第5話 迷宮学者と慣らし運転

 ロンドールへ出発まで一か月。とは言え、一ヶ月間何もしないわけではない。

 調査隊に抜擢された冒険者の多くは、この準備期間の間に小規模の迷宮を攻略し肉体を迷宮に慣らすことが多いそうだ。

 かく言う私も、その内の一人。


「またこうして迷宮へ、ご一緒できる日が来るとは思いませんでした」


 背後よりかかる声の元は、私の耳よりも少し高い位置にある。

 ローレンヌは歩きながらどこか遠くを見つめている。その視線は現実には無く、過去を思い出しているかのようだった。


「今回は依頼してないですけどね」

「僕に……いや、僕のパーティーのメンバーにも敬語は不要ですよ、アストラさん。にしても楽しみですね、小迷宮デート」

「じゃ遠慮なく。……てか、勝手に着いてきてよく言うよ」


 宿屋から近くの迷宮に向かおうと歩いていたら、偶然遭遇したローレンヌも同行することとなりこの状況だ。

 装備を整えるために一度彼のパーティーホームに寄り、今は街の外へ向かっている。


「ハハッ、これは手厳しい」


 迷宮には大きく分けて三つの分類、詳しく分けるなら五つの分類がある。

 明確な分類基準は魔素濃度で決まる。低濃度。魔素濃度計が一定の数値を下回ると、その迷宮は迷宮内に魔素を供給する迷宮核が存在しないと判断され、小迷宮に分類される。

 魔素が溜まった空間のような場所だ。極度に魔素に弱い人間は魔素酔いを起こす危険性こそあるが、基本的には蔓延る魔物も矮小なもので危険性は少ない。

 逆にその基準値を上回ると一般的な迷宮へと分類される。これは、迷宮内部の魔素濃度より、地脈と接点となる迷宮核が存在すると判断されるが故だ。

 完全に魔素に適応した環境として、様々な特異な環境が見られる事がある。それらに適応した魔物、グウィルゲアのような固有種が存在する事もある。危険性は低いものから高いものまであり、一口に迷宮と呼称しても幅は広い。

 一般的な迷宮はこの二つ。もう一つの特殊迷宮は文字通り特殊な例の為、殆ど見られることはない。

 またこれらは、調査後の迷宮と調査前の迷宮でも異なる。

 調査前の迷宮はこの三つの分類。調査後の迷宮では、迷宮の状態によりさらに詳しく五つに分類できる。

 第一種迷宮は調査済みの迷宮を指す。

 迷宮の内部構造が既に解明され、生息する魔物も全て固定化された状態の迷宮がこれに当たる。一部では新米冒険者の訓練や、学術調査に利用される。

 第二種迷宮はギルドの管理下にあるもの。定期的に冒険者による魔物討伐や整備により安全自体は確保されているが、未だ謎が残る部分もある。

 第三種迷宮からは危険度が跳ね上がる。具体的に言うならばその迷宮固有の魔物が見られたり、未解明な領域が多い迷宮。基本的に一般人の立ち入りは禁止されており、ギルドから許可が出た人間以外正式に入ることは出来ない。

 第四種、第五種ともなると危険度は飛躍的に上昇。第四種は迷宮への立ち入り自体がギルドや国家により禁止されており、第五種に至っては神話で語られるような未曾有の大災害を引き起こした迷宮だ。存在が確認された時点で、周辺国家を巻き込んだ緊急事態となる。


