第2話 席替え

「よーし、今日のホームルームは席替えだー」

『うぉおおおおおお!!』


 どこかやる気のなさそうな担任の声とは裏腹に、クラスからは歓喜の声が上がる。


 進級して1か月。俺たちのクラスは席替えを行っていなかったのだが、流石に慣れた(担任が名前を覚えるのをサボっていたのもあるが)ということで席替えをすることが許されたのだ。


(……よし。この席替えを待っていたんだよ俺は!!)


 そして、俺もまた席替えを強く望んでいたうちの一人だった。内なる闘志を何とか抑えつつ、今まさにくじ引きを作成している担任を睨みつける。


 俺が席替えを心待ちにしていた理由はただ一つ。

 幼馴染であり、俺の好きな人でもある五十嵐渚いがらしなぎさと隣の席になるため。


 現在、俺の座る席は真ん中の列の廊下側。五十嵐は窓際中盤ということで、休み時間以外にあまり接点を持つことができていなかった。

 まあ、休み時間に接点を持っても今の所喧嘩しかしてないんだけど……。


(しかし!! 席替えで隣になれば、半ば強制的に仲良くなるきっかけを作ることができる!!)


 誰かと仲良くなるのに席替えほど便利なイベントなど、他に想像できない。

 隣に来る人が好きな人とくれば、尚更これを逃す手はないだろう。


 普段から隣で話すだけでなく、授業中に一緒にやる課題や、教科書を忘れた時に机をくっつけてみせてもらう、あるいは見せてあげることもできる。

 更に、消しゴムを落としなんてでもしたら、手と手が触れ合ってロマンスに発展することも……おっと。妄想が発展しすぎて思考回路がおかしくなってしまった。


 兎にも角にも、この席替えは俺にとってかなり重要なものになるのは間違いない。

 五十嵐がどう思っているのか分からないことだけ気がかりだけど、少なくとも俺は本気だ

 ここで運を使い果たしてもいいように、今からくじを引く練習をしておかないと。


 ちなみに、五十嵐とは去年も同じクラスだったけど、神様のいたずらか隣どころか、近くになることもありませんでした。

 去年一年間、一度もです。流石に、家に帰ってから涙を流したのは一度や二度じゃない。


「よぉ~し。くじができたから、適当に引きにこ~い」


 相変わらずやる気のない先生の声が響き、前の席に座っているクラスメイトがぞろぞろとくじを引きに教卓へ。

 

 今回の席替えは、担任が黒板へ適当に数字を現在の席に当て込んでおり、引いた番号の席へ移動するというスタイルになっていた。


「隼人、俺たちも引きに行こうか」

「あぁ……」

「気持ち悪いくらい気合が入ってるね。野球の公式戦以上の意気込みを感じるよ」

「もちろんだ。俺はこのくじ引きに全てをかけている。何なら公式戦よりも気合が貼っているかもしれない」

「それは先輩たちに怒られるんじゃないかな? というか、普段の授業もこれくらい気合が入っていたら成績も違うと思うんだけどな~」

「授業と席替えを一緒にしてはいけない」

「全く……」


 呆れた様子の翔と共にくじを引きに行く。

 教卓の前につくと、俺はゆっくりを瞳を閉じ手を合わせる。

 

「…………」

「そんなに祈りを捧げたって結果は変わらんぞ~」

「じゃあ俺が先に引いちゃうよ……24か」


 祈りを捧げない罰当たりな翔が先にくじを引き、引かれた数字を呟く。

 しかし、そんな呟きに惑わされる俺ではない。感覚を研ぎ澄まし、五十嵐と隣の席になれる数字のくじを引くのだ。


「……はっ!!」


 開眼した俺は見えたと言わんばかりにくじの入った箱の中から一枚の紙を引く。

 そして、その紙をその場では確認せず、誰にもとられないように自席へ。


「そんなにびくびくしなくても、誰も盗らないと思うよ」

「万が一の事があるだろ!?」

「今日の隼人は何時にもましてヤバいね」


 一部、周りの連中も頷いているが、これが本当に五十嵐の隣に座れるくじだったらどうするつもりなんだ!?

