僕とボクとぼく。

上下亭左右

敦(22) 5/12

どっちつかずの優柔不断な5月の生ぬるい風が、

顔を撫で回すかのように、じとっと張り付いてくる。

5月生まれの人や5月が好きな人には大変申し訳ないのだが、僕は嫌いだ。


春なのか?夏なのか?暑いのか?涼しいのか?

半袖はまだ早いか?長袖はもうタンスの奥に行くべきなのか?


全てにおいて何かしら、

一筋縄では答えが見つからない。

もし僕の疑問を街角アンケートになんか出せば、

きっと綺麗に答えはフィフティフィフティに分かれるだろう。

そう、そんな曖昧な月。それが5月。


GWなんていう中途半端な時期の連休も、

俺からしてみれば作ったやつのエゴに過ぎないと思っている。


新入生、新社会人、その他大勢にとって、

4月がスタートして新しい生活にようやく慣れてきたのに、無駄な小休止を挟む。


だからクラスに馴染めない子どもたちが邪魔者扱いされいじめが生まれるし、

学生から社会人への切り替えのギャップに苦しみ、五月病なんてものが流行る。


6月も中途半端だ!という意見を聞いたことがあるが、

6月には「梅雨」という立派な主張がある。


「自分は5月とは違うんだ!」と言わんばかりの雨を降らし、

春から夏への大きなアクセントとなっている。

子どもの頃は6月の方が嫌いだったが、

こう考えるようになると悪くなく思えてきた。


そんな5月への不満を喉の奥にしまいこみ、

ぼくと同じように、くたびれているカバンから、

これまたくたびれている手帳を取り出した。


5/17。

無機質なボールペンの黒インクで書かれた仕事だらけの予定の中で、

一つだけ赤い花丸で囲っている日。

頭の中でカウントダウンする度に、ニヤニヤが止まらない。


「ちょっと……。ニヤニヤしてどうしたの?気持ち悪いよ?」


後ろから花丸の正体が怪訝そうな顔をしながら、横から覗き込んでくる。


「やめてくれよ、美鈴」


都築美鈴。5/17は彼女の誕生日だ。


入社式で隣の席にたまたま座った彼女に、ベタな言葉だが一目惚れだった。

新入社員代表としてぎこちない挨拶を終えた俺に、

「お疲れ様」と微笑んでくれた笑顔。

後に他の同期に聞くと、

いわゆる目がハートになっている絵文字のような顔になっていたそうだ。


美鈴とはとにかく、趣味があった。

共通の話題が多く、意識し始めるのに時間はかからなかった。

いや、正確に言えば「増やした」が正しいのかもしれない。


彼女が好きだと言ったものを必死で覚え、彼女が好きだと言ったもので喜ぶ顔を見たかった。

好きなアーティスト、好きな本、好きな景色、好きなもの。


彼女のありとあらゆる「好き」を知る度、俺の心の中の「好き」に彼女が増えていった。ただ、一つの「好き」を除いて。


「なぁ」


違う。今じゃない。咄嗟にそう思った。

今、答えを聞いても俺の心も準備できていない。

・・・のにも関わらず、答えを急いでしまった。

そんなコンマ何秒の心の駆け引きが裏目に出て、

妙に声が上ずってしまったがために、余計に変な雰囲気になってしまった。


「ん?どうしたの?」


「お疲れ様」と微笑んでくれた時と同じ笑顔で、顔を覗き込んでくる。

咄嗟に「別に。忘れた」と素っ気なく返事をしたが、恐らくニヤついていたのか怒っていたのかよくわからない表情になってしまった。 


美鈴はニヤニヤと俺の周りをグルグルしてくる。

「見てくるなよ」と言わんばかりに踵を返し、僕は歩き始めた。

「あっ、待って」と言わんばかりに美鈴は後に続いた。

桜が緑になっていく中で、僕の心の中だけ淡いピンク色の一日の始まりだった。


最寄り駅からバスに乗り向かったのは、

デートスポットではポピュラーな動物園だった。


デートプランは我ながら完璧だった。


動物が好きな美鈴はよく、「アライグマを抱っこしたい」とこぼしていた。

アライグマとはまたピンポイントかつマニアックな動物のチョイスだと鼻で笑ったが、内心は何とかして触れ合える動物園を探していた。

すると県内に程よい距離にある動物園にアライグマと触れ合えるコーナーがあるのを見つけた。

期間限定イベントらしく、この時ばかりは神様を信じてみたくなった。

ひとしきり動物園ではしゃいだ後は海の見えるフレンチレストランの個室で、

おしゃれなディナーを堪能し、別れ際に思いを伝える手筈だ。


僕には「今日」伝えなければいけない理由がある。

僕が次、彼女と出会うのは5日後。そう、彼女の誕生日である。

次に彼女と出会うとき、それは同期ではなく「彼氏」として、

誰よりも一番に、近くで、幸せを届けてあげたい。


そんな壮大なラブストーリーを描いているくせに、

彼女を目の前にすると「僕」のはずなのに、

「僕」じゃないくらいに緊張してしまい、裏腹な行動ばかりになってしまう。

(全国の男子校生徒諸君には大変申し訳ないのだが)