「今回行く迷宮は?」

「ガナルザリア小迷宮」

「あぁ、あの。なんだか、初めて会った頃を思い出しますね」

「その恋人みたいな言い方やめない?」


 私たちが知り合ったのは四年程前の事。

 帝国南部にある小迷宮調査の護衛依頼を、当時護衛依頼で王国より遠路はるばる訪れていた「黄金の順風」が引き受けたのが切っ掛けだ。

 これまでもフィールドワークの為に護衛を連れ迷宮を訪れることは多かったが、フレルコート賢者学院に居た頃は専属の護衛が付いていた為護衛を雇う必要がなかった。

 初めての冒険者への依頼になったわけだが、私とローレンヌのパーティーのメンバーとは意気投合し、その後も帝国で何度も依頼を受けてくれるようになったのだ。


「そういえば他のみんなは?」

「僕一人です。買い物の途中にたまたま、アストラさんを見つけただけなので」

「どうだか。……あ、噂すれば」


 門の前に寄りかかる少女の影。きらきらとした薄い茶色の瞳は立ち止った私たち二人に気付き、柔和な笑みを湛えながらこちらの方へ近づいてくる。

 ウェーブの掛かったミルクティーのような髪をボブに。ぴくりと、頭頂部から生えた猫の耳が揺れる。

 魔法的効果を付与された白いローブは、魔力を流すとその姿が透けていくようになる。腹部と腕を露出した装備は、本人曰く他を度外視し軽量さを最も重視したもの。

 彼女の耳と、揺れる猫の尾は猫獣人の特性が故。肌で感じ取れるものも多いため、本当は服さえ着たくないらしい。

 背に背負う長弓には触れずとも強力な魔法付与が施されているのがよくわかる。腰から下げる矢筒には、数十本の羽根つき矢が収まっていた。

 黄金の順風の斥候を担うリュールは、王国有数の斥候にして弓主だ。


「やっぱいたぁ」

「げ、なんでここにいるリュール……」

「アストラっちと久しぶりに会ったって聞いた後、朝やけに丁寧に身支度して出かけるんだもん。嫌でも何しに行ったか分かるよぉ」

「フフッ、デートじゃなくなったね」


 してやられたといった表情のローレンヌが面白く、思わず笑ってしまう。


「お久ぁ、アストラっち。元気?」

「勿論元気だよリュール。フフッ、今日は飲んでないの?」

「飲んだよぉ、軽くだけど」

「あ、アストラさん……。なぁリュール、後で酒奢ってやるから今日だけは勘弁してくれないか?」

「嫌だよぉー、一人で行動するなっていつも言ってんのはアイビっちじゃん」

「ぐぬぬ……」


 こうして三人で行動することとなり、私たちは街を出て迷宮に向かう。向かう迷宮はこの街から少し外れた場所にある。馬車を使うような距離でもないので歩きだ。


「リュール、今日向かうのはガナルザリアだけど、マップ覚えてる?」

「あぁーあそこぉ? なんとなく覚えてるかなぁ、マップは部屋にあるけど」

「じゃあいっか」

「でもアストラっち、なんで今さら小迷宮なんかにぃ?」


 その質問に、私はどう答えるか悩む。


「ロンドールの一次検証の話は聞いた?」

「あぁーウチなんもぉ」

「報告書を読んだんだけど、ロンドールの一次検証は実質的にされてないのと同じなの。なんでも入り口入って約三十メートルと少しで、同行してた剣士と二級魔術師が魔素酔いを起こしたって」


 魔素は空気中に存在する物質。と同時に、生物が魔素に適応し進化している以上生命維持に必要不可欠な存在だ。

 生物には魔素を吸収する器官と、その魔素を体内で生物が扱いやすいエネルギーである魔力に変える器官。そして、魔力を行使するための器官が存在する。

 魔力を使えば、当然生物は魔素を吸収し足りない分を補う。その時大気中の魔素濃度が著しく高い場合、濃度の高い魔素が一気に体内に流れ込み魔素酔いを起こすのだ。

 ロンドールでは入口だけでこの傾向が見られ、迷宮内部における魔素濃度の高さを示した。

 過ぎたるは猶及ばざるが如しと言うように、魔素は少量であれば魔力として生物の力になるが、その量が多ければ有害となる。

 適度ならば良い。個体により差はあれど魔素への耐性には振れ幅があり、これを鍛えることもできる。魔術師が実力を付ければ付ける程、魔素へ耐性が強固になるのと同じだ。

 だが、種としてのキャパシティを超えた場合。

 まず吐き気や眩暈などの症状から始まり、筋肉の痙攣けいれんや呼吸困難を経て意識が消失し、最終的には死に至る。


「じゃあ、慣らしで小迷宮に行くのは、どういう意味ぃ?」

「主に環境条件に類似点が見られるから、かな。ガナルザリアの近くは大昔山脈だったって地質調査で明らかになってるの。ロンドールは同じ山岳迷宮でしょ? ロンドールの環境推測に役立てばいいなって」

「なるほどぉー! さすがアストラっち、賢いねぇ」

「まぁ学者だからね、一応」


 入口付近で魔素酔いを起こすほどの大規模迷宮のシミュレーションとして小迷宮に潜るのもあれだが、環境条件としては類似しているので悪くない。ただ問題は、迷宮内の魔素濃度だ。


 迷宮の成因において、魔素は環境、物理法則、化学反応そのものを規定する最も根源的な環境要因と言っていい。それ以外の全てが類似せずとも、魔素の環境さえ一緒であれば同じようなもの。

 その魔素の濃度が違う迷宮で、果たしてロンドールのヒントになるだろうか。

 尚迷宮へ向かうまでの間、ローレンヌが口を開くことはなかった。

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