 これを盗られて隣を逃したら俺は死んでも死にきれなくなる。

 

 ちなみに、五十嵐の反応はあえて見ていない。まあ、どうせ『あいつ、何やってんだ』と呆れているだろうから、見てもしょうがないんだけど。

 

 くじを大事に抱えて自席まで戻って俺は、ゆっくりと紙を開く。

 そこにかかれていた数字は――


(……4か)


 日本では死を連想する数字であり、あまりに不吉な数字である。

 まさか、この席替えで俺が爆散する予兆ではないだろうな!?


(くそっ……覚悟を決めて場所を確認しなくては)


 黒板を見るのが恐ろしくなってくるが、覚悟を決めなければ真実を確認できないのもまた事実。

 ゆっくりと黒板へ視線を移し、数字を確認する。


(えっと、俺の数字は……あっ、あった!)


 窓際2列目の後ろから2番目の席だった。

 席だけで判断するのであれば、後ろ側の席ということでかなり好立地な場所である。


 しかし、俺にとっては窓際や後ろ側といった席順はどうでもいい。

 とにかく、五十嵐と隣の席になる。ただこれだけを望んでいるのだ。

 

 だから一番前の席であっても、俺にとっては何の問題ではない。五十嵐と隣の席い慣れなこと、それだけが一番の問題だった。


「よぉ~し。全員自分の場所を確認したな。それじゃあ、移動開始~」


 先生の号令と共に、生徒がガラガラと机を自身の席へ移動し始める。


 直後から『隣、お前かよ~』とか、『えぇ~、○○が隣?』といった声が上がり、俺の心拍数が急上昇する。

 その声の中に、『五十嵐さん』もしくは『五十嵐』という言葉が聞こえてきた瞬間にアウトである。

 俺の青春は真っ黒。行き場のない怒りを抱えながら、残りの期間を過ごすほかなくなってしまうのだ(大袈裟)。


「ひゅー……ひゅー」

「大丈夫、隼人? なんだか今にも倒れそうな息遣いをしてるけど」

「ほ、ほっといてくれ!」

「そんな真っ青な顔で言われても説得力ないって」


 どうやら俺の顔は真っ青に染まっているらしい。

 おかしいな。野球部ということでプレッシャーにはある程度耐性があると思ってんたんだが……。

 まさか、こんなところで自分自身の弱さが露呈するとは思いもしなかったぜ。


 と、取り敢えず早いところ席を移動して心を落ち着けないと……。

 幸いなことに、五十嵐という声が俺の耳に入ることはなく、ひとまず無事に席の移動が完了する。


「っと、なんだ。隼人、斜め前の席じゃん」

「なにっ!?」


 振り返ると、そこには先ほど真っ青な顔を指摘してきた翔の姿が。

 五十嵐ではなかったが、何でも話すことの出来る友達が近くにいるのはありがたい。

 

「そんなに勢いよく振り返らなくてもいいんじゃない?」

「わ、悪い……少し気が立ってて」

「まあ、確かに無理はないと思うけどさ」


 一応、翔も俺の事情は知っているので同情するような視線を向けてくる。というか、この話をするたびに『早く告ればいいじゃん』とか無責任なことを言ってきていた。

 全く、これだから中学生からの悪友は困る。同情をくれるのはありがたいが、今は同情なんて必要ない。

 同情するなら俺の隣を五十嵐にしてくれ!!


「あっ、私の隣ははー君だ!」

「へっ?」


 ふんわりとした声に、思わず間抜けな声が漏れる。

 この女の子らしい、可愛らしい声の主はまさか……。


「な、七瀬……」

「はーい、七瀬だよ~。これからよろしくね、はー君」


 俺の隣に机を移動させてきたのは、五十嵐の親友である七瀬姫奈ななせひなだった。


「…………」

「はー君? おーい。生きてますか~?」


 目の前で手を振り振りと動かす七瀬。

 しかし、気の抜けてしまった俺の瞳にはどこか遠くの出来事のように見えてしまう。


(お、終わった……)


 いや、七瀬が隣ということ自体は全く悪くない。

 むしろ、クラスでトップクラスに可愛い部類に入る七瀬が隣の席は、他の男子にとって夢のようなことだろう。

 事実、他の男子生徒から鋭い視線が俺に注がれている。

 

