第6話 迷宮学者と小迷宮

 ガナルザリア小迷宮は、小高い丘の上にぽっかりと空いた穴のような迷宮だ。

 入口部分から大きく斜めに地中深くに潜るような構造をしており、迷宮内部の構造は上下の幅が広い。

 第二種小迷宮という、比較的危険度の少ない迷宮だが、足を滑らせて滑落死なんて事故はよくある話だ。


「ガナルザリアは元々、山脈内部に存在した亀裂だと言われてるの。それが度重なる地殻変動によってこうやって」


 花の蕾のように手を結び、ぽんと勢いよく開く。


「地上に露出した。ってのが定説なんだよ」

「成る程」


 私の説明に、ローレンヌは深く頷くだけだった。

 この迷宮について教えてほしいと私に頼み込んできた彼だが、迷宮学を学ぶ意欲があるのだろうか。だとすれば、もっと詳しく教えるのだが。

 私達が話している間にも、斥候としてリュールはぐんぐん急な下り坂を降りていく。

 猫獣人の肉体の特性故なのだろうが、その速度は殆ど滑落と変わらず見ているこっちが心配になってくる。

 入口から差し込む光は既にか細く、此処から先はローレンヌの手からぶら下がる魔法ランタンが、私達の唯一の光源だ。迷宮には光る苔や鉱石があることも多いが、ガナルザリアはそういったものは無い。

 ひんやりと迷宮内部は涼しい。少し肌寒いくらいだ。湿った土の匂いと、徐々に濃度を増していく魔素を肌で感じ取る。手に持っている魔素濃度計は、勿論小迷宮の範囲を出ない。

 流れる速さもだ。非常に緩慢とした流れで、濃度も穏やか。地脈と接点になっている迷宮核があれば、こうは行かない。


「濃度、流速問題なし……。記録通りで問題はないね」


 このガナルザリアが第二種の迷宮であるのは、所々に狭い空洞があり人間の肉体では探索することが難しいからだ。逆に言うとその全貌が分からないが故の第二種迷宮であり、魔素や魔物に問題はない。


「"岩の瞳サクスム・オクルスぅ"」


 リュールの偵察魔法が終わるまでの間、周囲の岩壁を観察する。

 手で触れ、匂いを嗅ぎ、魔力を流してみる。その様子が変に映ったのか、装備の確認をしていたローレンヌが寄ってくる。


「何を?」

「フィールドワーク」


 端的な答えに、ローレンヌは不満そうに鼻を鳴らした。

 岩石の感触、吸収している魔素も問題ないだろう。念の為採取するため、私は研究道具の一つを取り出す。

 それは小さな正方形の板だ。平らな部分にある突起をつまみ、魔力を流す。


「展開」


 魔力刻印と付与された魔力に従い、自分自身で組み上がっていくのは小さな箱だ。大きさはリンゴが一つ収まる程度。ガラスのように透明で、蓋の部分だけが黒い。

 これは迷宮内部で発見したサンプルを保管し、物理的、魔素環境的にも分断し、完璧な密閉空間を作り出す。

 その名も環境制御型サンプル保存ケース、ステシス・チェンバー。

 私が有しているのは最も高価なモデルだが、安価なモデルでも全ての状態を維持しつつ一年以上もの長期保存が可能だ。どんな魔法が付与されているのかは、私は魔道具に明るくないので分からない。


「ローレンヌ、岩ちょっとだけ砕いて」

「はい。この辺りでいいですか?」


 ローレンヌが剣の柄で岩壁を殴ると、小さな破片がぽろぽろと崩れ落ちた。

 私はその中でも大きな破片を何個か見繕い、箱の中に入れていく。同じような小石をある程度入れたのを確認し蓋を閉じ、再度突起をつまむ。


「保存」


 ステシス・チェンバーが瞬時に箱が折り畳まれ、小さな正方形の板へ変わった。それを鞄の中に大切にしまう。

 私は聖樹の根証を帝室から授与された研究者。

 帝国内であれば、国に申請すれば研究資金を提供してもらえる。それだけの権威が聖樹の根証にはある。

 だがその研究資金は生活費として使うことは勿論出来ず、そもそもここは王国内。

 帝国へ帰国するための資金を補うため、高価な研究器具はあらかた売り払ってしまった。だが、魔素環境分析器やこのステシス・チェンバーなどのフィールドワークにおいて扱う基本的な道具は売ることが出来なかった。

 迷宮学への執着というべきか、正直命の次くらいに大事だと思っている。


「これで何が分かるんですか?」

「んー……何かを調べるためっていうか、何も分からないから調べるって感じかな。ロンドールとこの迷宮は、魔素以外の環境は似てるでしょ? だからこの迷宮のデータを正常値として、ロンドールを理解するための対照実験みたいなものなの」

「成る程、だから今回の目的が」

「地脈の漏出地点。つまりは、最深部だね」


 一般的に地中深くを流れる濃密な魔素の流れである地脈だが、それらが毛細血管のよに微細な隙間を抜けて。もしくは、火山岩のような多孔質組織を有する岩石を抜けて地上に漏れ出す事がある。

 これが多くの小迷宮の内部を魔素で満たしており、それが故に小迷宮なのだ。

 ガナルザリアも同じように、地中深くより漏れ出した地脈の魔素によって形成されている。

 今回の調査目的はガナルザリアのデータを正常とし、ロンドール調査時にその異常を炙り出すこと。

 とは言え、ある程度仮説は付いている。


「ロンドールで考えられるのは、多分地脈圧亢進ちみゃくあつこうしんかな」

「あつこう……なんですそれ」

「腹水って分かる?」

「……いえ」

「内蔵の血圧が強くなる門脈圧亢進症もんみゃくあつこうしんしょうって病気があるの。私も医者じゃないから、詳しくは知らないんだけどね。それによって通常よりも強い圧力を掛けられた結果、内臓の壁から水が染み出して溜まっちゃうっていうのが腹水」