近所の女子高生を見てしまった時の男子校生徒の反応とは、

まさにこんな感じなんだろう。と、哀れな自分を僕は客観視していた。



こういう時だけ、「僕」じゃなかったら良いのに。いつも、そう思っている。



周りを見渡すと、「私たちも繋ぐ?」と隣から嬉々とした声が聞こえてきた。

手を伸ばしながら悪戯好きの一面が顔を覗かせた美鈴が、こっちを見ている。

その顔は先ほどの質問の回答例を期待していた。

が、僕の心はコンマ何秒の駆け引きをしないように最初から決めていたかの如く、

その手を振り払った。


「・・・何よ」聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、美鈴がつぶやく。

あっ、またやってしまった。

いつもの拗ねている感じじゃないな。と、直感的にそう思った。

横目でちらっと表情を確認したが、なかなかの怒りっぷりであった。


美鈴の機嫌を取り戻すのとこの気まずさからの脱却のため、

僕は一目散に目的地へと向かった。


およそ無限に感じた最悪の空気を一変させたのは、

ピンポイントかつマニアックな動物だった。


「かっ・・・可愛い!」


おいおい、さっきまでの怒りはどうした。と、言わんばかりの笑顔だった。

「見て、敦!!可愛い!!飼いたい!!」

可愛いまでは分かるが、飼いたいは凄いな。と、心の中でつぶやいた。

が、しかし。本当に可愛い。

「どことなく、美鈴に似ているな」

心の中の言葉がポロっと出たとき、今日一番の可愛い笑顔がそこにあった。

「お前のほうが可愛いじゃん」

ポロっと出そうになった2度目のつぶやきを胸にしまった。

そのジェットコースターのような天真爛漫な性格に翻弄されつつも、

僕は残された今日1日を楽しもうと誓い、

アライグマに見惚れる美鈴に見惚れていた。



1日が終わりを告げようとしているのを教えてくれたのは、

時計でも夕暮れでもなく、動物たちであった。



園内を何度もグルグルしているうち、

次第にあまり動かなくなった動物たちを見て美鈴が言った。

「動物さんたち、さっきまで元気だったのに」


「それは今から、この時間だからなんですよ」


不意に後ろで声がした。

振り返ってみると、バケツに大量の魚を詰め込んで、

汗を流しながら歩いてくる人がいた。

どういうことか状況をすぐに理解していない天然癖が出ている美鈴の隣で、

僕は慌てて時計を確認した。


「・・・やっべぇ」


気づけば、時計は18時をもうすぐ指そうとしていた。

ディナーを予約しているのは、18時半。

「急がないと間に合わない!」気づけば一目散に出口に向かって、

走り出していた。


タクシーに乗って急いで何とか間に合った、フレンチレストラン。

海の見える個室でおしゃれなディナー。

舌が唸るとはまさにこのこと。絶品の食事たち。


しかしそこに座っているのは、

おおよそその場の風景に似つかわしくない汗だくの二人であった。


夢中になりすぎて段取りをミスしてしまった罪悪感と、

全世界で僕と美鈴だけが取り残されたような空気と、

この世のすべてが僕を否定している気分になった。


「・・・美味しいね」


喉の奥まで乾ききっている口から出した言葉は、それが精一杯だった。

僕から飛び出した五文字の言葉が、

良く言えば静かで上品、悪く言えば無機質で味っ気のないこの部屋で、

ただただ、宙を舞っていた。

よく小説や歌詞なんかで「一瞬が永遠に感じた」なんていうワンフレーズがあるが、

こんな時間のことを言うのだろうと僕は思った。


タクシーに乗ったくらいから、美鈴はずっと黙っていた。

怒っているようには見えない。けど、楽しんでいるとも思えない。

目の前に映るすべての光景を、

何事もなく再生しているビデオのように感じているのだろうか。


恐らく本来であればとてつもなく美味しい料理も、

ロマンティックで感動的な夜景も味わうこともなく、

僕たちはレストランを後にした。


何となく横を歩くのが申し訳なくて、数メートル後ろをただただ歩く。

後ろをただ歩くだけじゃ、あんなに喜怒哀楽が激しい美鈴に、

無表情を作らせてしまった罪悪感は埋めることができないので、

必死に顔を見ないように目線を足元に落としていた。


すれ違う人たちから僕たちは、いったいどのように見えているのだろう。

喧嘩や別れ話をしているカップル?距離ありすぎて、もはや他人?