 しかし……しかし、今の俺にとってこの座席配置は90点であり、100点ではない。

 まさか、2年生になってからも五十嵐が近くにいないという呪いと戦わなければならないだなんて……。


「おっ、隣は渚ちゃんじゃん。中学4人組がそろい踏みだなんて、運がいいね」


 はぁ、あれほど神に祈ったのにこんな仕打ち……やはりこの世界に髪はいないのか。


「よろしくね。翔君」

「お~、なぎちゃんが後ろにいる。よろしくね~」

「うん、よろしくね姫奈」


 だけど、七瀬が隣にいるのはある意味好都合かもしれない。

 彼女と話すために五十嵐も近くに来るだろうし、これまでより自然なタイミングで話すことができるようになるかも。


「……一応、あんたにも挨拶しといてあげるわ。これからよろしくね」


 だけどなぁ……やっぱり近くに五十嵐のいる座席こそ一番よかったんだよなぁ。

 今さらどうすることもできないんだけどさ。


「ねぇ、ちょっと。聞いてるの?」


 くっ、こうなったら次の席替えまでにありとあらゆる徳を積んでおくしか――。


「無視するんじゃないわよ!!」

「ぐえっ!?」


 制服の襟を掴まれ、思いっきり後ろに引っ張られる。

 椅子から転げ落ちそうになるところを何とか踏ん張り、


「おい、いきなり何すんだ!?」


 後ろを振り向いたところ、五十嵐の顔が眼前に迫ってきた。

 ……えっ!? 何で五十嵐が俺の後ろにいて、俺の襟首をつかんできているんだ!? 全く状況が理解できないぞ。


 困惑する俺を他所に、五十嵐が鋭い視線で俺を睨みつける。


「人の挨拶を無視しといて、何すんだはないでしょ!」

「えっ? 挨拶?」

「さっきからしてたでしょ! 後ろの席になったから、一応挨拶してあげたのに!」


 ん? 後ろの席? 今、五十嵐、後ろの席って言った!?


「隼人は混乱しているみたいだから、改めて行ってあげたら?」


 未だに事情を呑み込めていない俺を見て、翔が笑いを噛み殺しながら五十嵐に何かを促す。

 すると、五十嵐は半ば呆れつつも口を開く。


「だから、あんたの後ろの席になったって言ってるのよ! 全く、これだから柊は……」

「後ろの席……五十嵐が俺の後ろ?」

「気持ち悪いわね。そうだってさっきから言ってるじゃない」

「な、なるほど……」


 ようやく言葉の意味が脳みそにまで届いてきた俺は、一度彼女から視線を外し真っ直ぐに前を向くと、


(よぉおおおおおおおおし!!)


 心の中だけで歓喜の声を上げた。

 理由は言わなくても、もちろん分かるよな? 苦節1年。ようやく俺の希望が(後ろの席だけど)叶う時が来たんだ。


 惜しむらくは、この心の叫びを誰とも共有できなことくらいか。

 たっぷり幸せを嚙みしめた俺は、再び後ろに振り返る。


「はぁ……後ろがお前だとうるさくなりそうだな」


 だからと言って急に素直になれるわけもなく、いつも通りの憎まれ口をたたいてしまう。

 隣では「あちゃ~」と駆けるが頭を抱えているが、あまりに突然すぎるのだ。

 もう少しこの状況に慣れてからしっかりするのは今は許してほしい。


「うるさくって、あんたの方がよっぽどうるさくしそうだけどね! 変なことして姫奈に迷惑かけないでよ?」

「あぁ? そりゃこっちのセリフだよ。お前こそ、うるさくして翔を困らせない様に、せいぜい気を付けてくれ」

「い、言わせておけば……これだから頭空っぽの柊は」

「頭が凝り固まった五十嵐には言われたくねぇよ」

「二人とも、席替え直後から喧嘩しないの!」


 隣から七瀬が止めに入り、ようやくいつもの口喧嘩が終了する。

 ……くそ、後ろに五十嵐がいる嬉しさでつい暴言が止まらなくなってしまった。


「それはいつもの事でしょ」

「……心を読むんじゃねぇ」


 とにかく、五十嵐と席が近くなったことは大きな収穫だ。

 このチャンスをしっかりと生かして、次こそ喧嘩しない様に気を付けて五十嵐と接しないと……。


「よぉ~し。全員新しい席に着いたな? じゃあ委員長。この紙に全員分の名前をまとめておいてくれ。まとめきったら、教卓の中にあるファイルに入れといてもらえばいいから」

 

 細かい雑用を委員長にぶん投げつつ、席替えという大きなイベントは終了したのだった。

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