第四章 三
車輪に青い炎をまとわせた牛車が、大きな寝殿を超えて
中を通り抜けようとすると、そこでは囲碁をしながら待っていた鶴真と蛇ノ目の姿があった。
「若君。お戻りになったのですね」
「随分とお早いことで」
珍しく人間に変化していた蛇ノ目は機敏な鶴真に対し、ゆっくりと阿嵐の元へ歩み寄った。長い黒髪に切れ長の瞳。線の細い体を厚い着物で包み、その上から、肩に羽毛のついた暖かな羽織を着ている。阿嵐より少し背の高い青年だった。
「初めての宴はどうでしたか我が君」
「楽しもうとはしたが、やはり実際に顔を合わせると言いたいことが山ほど浮かんでしまってな。好き勝手に吐き捨てて帰ってしまった。これだから青二才と言われるのだろうな」
「仕返しできないのをいい事に、我が君を襲っていたのはあちらの方でしょう。それだけでなくここのところ四家は領地の支配が甘くなっていたり、媚びを売るために霊地を譲ったりとやりたい放題でしたからな。東浪見が締めてやらねば五大御祓家は成り立ちませぬ。どうか気を落とされませんよう」
阿嵐は彼らを引き連れて透廊を渡る。
「まだこの世に生まれて二十年と少しだ。そんなやつが急に当主になって指揮を取ろうとしたところで反発されるのは目に見えている。直接話をしなければわからないこともあるだろうと思って行ってみたが、反応を見るに、この後の動向を探りながら、ひとまず様子を見ておくしかなさそうだ」
「世代が完全に入れ替わる前には改善させておく必要がありますからね。特に神聖な霊地は取引や不正に利用するためのものではなく、畏敬の念を持って管理し、崇拝するものだと考えを改めてもらわねば、困ります!」
鶴真の言葉には怒りが滲んでいた。霊地の乱用はつい二年ほど前から見られていた傾向だ。魂の欠片を見つけるために各地を回っていると、明らかに管理不足で荒れてしまった神社や、人がいなくなり廃れたまま放置された寺などがところどころにあり、さほど大きくない小社などはよく売買が行われていることもあった。五大御祓家に限った話ではなく、これは祓魔二十四家で横行している問題である。
「ああ、あんな人間たちの手に落ちた神仏が哀れでなりません。うちの神社が誰それに支配される前に若君に見つけてもらえて本当によかった」
阿嵐の従者である鶴真、蛇ノ目、凪白亀の三人は元々、それぞれのお社の神に仕えていた神使だった。紆余曲折を経て阿嵐の全国浄土を支えるために契約を結んだ彼らは、無論神への恭敬を忘れた日はなく、人間の我欲のために蔑ろにされていることに憤慨していた。
「まったく、どこかの神が天罰を下していただければ奴らもおいそれと利用することもなくなるだろうに」
「そういったものに頼らないよう、国を良くするには人から良くしていかねばならん。みなが煩悩をなくすために修行に励んでくれるなら本望だが、信仰深い人間は世を統べることができないというのが現状だ。悲しいことだが貪欲に生きる方がこの世では生き残りやすい。俺はそうはなれなくとも、せめて救いのために力を尽くせたらと思う」
「ええ。また何かありましたら是非この私にお申し付けくだされ」
細かく仕切られた部屋の外側を回っていると、ある一室を通り過ぎようとしたところで、急に襖が開かれ、出てきた者と鶴真がぶつかりかけた。
わっと驚き、お互いすんでのところで止まると、鶴真は相手の人物が誰であるかに気づき、慌てて片膝をついた。
「大変失礼を。申し訳ございません阿久留さま!」
彼の目の前には、鶴真より少し背の低い、濃縹の衣をまとった少年がいた。癖のある青灰の髪は裏側の白髪が見え隠れし、丸い瞳は真珠のごとく半透明である。その幼いながらも健気で気品溢れる佇まいは、山野に咲く桔梗の花を連想させた。
阿久留は鶴真を認めると、強ばっていた表情を和らげ優しく笑いかけた。
「なんだ、鶴真でしたか。びっくりしましたよ。僕こそ急に飛び出してしまってすみません」
「とんでもございません……」
「弓の鍛錬の途中で、車宿に戻る牛車を見たから、兄上が帰ってきたのだと思い、つい気持ちが逸ってしまったのです」
部屋から出た阿久留は背の高い兄を見上げる。
「おかえりなさい、兄上」
「ああ。なんだか久しぶりに会った気がするな」
阿嵐がくしゃくしゃに頭を撫でると、いっそう嬉しそに笑った。
阿久留は東浪見家の次男坊である。阿嵐が幼い頃に隠居生活を初めてからこれまで、長男に代わって家に残り、父上の傍で帰りを待ってくれていた。阿嵐の数少ない味方の一人である。
「それはもう、兄上は去年の末からたびたび帰られるようになったのに、僕に会いもせずすぐ出掛けてしまわれてたじゃないですか。贈り物だけを置いて行かれても困りますよ」
「気に入らなかったか?」
「そうではなく。お忙しいのは承知しているのですが、ただ僕は、兄上とゆっくりお話をする時間が欲しいと思って」
控えめな阿久留の態度に、阿嵐はさすがに後ろめたい気持ちが沸いた。弟はこの広い屋敷で大人に囲まれながら健康に育ったが、代わりに家族が傍にいてくれた時間は非常に短かった。またには兄に甘えたくなるのも当然である。
「……そうか。長らくお前を一人にさせてしまっていたのに、構ってやれずすまなかった」
反省の意も込めて中央にある町から彼の喜びそうな品を用意したが、それは自己満足だったようだ。
「これからはなるべく家にいる時は顔を出すようにしよう。婚儀が終わってしばらくはゆっくりするつもりだから、もう少し待っていてくれないか」
「そうしたら、僕と弓遊びをしてくれますか?」
「ああ。約束しよう。なんでもこの間、弓争いで分家の者に勝ったそうじゃないか。昔よりだいぶ上手くなったんだな」
「いえ、そんな。きっとみなが遠慮して勝たせてくれたに決まっています。でも、たくさん練習したので自分でも少しは上達したと自負しているのです」
謙虚かと思えばしっかりと内に自信を秘めている。精神的にも健全に育っているのを見ると、阿嵐は強い安堵感を得られた。一度心に暗い部分が生まれてしまうと、それは二度と消すことはできなくなってしまう。阿久留を完全に孤独にさせないよう、早めに手を打っていたのが幸いしたようだ。
「その調子だ阿久留。これからも鍛錬を怠らず、くれぐれも怪我をしないよう励むのだぞ。そうすれば次に優勝した時は、俺が特別な矢を誂えてやる」
阿久留は真珠のような目を輝かせた。
「わぁ、本当ですか兄上。僕、頑張ります!」
ふと見ると、いつの間にか蛇ノ目の姿がないことに鶴真は気づいた。意外なことに蛇ノ目は子どもを嫌っており、もう少しで元服する阿久留ですら見かける度に避けていた。いくら苦手でも挨拶もせずに去るとは無礼な、と思いながら、外で立ちっぱなしの二人に、やんわりとこう告げた。
「お話ちゅう恐縮ですが、中でゆっくり続きを話されてはいかがでしょうか。お茶をご用意いたしますので」
「そうですね。では僕の部屋にお願いします。兄上、行きましょう」
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