第四章 一
雪の溶けかけた大地からは、次々と緑が芽吹き始めていた。暖かな陽光が春を誘い、厳しい冬の山場を越えたことを告げている。遠くの池で水鳥が、美しい羽を広げ水飛沫を上げていた。
宮中では、新年最初の節会が催されていた。
広間の上座には、御簾を挟んで帝と皇后が並んでいる。そして襖を取り払い、縦に長く続く板張りの床には、畳に座り杯を交わす祓魔二十四家の当主らがいた。上座に近い席では、
高坏に盛られた食事に手をつけながら、
「いやはや、ついにお目にかかれる日が来るとは。どんなうらなり瓢箪か見ものだな!」
「んん?もう酒が回ったかね。一体何の話かちっともわかりやしませんぞ」
「聞いておらなんだか。なんとこの宴の席でついにあの東浪見の長子が表に出てくるともっぱらの噂。宮中の女官たちが騒いでいるのを今朝耳にしたのだ。ああ、新年の祝いにふさわしい驚きだと思んか」
「それは誠か?」
「誠だとも」
「しかし何でまた」
「さあ、それは知れたことではない。ついに家督を譲られ、その座についたことをみなに知らしめるために来るのやもしれんな」
急にそんなことが起こるだろうか、と嘉藝は疑わしい気持ちで再び魚に箸をつけた。東浪見ののっぺらぼうが数年間姿を眩ませ、その生死すら曖昧であったのは誰もが知っていることだ。しかし実際に生きているという事実は、この四家だけが把握しているのである。
長い歴史の中で敵対関係にあった五家は、常に腹の探り合いをし、時には共有してそれぞれの家の情報をかき集めていた。そのため東浪見の長子の存在があやふやであった時期には、すぐさま真偽を確かめられ、生存していることが知れると、四家にそれが流れた後暗黙の了解となった。この情報の出処は、
「ほう、それはそれで楽しみでございますなぁ」
「よくぞまぁ生きていたものよ。我々とて影すら見たことがなかったというのに、とっくに誰かが殺したと思っておったわ」
「おお、物騒なことを申すな、陛下の御前であるぞ」
言いながら、隣でちびちびと酒を飲んでいた嘉藝に惟仁が追加で注ぐ。楽々浦家は酒好きで有名であった。宴会の席では必ず酔いつぶれるまで酒を飲み、自らお酌してまで周りに飲むことを強要する。本人がいくら飲もうとも気にする事はないが、皆で酒を楽しむことが宴会の醍醐味だと毎度口にするため、嘉平にとってはタチの悪い相手だった。
「病気で田舎にこもり、療養しておるという話もあったがな」
「どうろうな。あの東浪見の子となれば強かに生きていてもおかしくない。四家が己を狙っていると知ってしっぽを巻いて逃げ、のらりくらりと手を掻い潜ってきたからこそ、我々は影も踏めなかったのだろうよ」
矩直は然り然りと頷く。
「何にせよ我々の前に姿を晒す気になったのには何か算段があるはず。ただのぼんくらであれば今日まで生き延びることはできまい。これは一筋縄ではいかない相手かもしれん」
意味ありげに
視線の先には東浪見家当主が座る空席があった。睨みつけるように一点に集中するその様は、誰が見ても彼が来ることを期待しているようだった。しかしそれは肯定的な意味ではないということも三家は理解していた。
椚平家は誰よりも執拗に東浪見の長子の行方を追っていた。長年の宿敵関係にある東浪見家の希望を、今に断たんとして刺客を送っていたのは他でもない縁覚であったのだから。結局、仕留めることもできずここで会うことになると思うと、彼の矜恃もさぞ傷ついてしまうことだろう。惟仁は今日だけは酒をすすめまいと、また一口杯を呷った。この状況で奴を刺激してしまえばどんな恐ろしいことが待っているかわかったものではないのだ。
ここだけの話、楽々浦家は一時期、東浪見の暗殺計画を裏で後押ししていたが、漁夫の利を狙っていることがばれて椚平家に返り討ちにあったことがある。その時の争いのせいで兵力を削がれていた惟仁は、二度と逆らうまいとしてその後やつの周りでは大人しく振る舞うことを誓っていた。領地の一部が血の海になり、戦力だけでなく土地までもを奪われ散々だった記憶がある。思い出すだけでもむかむかしてしまい、いつもより酒が進んだ。
ひらりと、外から薄紅色の花びらが舞い込んで、高坏の上を過ぎった。
おや、と嘉藝が目で追っていると、背後から突然強い風が吹き荒れ、御簾が大きく翻った。
どよめきが波紋のように広がり、慌てて嘉藝らは席を立ってその場を離れた。まだ花が咲くには早すぎる季節だというのに、どうして鮮やかな春の花びらが舞い込んできたのか。不思議に思うと同時に、御簾を潜って現れた姿に、一同はさらに驚愕した。
神秘的な白髪に異国情緒のある布を巻き、小袖に長羽織という独特な装いをした、若い男がそこに立っていた。
高い山の中間にこの正殿はあるというのに、どうやって外から来たのか。
「無礼者、御前であるぞ!」
ぴしゃりと言い放ったのはそれまで微動だにしていなかった縁覚である。噛みつきそうな勢いに誰もがそっと唾を飲んだが、白髪の男は怯みもせずに歩き続ける。
「遅れたついでに花を持ってきたのだ。せっかくの宴だから、祝いの品がひとつもないのは寂しいだろう」
初めて顔を合わせたというのに、やけに親しげな口調でものを言われ、縁覚は片眉を釣り上げた。
手にしていたのは小さく咲き誇った梅の花枝だった。迷いなく上座の前まで来た男は、羽織をさばき、丁寧な所作で座ると、花枝を前に置いて頭を下げた。
「東浪見の長子、阿嵐でございます。
後ろに垂らしていた布が、さらりと横に流れる。
「……貴様が、東浪見だというのか?」
奥で帝と后が頷いてから、阿嵐は立ち上がる。
「いかにも。お初にお目にかかる。五大御祓家の当主たちよ」
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