は苦笑する。これではまるで自分が物怪のようではないか。いくら阿嵐という存在を危険視しているとはいえ、その執着心の強さは尋常ではなかった。最初は長子が誕生したのを機に阿黎が前線から退いたことを逆恨みしていると思っていたが、それだけでなく“阿嵐”そのものに不信感を抱き、表舞台に立たせまいとしている。

 ただの人間ではないと言われればそうだろう。しかし忌むべき存在ではないということを否定するのは難しい。ただでさえ摩訶不思議な力と物怪が蔓延る世界。怪しきものが如何に正しく清らかなものであるかなど祓わなければわからない。証明するには立ち向かう他ないのだ。

「刺客をやるのはもうやめた方がいい。正式に挑めばこれからいくらでも戦える。無駄な殺生は好きではないのだ。そうしてくれると助かる、と伝えておきたかったのだ」

 惟仁殿、と、必死に縁覚にしがみついている彼にも声をかける。

「お前も暗殺に加担していたそうだな。大きな借りがあるようだから、返してもらうまでは軽率な行動をしないようくれぐれも慎んでおけ」

 釘を刺された惟仁は、何も言い返せずその場で固まった。たった少し関わった時期があったというだけなのに、それすらも調べ尽くしている彼を信じられない目で見た。

「矩直殿は、虎の威を借る狐になりたいようだが、狐が皮を被ったところで所詮は狐だ。椚平と手を組みたいなら好きにするといいが、あまり推奨できるものではない。土地を守りたければ現状維持することだな」

 余計なお世話だ、と矩直は噛み付く。自分は現役であるというのに、ぽっと出の若者にでしゃばられてしまえば矜恃に傷がつく。なんて憎たらしい、と彼は歯ぎしりをした。

「……そして、嘉藝殿」

 輪から一歩引いておろおろと一部始終を見ていた彼は、まさか呼ばれるとは夢にも思わず目を泳がせた。

「な、なんだ」

「お前が、いや、お前の息子がやっていることは既に報告書にまとめてある。いつでも出せる状態にあるが、一体どうしてあそこまで放ったらかしにしていたのか理解に苦しむ」

 一瞬、なんの事だか判断しかねた嘉藝だったが、しかしすぐその意味がわかると、さっと青ざめた。

「まさか。いつ気づいた!?」

「冬の初めにはな。本来であれば止めるべきことを、それをせずに静観していた嘉藝殿にも責任はある。家督を継がせる前に嘉斎を叩き直しておけ。全てを元通りにすれば報告書を燃やしてやろう」

 不当に霊地を作っていたことさえ、阿嵐の耳に入っていたのだ。ここまで知り尽くしていたのだとしたら、彼に知らないことなど何もないのかもしれない。当主となるために如何にして力を蓄えて来たのかが今では嫌という程わかる。ああ本当に、ただ生き延びただけの運のいい子どもではなかった。

 嘉藝は魂が抜かれた気分になって、顔を伏せた。

「やはり取り留めのない話をして過ごすのは難しかったようだな。俺はもう行こう」

 静まり返った宴会の奥で、陽気な音楽が奏でられる。声が届いていない部屋の方では、歌い踊ったり酒を酌み交わしたりと、賑やかな雰囲気が残っていた。

「お前たちのご子息にもよろしく言っておいてくれ。近々世話になるだろうからな」

 立ち上がると、阿嵐は簾を潜り、ふわりと空へ落ちていった。

 花びらがひらりと、風に吹かれて舞った。



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