その絶妙な距離感と少しずつ離れていく歩幅が、

今の僕と美鈴の関係性そのものを表わしているように見えた。


足元に目を落とし歩いていたその先に、

こちらに向いたサイズの小さい足があった。

時間にしておよそ、どのくらい歩いていたのであろうか。


「どうしたんだよ、急に」力ない声で向かいの足に声をかけた。


返事は無い。あぁ、やっぱりな。

きっと、とんでもない顔して怒っているんだろうな。

そのまま、また歩く。ただ、前の足に着いていく。



「ねぇ」先ほどの問いに帰ってきたのは、答えではなく呼びかけだった。

「うん」その先がいかなる言葉であったとしても、今の僕は美鈴と話すのが怖い。

「あのさ」語尾が上がるいつもの癖が出ちゃってるよ。

「うん」あえて続けないのは子供が口げんかに負けそうな時に使う、姑息な手段だ。

「なんでさ」あぁ、やめてくれ。あえて会話を切ったのに。

「うん」もうどうにでもなれ。今日はきっと、何をしてもダメな1日なんだろう。



「そんな落ち込んでんの?」そりゃ、せっかくの美鈴とのデートが・・・。えっ?



美鈴の言葉と今の自分の現状の再確認を怠ったまま、

考えるより先に足元から目の前に視線を上げた。


「だから、何をそんなに落ち込んでんのかって聞いてんの!」

必死に怒りたそうにしているのにどこか、笑いを堪えきれていない、

悪戯をしかけた人がターゲットの引っかかる様子を見る、

あの少し悪いたくらみ笑顔が、こちらに視線を向けていた。


目元は怒りを演出しているが、その口角は上がるのを抑えきれずにいた。


いつもわかりやすい彼女の感情が、言葉からも表情からも読み取れなかった。

「えっ、いや、あの、その」


おいおい、どうした僕。いつもこんな感じじゃないだろ。

こんな時に思春期の男の子のような一面を出さなくてもいいのに。


「・・・美鈴に迷惑かけたから」ようやく絞り出した答えは、嘘ではない。

ただ、正しくは「美鈴とのデートを壊したから」であると思う。


「本当、夢中になると前が見えなくなるよね」

「はは・・・、おっしゃる通りです」


そこまで会話を紡いでようやく、少し気が楽になった。

取り繕ってでも笑顔をようやく作れたので、美鈴に目を合わせた。


すると今度は一転、真剣なまなざしでこちらを見ている。

ただ口角はやはり、上がったままである。




そのまま見つめ合った時間は、何秒何分を刻んだのだろう。

風も花も通り過ぎていく周りの人も、すべてが2人を邪魔するまいと静寂を彩った。




「私はさ、ずっと待っていたんだよ」重い口を彼女は開いた。

「うん、知っている」そう、僕は知っていた。

「今日一日、ずっとどこかであると思っていた」僕も思っていた。

「うん、知っている」馬鹿の一つ覚えみたいに先ほどと同じ言葉を発した。

「なんで言ってくれなかったの」僕がしゃべり終わる前に、美鈴が問い詰める。



「壊したくなかったから」美鈴との、今のこの心地良い関係性を。



「だとしても。だよ。聞かせてよ」今世紀最大の泣きそうな顔で見つめてくる。



「・・・分かった。じゃあ、一度しか言わないから」恥ずかしいからね。



「うん、わかってる」




















「僕、美鈴のことがずっと好きでした。」




















家路に着いた僕は今、どんな顔をしているだろうか。

気になって独立洗面台まで向かった。

「はは、こりゃ笑えるや。蜂にでも刺されたのかよ」

面長の僕は泣いた後の顔は、人よりも腫れが分かりやすい。


号泣していないから大丈夫だ。なんて思っていたが、

そんなこともないようだった。


「これでよかったんだ」と心のどこかで、ほっとしている自分がいる。

無理に自分に言い聞かせてみた。


部屋に戻り、テレビをつける。

2人の大好きなバンド、back numberがドラマ主題歌にもなった、

季節外れの大人気曲を歌っていた。


ちょうど、2番のサビに入る。僕の一番好きな歌詞だ。



♪大好きだといった返事が

 思ってたのとは違っても

 それだけで嫌いになんてなれやしないから



都築美鈴。

これからもどうかずっと変わらず、僕の大切な人であり続けてください。

何があっても僕は、君のことが好きだから。

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