 ロンドールの理解が追い付いたことを表情で確認し、続ける。


「これは私の姉弟子が仮説を立てたんだけど、地脈は大陸の血管みたいな役割を果たしていてね、ただ何らかの要因によって圧力が高くなることでこうして地表まで漏出する。勿論ガナルザリアみたいに丁度よく外と繋がっているわけでも無いだろうから、閉鎖された空間に魔素が溜まり続けると、その空間自体も魔素の圧力が高まるでしょ? 高まったエネルギーは出口を求めて……」

「崩壊……ロンドールが見つかったのは」

「土砂崩れって話でしょ? だからそうだと思うんだよね」

「お二人さんお話はそこまでぇ。リザー種一匹、こっち来てるよぉ」


 追加の説明をしようとしたところで、リュールから声が掛かる。

 彼女の言葉を聞きローレンヌはずんと私達二人の前に躍り出て、中盾を構えながら剣を鞘から抜いた。


「リュール、なんでこんな近くに来るまで言わなかった?」

「だってぇ、アイビっち邪魔したら拗ねるじゃん」

「……すまん」


 のっそりと闇から這い出すのは、巨大な岩石の塊だ。

 まるで岩石を圧縮し、それを整形していったかのような姿。全貌は五歳児程度の大きさだろうか。時折ひび割れた模様を有する岩石の質感と模様を持つ鱗は、地面にこすれる度に小さな音を立てている。

 前肢から生える鉤爪は捻じ曲がり、岩石をがっしりと捉え身体を前に進める。その足跡には、くっきりと爪痕が残っていた。

 ちろちろと覗く舌が二股に分かれて、周囲の様子を探る様に二股の先が別々に動いている。

 それはあながち間違っていない。爬虫類には鋤鼻器じょびきという器官が口腔内に存在し、周囲の臭いを感じ取る。

 リザー種の魔物、クリスタリザード。


「うちこいつ可食部少ないからきらーい」

「はぁ、下がってろ」


 魔物。それは、魔素に適応した生物。

 身体強度、能力等、一般的な生物とは一線を画す身体構造。そして、魔物は魔術を容易く扱う。

 ローレンヌが剣を仕舞い、今度は鞘ごと構えた。魔物を前にふざけているようだが、彼はこれを無意識的な反射速度でこなした。実際は度重なる経験故の行動だろう。

 好洞穴性生物こうどうけつせいせいぶつのクリスタリザードは岩、石を食べる魔物だ。

 より硬い鉱物を求め、身体にその鉱物でまとっていく。それは自衛のための行為であり、同時に食事でもあるらしい。つまりこの魔物の身体は岩石のように硬く、刃を通さない。


「ローレンヌ、大丈夫。こいつは剣通るよ」


 だがそれは、冒険者としての経験のみ。

 実際はクリスタリザードは食べた鉱石を身体に纏うが、実際は堅い鉱石を食べる事によりミネラルを補給しているだけ。だが鉱石を固くする成分だけが消化吸収できない為、体外に排出すると同時に堆積していくという生態を持っている。

 その成分は主に水晶や紫水晶などの主成分であり、豊富にそれらの成分を食べたクリスタリザードの身体は美しい水晶に覆われるものだ。

 眼前のクリスタリザードは岩の模様のみ。これはこの迷宮に存在するだろう鉱石をまだ食べられておらず、身を守る手段を持たない若い個体。模様は保護色であり、問題無く剣は通るだろう。


「なら、楽勝ですね」


 クリスタリザードが外敵を認識し、どたどたと距離を詰めてローレンヌに飛び掛かる。

 再度剣を抜き放ったローレンヌが腕を横に振るう。

 次の瞬間、空中で首を刎ねられたクリスタリザードは慣性のままに。私の隣まで飛んでいき、どさりと音を立てて不時着した。


「お怪我は?」

「ないよ、ありがとう。解体はする? 良かったら手伝っていい?」

「フフッ、勿論です。リュール、見張りを頼む」

「もうやってる」


 リュックからサンプルケースステシス・チェンバーとナイフを取り出し、ブラウスを腕まくり。

 サンプルとして採取するために、魔物の肉体を一部欲しい。本来ならば全て持ち帰りたいところだが、流石に荷物がかさばるので無しだ。

 生物学は専門外だから、解剖は数回しか記憶が無い。正直に言って、楽しみだ。


「ではまず血抜きをしましょう。血腥いと、素材としても食肉としても使い物になりませんから」

「えぇーっと。確か爬虫類の魔物の場合、核は……」


 姉弟子が幾度となく解剖していた場面を思い出す。


「アストラさん? 聞いてます? まずは血抜きを……」

「この辺かな? えいっ」


 ぶすりとナイフが突き刺さり、刃を伝い刀身に血が滲んでいく。

 刃先は何かを断ち切ったような感触こそあるが、私が求めるような感触ではない。失敗したか、と仕方なくナイフを引き抜こうとする。


「あ、アストラさん! 抜かないで――!」

「え?」


 瞬間、血飛沫が噴き上がる。

 私と、私を止めようとしていたローレンヌは、仲良く血にまみれたのだった。

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